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黄金の王妃・11
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ついに、花火の日が来てしまった。
王様が首都へと出発してから、1週間。1週間もかからない、っていう王様の最初の言葉は、現実にならなかった。
王様の側近も、近衛兵も、昨日から色んな準備で忙しそうだった。
それはオレも同じで、慣れない打ち合わせとか、色んな決定事項への承認とか、準備に色々翻弄された。
キクエさん達も、忙しそうだった。
何をそんなにバタバタしてるのかなって思ってたら、夕方いきなりお風呂に入れられた。
「今日は王様ご不在の中、お1人でバルコニーにお出ましになられるんですから」
「そうですわ、特に念入りにお支度なさいませんと」
そんなセリフを楽しそうに言いながら、侍女のみんながオレをピカピカに磨き上げた。
確かに、花火の始まる前にバルコニーに出て、集まってくれた職人さんたちに顔を見せる予定だ。
でも、花火は暗い時間に見るものだし……王妃が顔を見せて手を振る、っていう行為そのものが重要なんであって、着飾ってるかどうかは、どうでもいいんじゃないのかな?
そもそも、暗くてよく見えないんじゃないのかな?
それに……王様もいないのに、「特に念入りに」なんて、する必要ない。
「いい香りだな」って誉めても貰えないのに、バラのオイルも必要ない。
でも、オレの気持ちをよそに、侍女たちはいつものバラのオイルをオレに擦り込み、華やかな絹の服を着せ、特に念入りなお化粧をした。
みんなにそういうお世話をされるのにも、今ではかなり慣れて来たけど、やっぱり裸を見られるのは色々と恥ずかしい。
キクエさんたちはともかく、同年代のシノーカちゃんには特に恥ずかしいし見られたくないから、彼女はもっぱらお茶係だ。
「湯上りには冷たいお茶をいかがですか?」
シノーカちゃんの用意してくれたお茶を、「ありがとう」と受け取って、湖の向こう、朱色に染まり始めた空を眺める。
ぼうっと考えるのは、王様のことだ。
間に合わないって分かってるのに、この期に及んで、まだ王様を待ってるなんて。いい加減、諦めが悪いと自分でも思う。
こんな風に未練たっぷりなの、王妃らしくないかな?
王様からの手紙には、側近の人達もビックリしてた。
花火に間に合わないっていうのも驚きだったけど、内容の簡潔さも意外だった、って。
「誰に見られてもいいように……というよりは、誰かに見られることを前提として書かれていたように思います」
ビルジ先生が神妙な顔で、オレに手紙を返してくれた。
「封蝋されていなかったのも妙ですし、王妃様へのお気遣いの言葉がないのもおかしい」
って。
封蝋っていうのは、封筒に特殊なロウソクを使って封をすることだ。未開封の証拠になるんだって。
それぞれ差出人を表す印があって、王様のは剣と王冠、オレのは月と王冠。親書の封にはこれを付けるのが普通らしいんだけど、オレはまだ使ったことがなかった。
「使者を疑う訳ではありませんが、こうした疑問の種を放置しておくのはよろしくない。クーデターの一味は一掃したはずですが、まだ残党が潜んでいてもおかしくはありません」
いつになく厳しい顔で告げられると、「そうですね」ってうなずくしかない。
「試しにこちらからも、何通か一度に親書を送ってみましょう」
そう言われて、オレも1通、王様に手紙を書くことになった。
「いっそ、恨み言でも書いてしまわれたらよろしいのですわ」
キクエさんにはそう言われたけど、まさかそんな訳にもいかない。
とはいえ、親兄弟も親戚も友達さえもいなかったから、今までオレ、手紙を書いたこともなかった。どう書けばいいかも分かんないし、何を書けばいいのかも分かんなくて、戸惑う。
――セレム様。お元気そうで安心しました。
そこまで書いて筆が止まっちゃったオレを見て、キクエさんが「まあまあ」っておかしそうに笑った。
「他愛もないことでも、きっと陛下は喜ばれますよ」
そう言われても、「他愛もないこと」がよく分かんない。
でもこれは、手紙のやり取りに不自然さがないか、確かめるためのものだから、中身は何でもいいのかも。
結局オレが書いたのは、「一緒に抜け道探検に行きたい」ってことと、「湖の管理人を見て、自分が汚かったことを思い出した」ってことの、2つだった。
すっごく短い手紙になっちゃったけど、やっぱり恨み言は書きたくないし、「寂しい」なんて泣き言も書きたくない。そうしたらやっぱり、書けるのは他愛もないことしかなかった。
少し前まで、ガリガリで貧相でボサボサ髪の、みにくい垢まみれの下働きだったのに。今はそれが、勇猛で聡明な「くろがね王」の王妃様なんだから……運命って不思議だ。
オレに両親はいないけど、もしこれを知ったら、驚くんじゃないのかな?
