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あれから数ヶ月経ち、僕は今日も大切な人達と一緒にいる。
「圭!」
「はい!直ぐに行きます」
一つ変わった事と言えば、緘黙な料理人のご主人が僕を名前で呼んでくれるようになった。照れ屋なの、そう言って笑った女将さんをばつの悪そうな顔で見て、咳払いをすると圭と名前で呼んでくれた。そして僕が料理を教えて欲しいと頼むと渋い顔で了承してくれた。これまでは簡単な手伝いだけだったけれど、本格的に習うつもりでいる。
「あの人ね、とても喜んでいたわ。圭ちゃんが料理を教わりたいって言ってくれた事」
「え?」
「俺の息子に得意料理を教えてやるんだって、張り切っているの」
その時の様子を思い出したのか、女将さんは楽しそうだ。
「圭ちゃんの作った料理を一番に食べるのは私達よ!約束ね」
「はい!」
「そういえば、さっき予約が入ったの。男性の方、一名よ。お昼頃にいらっしゃるそうだから」
あの日の事はもう忘れようと思っていたし、実際忘れつつあった。胸の痛みも直ぐに消えた。痛んだ理由は考えないようにしていた。今更、何かに気付いたところでどうにもならない。どうにかするつもりもないなら、蓋をしてしまえば良い。
「…圭」
その見えない箱に重たい鍵を掛けた。もう二度と開く事がないように。
「…もう来ないで下さいと、お願いしたはずです」
笑顔を作る事は出来なかった。彼は僕と目を合わせたまま少しだけ眉を下げた。
「迷惑だという事は、分かっている。でも、お前に会いたかった」
「勝手ですね」
つい漏れた言葉に棘があったのは、自分がよく分かっている。
「…すまない」
彼はそれでも目を逸らさない。
「いらっしゃいませ。さあ、どうぞ」
女将さんがいつの間にか僕達の傍に来ていた。
「ご予約の方よ。さあ、お部屋にご案内して」
「…え?あ、はい」
彼の荷物を預かり部屋へと案内する。
「圭の頼みを聞けなくてすまない。勝手だと分かっている。それでも、お前に会いたかった」
部屋に入った途端に言われた言葉に何も返せず僕は唇を噛み締める。心の中にある重たい鍵を掛けたはずの箱がガタガタと揺れている。
「それと、会社は随分前に辞めたんだ」
「え?」
彼は僕の傍まで来て、僕の顔をじっと見た後、自嘲的な笑みを浮かべて言った。
「圭を守りたくて、ずっと傍にいたくて、その為の力を付けたくて必死に仕事をして上へ行こうとしていた。それなのに、いつの間にかそれは自分自身の為になっていた。圭が居なくなって、その事を思い出した。だから会社を辞めた。今は友人が興した会社で働いている」
どうしてそれが会社を辞めた理由になるのか、僕には少しも分からなかった。
「圭がいないのなら、上へ上がる必要なんて無い。役職も高い給料も要らない。圭がいないのなら、それに何の価値も無い」
いや、彼にとって価値があったはずだ。だから彼はそれを選んだ。彼が望むものを手に入れる為に必要なのは僕じゃなかった、あの女性だった。
「あの日、圭に手を上げてしまった夜、彼女に全てを話した。俺が会社も辞めた後も彼女と連絡は取っていなかった。でもつい最近、数年振りに連絡があった。それが圭を見付けた時だ」
騒がしかった箱が静かになり、心の奥底へと沈んで行く。
「僕は、貴方に会いたくありませんでした。二度と、会うつもりもありませんでした。それは貴方も同じだと思っていました。いえ、同じじゃないと駄目なんです。だって」
僕は貴方を傷付けたかったのだろうか。
「貴方が、僕を捨てたんです」
きっと彼は過去を思い出し、傷付く。
「僕は、貴方を愛していません」
僕は、そんな事を望んでいただろうか。
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