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九話
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まったく。この世はどうにも楽しいもんだが、同時にクソというほど面倒だ。
煙草を咥えて煙を吐きながら、兄からの手紙に目を通す。やっと羽毛混じりではなくなったフロレンツが「俺宛て」だと言って持ってきた封筒の数は、なんと二桁を超えていた。
先日返事をしなかったのがまずかったらしい。人に惑わされるなだの、そろそろ身を固めろだの、はじめの数通はいつものお説教だったが……後半の手紙はなぜだか焦った筆跡で、俺のことを心配したり、「怒った?」とか「お兄ちゃんはどうしたら良いのですか」とか、なんとも言い難い内容になっていった。まあここまでやられようとも、「知るか」という返事で返すんだが。机の上に山積みになっている手紙をすべてまとめて、鞄の中にしまう。
……強い薬の臭い。もっと薄ければ爽やかな香りだったのだろうが、煮詰められて濃くなればそれはもう、下手すれば鼻が曲がる気すらしてくるくらいだ。そりゃあ、それだけとんでもないものを煮込んでるんだから当たり前だけれど。
「……ねェ。僕はいつになったら帰してもらえるのかなァ……」
呆れたような、退屈そうな声が聞こえた。カミルだ。毛布で簀巻きにされた状態で椅子に座っている。
あれから一夜明けて、昼。……ちょっとばかり無理をしたもんだから、夕方からずっと眠ってて、二時間ほど前に目が覚めたばかりだ。
ま、聞き出したレシピが間違っていたら話にならねえからな。サクッとカミルを殴って、フロレンツにかけた魔術を解析して適当に薬を作り、あれの羽毛を引きちぎってやって――いや、引きちぎってはいないが、そういう勢いではあった――今に至る。逃げようとする気配はないし、そもそも疲弊してるんだから気力もないだろう。それでも簀巻きにしているのは……まあ、なんだ。
「安静にできないガキを野放しにできるかよ」
このアホ、放っておくと何をしでかすか分からないからな。昔から無茶ばっかして。昨日だってそうだ。ああいう、身の丈に合わないような化け物を使役するのなんて、こいつには無理だ。まあ? 俺様みたいな魔力無尽蔵なら? 話は別だけどなぁあ!! ……変なところで優越感覚えるのはやめておこう。
フロレンツの件は、配合が微妙に違った事と、カミルの血が混ざっていた事が失敗した原因のようだった。そりゃあ、血とかいう情報の詰まった品を、別個体のものと混ぜりゃあ、ちょっとやそっとの事じゃあ解呪出来なくなるわな……標準のテクではあるが、まさか自分の血を混ぜるとは。下手すりゃ呪いが返ってくるのに。
「今回は大目に見てやる。次やらかしたら、今度こそ、お前の腕を使い物にならなくしてやるからな」
もちろん物理的な意味ではないが、それも考えてはいるが、そこまでやる意味もない。どんなに嫌な人間でも、ほっとけばそのうち死んでくれるからな。寿命差っていうのは便利なもんで……。
「ほら。服は脱いでおけよ」
アルフレートの前に、薬で満たされたマグカップを置く。……見た目はやっぱりヤバいが、もう作るこっちも、飲まされるあっちも慣れたものだ。中味を覗き込むと、あからさまに嫌そうな顔をした。
「……弾け飛ぶのかな」
「その通り」
フロレンツは元から全裸だったから弾け飛ばなかっただけで。アルフレートは苦笑しながら、シャツのボタンに手をかけるが……。
「……あっち、向いててくれるかな?」
なんか今更だな。お前の裸なんかもはや見慣れてるっつーの。タオルを手渡してそのまま後ろを向く。……ついでにコートを脱いで、それをカミルの頭に被せておいた。もごもごと文句を言っているがまあいいだろ、うん。
衣擦れの音。シルク特有の、きし、きしという心地のよいものだ。ぱさりと布が落ちる音がした。
しばらく間を置いた後。黒い閃光が真横を走り抜けていった。無音、無言。振り返ろうとしたが、言いつけを守ってやめておく。
「まずい」
……若い男の声がした。けほ、と咳き込んだ声は低いが、どこか聞き覚えがある。何故だかゾクっとした。
「……アルフレート?」
背後にいるであろう男に、声を掛ける。ああ、ちょっと待って、なんていう、いつものような声の抑揚で返事をしてきた。
……その数十秒後。そろそろかと振り返ってみる、と、視界に広がるのはなんだか見慣れない光景だった。
一言で言うなら……。「誰だお前」って感じ。
変わらない猫っ毛な髪と、緑の目。だが先ほどとは違い、ずいぶんと背の高い青年がそこにいた。薄手のシャツとスラックスを着たそれの首には、チェーンに通された指輪。付けているイヤリングも、間違いなくアルフレートのものだった。
……す、すげー育ったなあ。あんなに可愛かったのに、なんか、こう……目元の優しいお兄さんみたいになってら。へ、へえー!
