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14話 依存してしまう程に
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「……し、しぃ兄?」
背中に、冷や汗が伝う。
無機質なガラス玉みたいに光を反射させる翡翠色の瞳に揺らめくのは、黒い影。
その影の意味するものが何なのか俺にはわからない。
だけど今、しぃ兄の瞳に映っているのは間違いなく俺自身だ。
「…………っ」
一緒に過ごしていた時、無茶をするなと何度か怒られたりした事はあったが、無言のままこんな無機質な瞳でただじっと見られた事はない。
空気が凍りつき、まるで時間が止まってしまったかのような錯覚さえ感じてしまう。
足の爪先から不安がじわじわと迫り上がってきて喉が急速に渇いていくが、唾さえ飲み込めない程俺の体は硬直し、しぃ兄から視線を逸らせないでいた。
怖い。
俺は、しぃ兄に嫌われた?
何も悪いことなんてしてないのに? なんで?
もしかしてしぃ兄は、春樹か輝一のどちらかが好きなんだろうか。だから、不可抗力とは言えこんな体勢でいる俺に怒っているのか?
いや、そもそもしぃ兄は怒っているのか? それすら、わからない。
怖い。
しぃ兄に嫌われたら、俺は息の仕方すらわからなくなる。
嫌わないでくれ。お願いだから。
パニックを起こした俺の頭の中は一瞬のうちにぐちゃぐちゃになって、視界がどんどん狭まっていき体が徐々に震え出す。
今瞬きをすれば視界が永遠の闇に染まりそうだ。
頭の中で必死に嫌わないでと繰り返し、何度その言葉を言おうとしても固まってしまった口は上手く機能せず、吸い込んだ空気と共に言葉も不規則に詰まってしまう。
「ごめ……なっ。し、にぃ……俺、ぃーー」
ごめんなさい、しぃ兄。俺、いい子になるから。だから、嫌わないでくれ。
途切れ途切れになりながら、不安定なか細い声でそう紡ごうとしていた俺の言葉を遮るように、しぃ兄は両頬をぷっくりと膨らませ、急にぶーたれながら俺を抱き上げたかと思うと今度は仰向けの状態になり、自分から床に寝そべり始める。
「江橋君、佐久間君だけ狡い! トキちゃん、床ドンするならお兄ちゃんにも! ね?」
「…………ぇ?」
無機質だったしぃ兄の目と視線を合わせていたのは、時間にして言えばたった数秒間程度。
でもその数秒間が俺にとっては果てしなく長い時間に思え、体の芯から凍えそうなほど恐ろしいものだった。
だから、しぃ兄のこの元の戻り様に俺は付いていけず、服の上からでもわかる鍛えられた腹筋の上へ跨った状態のまま呆気にとられ、部屋の照明に照らされた整い過ぎている容姿を凝視する。
「しぃ兄、怒って、ない?」
「うん」
「俺、まだ、しぃ兄の傍にいて、いいのか?」
「もちろんだよ」
驚かせてごめんね。
小声で囁かれた謝罪の言葉と同時に恐怖により固まっていた体から力が抜け、俺はしぃ兄の上へへたり込み肩に額を押し付ける。
「よかった……」
肺に詰まっていた空気全てをゆっくりと吐き出し、両手でしぃ兄の服をぎゅっと掴みながら俺は震えた声で安堵の言葉をこぼす。
俺はまだ、しぃ兄に嫌われてない。
それがわっただけで、鉛みたいに重かった体は嘘のように軽くなる。
急激な俺の様子の変わりように、カナちゃん先輩やフローリングの上から起き上がった春樹と輝一が心配そうな視線を送ってくれているのを感じるが、俺はしぃ兄の肩から顔を上げられず困り果てた。
パニックから脱出した俺はさっきまでの自分の言動が恥ずかしくなってきて、今、どんな顔をすればいいのかわからない。
顔が茹だったように熱く、きっと耳まで真っ赤になっているだろう。
正直、自分でも驚いている。
しぃ兄に嫌われたと思っただけで本当に息すらまともに出来ず、目の前が暗転しそうになった。
こんなことは初めてで、冷静になっていけばいく程自分がどれだけしぃ兄に依存しているのか、改めて自覚させられる。
俺は、しぃ兄の事が恋愛感情で好き。こうして依存してしまう程に、俺の中はしぃ兄でいっぱいだ。
しぃ兄に何かあったり、嫌われたりしたら俺は生きていけないとずっと思っていた。
でもそれは、結局想像上の物でしかない。
実際には、しぃ兄に嫌われたかもしれないと思っただけであのザマだ。
もうあんな感覚を体験するのは二度とごめんだと心底思うくらい、恐ろしいものだった。
ーーじゃあもし本当に、しぃ兄が俺の事を嫌いになったら?
