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◇◇◇◇◇
私こと、井水新(いすい あらた)は、この春に高校1年になる。
春生まれで、お釈迦様と誕生日が一緒な、お蔭様なのか、妙に運が強いと専らの評判だ。
曽祖父が築いたそこそこの商社は、祖父や父が勤勉に大きくしてくれ、今は大会社になっていて。
私は暢気な3人兄弟の末っ子で。
裕福な家で、将来のプレッシャーもなく、ただ成長し好きな道に進める、何の不自由もない恵まれた環境の中の無邪気な小学生の子供だった。
歳の離れた兄達が周囲の期待を損ねずに、名のある大学に進み。
長男の鷹哉(たかや)兄さんは後継者として申し分なく経済学部で優秀な成績を収め。
年子の奏(かなた)兄さんは商業法の勉強中で。
互いに仲の良い二人の息子達が、きちんと会社を支えて行ってくれることを信じている穏やかな家庭。
暦が弥生に変わる前。
多忙な父の予定に合わせ、家族だけで催した鷹哉兄さんの卒業の前祝いの席を終え、貸切のレストランから帰る車に、身勝手な大型トラックの酔っ払い運転手が、ラインから猛スピードで、はみ出して向かって来るなんて露ほども知らず。
首都高を長時間通行止めにし大渋滞させた大事故が起き。
炎上した車から、私の同居する家族は誰も生還しなかった。
祖父だけ、別の車で社に戻り、本家の自らの住まいに戻っていて。
・・・・・・私は、ただ一人、その日、朝から高熱を出していて、宴席に加われず。
妙に浮かれた母が、「お土産と、嬉しいニュースを持って帰るからね」と、頭を撫でてくれたのが家族の誰かと交わした最後の会話。
呆然とその一報を受け、訳がわからぬまま男泣きする祖父の隣で着慣れぬ喪服を着て、遽しく過ぎる仰々しい葬儀の日々の間、参列者の前に立ち尽くす私の耳に、「奥様、ご懐妊なさっていたらしい。四十過ぎの恥かきっ子だけど待望の女の子なんだって社長は喜んでおられたのに」と、聞こえたとき。
この世に一人残されたのだと、強く感じた。
祖父を慰めるためなのか、しきりに私が生き残ったことを口々に不幸中の幸いだと弔問客は言い、その度に祖父は大きく頷き、私を抱きしめたけれど。
三男坊の私などどうでもいいように扱って来た祖父に、親愛の情は湧かなかった。
そんな強運ならば、一緒について行ける方に使いたかったと。
肉親を一挙に奪われ、日々を本家に引き取られ、一人部屋に籠って泣き暮らした10歳の私。
一人っ子の父が憧れた沢山の子供がいる暖かな家庭で、唯一残された血脈である私。
兄達が施されたであろう英才教育が、急遽、私に向けられ。
ひとりぼっちの11歳の誕生日を迎える心を閉ざしかけた私を、見かねつつも会長職に退いた身を社長に復帰し多忙を極める祖父が、私の寂しさを紛らわす為に使わしてくれた一人の孤児。
真っ白なふわふわの毛を持った小さなチワワを抱いた9歳の、私の小学校の同級生女子達を束にしても適わないくらい容色が美しく可憐なーー男の子。
暗晦で気鬱に満ち満ちた私の部屋に、一条の光とともに、現れてくれた。
祖父は私に、「人間」をくれたのだ。
「こんばんは、新さま。僕たちに名前を下さいませ」
戸籍上は、祖父の第一秘書の小川の養子として引き取られた子。
祖父のプレゼントである仔犬の世話係として私に仕える子で、元々あった名を変えさせ私だけのものであることを印象付ける為に、祖父は彼と仔犬の命名権を私に与えた。
私は、私の家族に共通していた法則に則り、彼と雌の仔犬に名前を授けた。
「君の名は、ちしき。仔犬の名は、ロコ。井水の子供はね、同じ母音を重ねた名前にするんだ」
「ボインってなんですか?」
「小学校で習ったろう、ローマ字とかで。母音が一緒で意味が通じる言葉って珍しいんだよって、お父様とお母様が拘って考えてくれたんだ。本当は犬はエメがいいかなって思ったんだけど」
「どうしてやめたんですか?」
「妹の名前だから。会えないまま死んじゃった。お墓にはお父様が考えていた名前を書いてもらったけど」
その頃の私は笑うことが出来なくなっていて。
ぼんやり紡ぐ私の言葉に、痛ましそうに慈愛を込めた微笑を浮かべて、彼は手の中のすやすや眠る仔犬をそっと私に手渡し、囁く様に「お許し下さい」と告げ。
ふんわり、と、唯々、抱き締めてくれた。
私は、多分、あの時から、彼に恋を、し続けている。
それだけは、強運に感謝せねばと思う。
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