その当人は、自分の手を見ながら、握ったり開いたりして感覚を確かめている。
「……ありがとう。なんとかなったみたいだ」
ふにゃ。そんな音がしそうなやわらかい笑顔。どうしよう! なんて言ってやったらいいんだ!? とりあえず近づいて、つま先――まだ素足だ――から顔までを舐めるように眺めてみる。俺やフロレンツよりも背が高い。当たり前だが外見も俺より年食ってる。けれどそこまで年上に見える気はしない……。
「そんなに見つめられると、恥ずかしいんだけど」
言われて、顔をじっと見つめていたことに気づく。すぐにそっぽを向いたが……くすくす笑う声に面影を見つけて、少し安心した。
手が俺の頬に伸ばされる。肌を撫でる手が、大きい。ただそれだけのことだ。なのに落ち着かない。
「もしどこかが失敗してたら、大変だろ」
言い訳だ。誰にでも分かるだろうに、彼は「そうか」だけで済ませてしまった。
頬を撫でていた手が腰に下りてきて、そのまま引かれ、抱きしめられる。思わずカミルの存在を思い出して振り返るが、……そうだ。カミルにはコート被せたままだった。なにが起こっているのか分かっていないようだし、そもそも興味もなさそうだから……いいか。許してやろう。
……ああ、なんだ。結構楽しかったな、この依頼……っつーか、こいつと暮らすの。
帰ったら自分でメシを作らねばならない。だがこいつに薬を作る必要もなくなる。夜中に起されることもないし、朝だって長く眠っていられて、……あ、あれ? なんで俺、寂しくなってんだよ。
「……ねえ、マリウス」
低い声が耳元で囁く。……アルフレートの、本当の声。まるで別人みたいだ。返事はしなかった。それでも、その声は勝手に話し始める。
「色々と、迷惑をかけたね。ありがとう。……今後はおれも、気をつけるから」
いつものように、俺の髪を手櫛で整えながら言う。なんでお前までしんみりしちゃってるんだよ。心臓が痛い。締め付けられている。いや、握られている。こいつ、自分の手に力を込めていることに、気付いてないのか。……まったく。しょうがねえな。
「……ほんとにな。人間風情が、エルフ様を顎で使いやがって」
どういう反応を返してくるかが気になって、茶化す。苦笑いが返ってきた。
「耳、下がってるよ」
あー、いつか聞いたな、それ。いつだったか。こんなに長い期間人と過ごしたのは、久しぶりだから、うまく思い出せない。ただこいつに襲われた時に聞いたってのは、しっかりと覚えている。んで、耳しゃぶられて。うーん。思い出すだけで、……あれ? たいした嫌悪感はねえな。とうとうおかしくなったか。
……おかしくなってても、いいか。
手を伸ばす。アルフレートのシャツの襟を掴んで、手前に引き寄せた。
怖くて、目を開けている事ができなかった。
唇が触れる。やわこくは、ない。男の唇だ。薄く開いた唇を舌で割る。苦い。あの薬の味。喰らいつくように何度も、何度も。遊びでするようなものじゃない、とびきりのものを。
なんで俺、こんなことしてるんだろう。
「……マリウス」
少し、呼吸が荒い。驚き半分、喜び半分みたいな顔して、俺の名を呼んだ。間抜けなツラしてるのに気づいてるのか、気づいてないのか。説明を求めているのだろうと、口を開く。
「お前が望むなら、だけど。……これからも、俺に頼るといい。俺様は「超」一流だからな」
襟から手を離して、ぽん、と肩を叩いた。そりゃあもう金払いが良くて、余計な文句もつけてこない優良そのものな客だ。いわば金づる。安定した報酬を与えてくれる経済力の良さ。そんな上客をここで逃してたまるか! サービスだよ、サービス! ……本当は、それだけじゃあないけど。
「……ありがと」
あー……かわいい。やっぱ、人間の年齢なんてどうでもいいな。かわいいもんはかわいいし、ガキはガキだ。時間が流れる限り、何があろうとも、ずっとそうだ。
背伸びして、もう一度口付ける。……いいんだろうか。告白も何もしていない相手とこんな事して。良いんだよ。俺は。……たぶん、アルフレートも同じだろうし……。
「なァ……僕のこと、忘れてない?」
……はっ。
振り返る。そうだ。そういえば、居た。簀巻きにして椅子に座らせた奴が、すぐそこに。
……コートの隙間から、ピンク色の瞳と、真っ赤になった顔が覗いて……。
……あぁー……!!