今はもう、その事を考えただけで血の気が失せ体が恐怖で居竦まる。
自分の言動が恥ずかしくなって紅色していた顔も、きっと今は青ざめているだろう。
それ程までに俺は、もしもしぃ兄に嫌われたらと考える事自体が恐くなった。
「トキちゃん、大丈夫。俺はトキちゃんを嫌ったりしないから」
「……っ」
髪を梳くように俺の頭を優しく撫で、安心させる為落ち着いた声音で喋るしぃ兄に、通常なら狡いだの心を読むなだのと憎まれ口を叩く俺だが、今はそんな余裕すらありはしない。
しぃ兄の体の上に覆いかぶさるような体勢のまま肩に額を押し付け、俺はただしぃ兄から感じる暖かな温もりに縋り付く。
こんな風にいつまでも甘えていたらダメだとわかっていても、俺はもうしぃ兄無しじゃ本当に生きていけそうにない。
「駄目な弟で、ごめん……」
無意識の内にぽつりとこぼれた俺の言葉にしぃ兄は「トキちゃんはダメな弟なんかじゃないよ」と優しく返してくれて、その言葉に俺は本気で泣きそうになる。
この時しぃ兄は俺の頭を撫でながら心底満足そうな笑顔を浮かべ笑っており、春樹と輝一の目元を後ろからそっと隠したカナちゃん先輩がそんなしぃ兄を呆れた様に見ていた事を、俺は知らない。
「ーー加賀美さんや、そろそろ兄弟水入らずの世界から帰ってきてもらってもいいでしょうかー?」
「やでーす」
「いやいや、やでーす。じゃあないよ! 空気読んでくれますぅ!? お前がいつまでも刻也くん抱いたままだから、いっちゃんも春ちゃんも刻也くんの事心配してるのに声掛けずらいんだよ!? あ、もちろん僕も刻也くんの心配はしてるからね!」
「あの、すみません。俺が変な空気にしたせいでこんな事に……」
ネガティブ思考で一度どん底まで落ちてから、俺が普段の調子に戻って数分。
今だにしぃ兄はフローリングの上で仰向けに寝そべった状態のままであり、俺もそんなしぃ兄に抱き着いた状態のまま動けないでいた。
理由は簡単。調子を取り戻した俺が離れようとすればしぃ兄が腕の力で押さえ込み、悲しげに眉を下げながらイヤイヤと首を横に振る為である。
もちろんこの表情が計算された物だと言うことは嫌でもわかる。しかし、俺に対する効果は抜群だ。
しぃ兄のあざとさに、俺は為す術なく撃沈されるしかない。
「刻也くんは悪くないよ。悪いのはぜーんぶ、この金髪ブラコン変態イケメンだからね!」
「変態に変態呼ばわりされる言われはないんだけどー」
「シャラァァァップ!! いいから、一旦離れなさぁぁああいっ!」
「わっ」
「うわぁぁあ! トキちゃんに触るな! 変態菌か移るでしょうがぁああっ!!」
「いつも言ってるけど僕は変態じゃなくて腐男子! それに変態菌なら俺より加賀美の方が持ってるとお思うけど!?」
カナちゃん先輩に背後から羽交い締めにされ、俺は強制的にしぃ兄から引き剥がされフローリングの上に立たされる。
「…………」
俺って、自分が思ってるよりも体重が軽いんだろうか。
ついそんな事を思ってしまうくらい、しぃ兄にしてもカナちゃん先輩にしても俺をいとも簡単に持ち上げる。
体鍛えてるから、筋肉はそこそこ付いてるはずなんだけど……。