赤い特殊なロウソクに火を点けて、封筒に少し垂らして蝋印を押す。初めての手紙、初めての封蝋は意外と上手く押せて良かった。
それをビルジ先生に渡して、他の手紙と共に使者に託したのが2日前。
もし王様がまだ宮殿にいるのなら、まだ手紙は届いてない。なのに、すっごくそわそわした。
あの手紙を読んで、オレのこと思い出して、馬を走らせて帰って来てくれるんじゃないかな、って。深みのある低い声で「アイタージュ、待たせたな」ってオレを呼んで、そのたくましい腕の中に抱き締めてくれるんじゃないかな、って。
でも……そんなのは、有り得ない。
「王妃様、そろそろバルコニーへ」
キクエさんが労わるように、温かい手でそっと背中を押してくれた。
バルコニーの前に行くと、そこに控えてた近衛兵は、エール君とイゼル君。王様の短い手紙にあった指示通り、オレの側についててくれる。
「あまりバルコニーの端近には、お寄りになりませんよう」
エール君が、いつもの真面目な調子で頭を下げた。
「はい」
王様の手紙には、バルコニーに出て花火を見ないようにとも書いてあったけど、職人さんたちやみんなに挨拶は大事だし。少しだけ顔を出して手を振って、しばらくしたら引っ込む予定だ。
夜だし、足元が見えないから、危なそうに思うのかな?
でも、バルコニーの両端には大きなかがり火が2つ用意されていて、明るさには問題ない。むしろ、花火を見るのにはちょっと邪魔だから、挨拶が終わったら消そうかって話もあった。
オレの姿がよく見えるようにってことなんだろうけど、そんなのいらないのになぁとも思う。
美しくて華があって、姿を見てるだけで胸がいっぱいになるような、完璧な「くろがね王」ならともかく……オレなんかが着飾って出たって、みんなが喜ぶとも思えない。
みんなに必要なのは「王妃の挨拶」で――オレの顔を見ることじゃないと思うんだけど。
ああ、でも……かがり火が明るいお陰で、湖に浮かぶ花火の船も、岸に集う職人も、向こう岸の大勢の民も、みんな暗い影に見える。
これなら緊張しなくていいかも知れない。
エール君とイゼル君、2人の近衛兵を両脇に従え、3人でバルコニーに1歩踏み出す。途端に、どわっと歓声が上がった。
「わー」とも「きゃー」とも聞こえる声。王様がいないのに、みんな嬉しそうなのは、今から珍しい花火が見られるからだろうか?
オレは苦笑して、手を振った。
夕陽が沈んで間もなくの、少し赤みを残す空。
空を映す水平線。
湖に浮かぶ、たくさんの舟のシルエット。
目を奪われる美しい風景にも、やっぱり「王様と見たかったな」としか考えられなくて。それだけで、頭がいっぱいだった。
だから……足元の岸辺の暗い木立の奥なんて、そんなとこは見なかった。
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