……そして、数日後。
数えてみれば、アルフレートの屋敷に住み込んでいた期間は、たったの二週間程度だった。それでも疲れというものは溜まるもんで、帰ってきた直後の二日間くらい、泥のように眠っては起きてメシと用を足してまた寝る……みたいな、クソというほど不養生な生活を送り、やっと調子が戻ってきた頃。
早朝、やっと鳥が鳴き始めたくらいの、明るいとはいえない空が広がる時間帯に、誰かが部屋の扉をコンコンと叩いている。
その音で目が覚めて、眼鏡をかけてから、ドアを開けてみたわけだが……ごん、という嫌な音と手ごたえがした。
思わずドアの隙間から頭を出して確認してみるが、姿がない。
まさか、と思った。ついこの間も同じシチュエーションの出来事があったのだ、忘れるはずもない。恐る恐る、視線を下ろしていく。
するとそこには、頭をぶつけたらしい子供が……。
ん? あれ? 子供。……まさか。
「あ、あ……アルフレートぉ!?」
額を押さえながらその場にうずくまっている、茶色の髪の子供。
間違いない。俺は嫌というほど見てんだ、このつむじの巻きとか、猫っ毛とか、あとこういうヘマをやらかす奴を!
「いったぁ……も、もうちょっと、ゆっくり開けてよ……」
聞きなれた愛らしい声と、涙目になった緑のくりくりとした大きい目。首からさげた指輪も変わらない。
立ち上がっても俺の肩に届かない程度の身長しかなさい、まさしく子供の体。
先日元の姿に戻ったはずのそれが、何故だかまた、俺の前に現れたわけだった。
「……な、なんでだ!?」
純粋な疑問だ。意外と早い再会を喜んでる場合でもない。そりゃあもう、俺様の術は完璧だったはずだ、副作用も何もなしの!!
「はは……。いや、その、こんな手紙が来て……開けたら、こうなっちゃった」
こちとら真剣だってのに、アルフレートは笑いながら、懐から取り出した一通の手紙を俺に手渡してくる。僅かだが、紙にまだ魔力が残っていた。
これは……差出人の名前を見ずとも分かる。便箋を広げると、案の定、筆跡は憎らしき愛弟子のものだった。内容は、こうだ。
マリウスへ。
僕のものだというのに、他人に顎で使われているのに対して、とても腹が立ったので、アルフレートの呪いを更新しておきました。
今度はもっと分かりにくく回路を組んで、マナでのロックもしたので無理だと思います。
土下座と金貨十枚で対応しますので、せいぜい頑張った後で僕の家へお越しください。
カミル様より。
……アルフレートが、楽しそうに笑っている。
おい。お前ほんとにそれでいいのかよ。笑ってていいのか。いいんだな!?
クソッ……この……ちくしょう……!!
「……ぁんの……クソ根暗ァアアアッ!!!!」
まだしばらく、住み込みは続きそうだ……。
――――――
おしらせ:
もうちょっとだけ続くんじゃ!
(後日談追加予定)
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