「刻也、もう大丈夫? ですか? 腕は?」
「ああ、うん。腕は平気。心配かけてごめんな」
「元々僕達が巻き込んじゃったんだし、こっちこそごめんね。それと、僕達は会ったばかりだからまだ信じられないかもだけど、力になれる事があれば借すから、無理しないでね?」
「ありがとう。……なぁ、もしかして二人は、俺やしぃ兄の家庭事情を知ってる感じ?」
自分の腹部を擦り腹筋を確認していた俺に、遠慮がちに声を掛けてきた輝一と春樹。
春樹の言葉や輝一の態度が何だか俺の事を少し知っている風だったので問いかければ、二人は肯定も否定もせず申し訳なさそうでいて困ったような、複雑な苦笑を顔に浮かべた。
「今の生徒会長が中等部でも同じ生徒会長をしていた時ね、僕は会長の補佐役をしていたんだ。あ、輝一君は中等部の時も今も同じ風紀副委員長をしている要先輩の補佐役だったんだけどね」
「え、なんかさらっと言ってるけど、二人共凄い経験してるな」
「うん。まぁ僕達にも色々あったんだけど、そこは長くなるから省略するよ? 会長と要先輩の補佐役をしていると、当時も今と同じ生徒会の会計をされていた加賀美先輩とも仲良くして貰えるようになってね、加賀美先輩の口から刻也君の事はよく聞いていたんだ」
「大抵が弟の自慢話だったけど……です」
「うわぁ、なんかごめん」
どこか遠くを見つめる輝一を見て、しぃ兄はそうとうしつこく俺の事を語っていたんだなと嫌でもわかる。
しぃ兄は春樹達に俺の事を話していた。と言っても、内容の殆どは俺が可愛いとか、俺が泣きながら怒った時、顔を真っ赤にして眉を釣り上げ怒鳴り散らしながらも言ってる事は全部心配の言葉でその姿は格別に可愛かったとか、とにかく俺が可愛いというものだったらしい。
とても恥ずかしくなってくる内容に、俺は若干熱を持ち始めた顔を右手で覆い俯き加減になりながら心の中で悶えまくる。
なんと言う褒め殺し。だがしぃ兄、俺の一体どこが可愛いと言うんだ。俺にはしぃ兄の感覚が全く理解出来ないぞ。
「加賀美先輩は刻也君の可愛い所しか僕達には語っていないけど、たまにね、あの綺麗な翡翠色が悲しげに揺れる時があった。それを見て、あ、何か訳ありなんだなぁって僕達は思ってたんだ」
「だから刻也の様子がおかしかった時、驚くより先に心配になっ……りました」
「うん。……刻也君の質問に対する答えだけど、僕達は刻也君の事は加賀美先輩から聞いていたけど、家庭事情までは知らない。でもね、今日初めて刻也君と会ってお話をして思ったんだ。僕、もっと刻也君と仲良くなりたいし、力になってあげたいなって」
「オレも、春樹と同じ……です」
「春樹、輝一……」
この二人は、天使か何かだろうか?
僕達じゃ頼りないかもだけどね。そう言って穏やかかな微笑みを浮かべる春樹と、目を逸らし照れる輝一の背中に純白の羽が生えているのを、俺は見た気がする。
「俺も、二人ともっと仲良くなりたいし、何かあれば力になりたいって思うよ」
その内、俺がしぃ兄に抱いている気持ちの事とか家の事、二人に言えたらいいな。
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