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鳥の羽音を聞いて、伊万里はハッと顔を上げた。
窓の外に大きな鳥の姿が見える。スイカンだった。
スイカンは、夏のみずみずしい草のような色の頭の毛をした鳥で、それが冠のように見えることからスイカン(翠冠)という名がついている。
伊万里は弾かれたように立ち上がると、早足で自室を出てある部屋に向かった。
そこは三方ををふすまで仕切られた、広々とした室だった。その室の真ん中に、しっかりした造りの止まり木だけがぽつんと置かれている。
伊万里が両開きの木窓を開け放つと、刺すような陽光とともに、スイカンが室に入ってきた。
止まり木に爪をかけるスイカンの背を見つめて、伊万里は感嘆の息をもらす。
翠の冠はもちろん、濃紺の羽の一枚一枚までもが目を見張るほど艶やかで美しい。首に巻き付けられた金糸の輪は、この皇国の皇の直属にある者の証しであった。
伊万里は腰を低めてスイカンの前に出、伏礼をして最敬礼を示した。
その格好のまま、伊万里は震えそうになる声で、ごくごく簡潔に申し上げた。
「──清珠の儀がはじまりました。
志野皇太子殿下は先日夢の中で神のお告げを聞き、次の明朝、ひとつめの試練に向かわれました」
スイカンは濃紫の眸を少しも揺らさぬまま、さっと羽を広げてふわりと浮くと、伊万里の頭上で器用に旋回し、空の彼方へと飛び去っていった。
小さくなっていく影を見つめながら、伊万里は喜びにむせびそうになるのを堪えていた。
──ようやく、己の使命をひとつ、果たせたのだと思った。
スイカンは皇の直属の部下である術官の使い魔だ。この術官は、芒のように使い魔の声を聞くことはできないが、その身に魂をのせて、己の目として意のままに操ることができる者であった。
意思のある獣の魂を乗っ取るその術は、よほど力のある術師にしかできない高度な術なのだという。
さらにスイカンともなると、代々この皇国を支えてきた歴代の皇の化身であるとされ、皇鳥として法により保護されているとても貴い生き物だ。
それを使い魔とし、現在の皇の目として国事に遣わすことを皇に進言したのは、他でもないその術官なのである。
皇の化身とも言われる皇鳥を人の手で縛るなどということは、下手をすれば打ち首も免れない大変な言上であった。
皇の重臣たちは大半の者が反対の立場に回った。当然だろう。そんなことをすれば、歴代の皇の呪いがこの皇国にふりかかるかもしれない。ただ国事に利用するというだけの理由で、皇国の命運を左右するような危険は犯せるはずもなかった。
しかし、今の皇は豪快で卓越、いいかえれば奔放で奇抜な政治をする人で、臣下たちの言葉にはよく耳を貸し議論するが、自分が一度こうと決めたことには、決定的に非であると思えない限りは徹底的に貫く主義であった。
志野は父親のそういうところをよく受け継いでいる。ひとつ大きな違いは、志野は我々臣下のことを友や兄弟のように思っていることであるが、この小さな屋敷で何年も生活を共にしていれば、そうなるのは必然だったに違いない。そしてそれが、圧倒的な存在感で家臣たちを心酔させる皇と、深い親愛と信頼で家臣たちと結ばれた志野との決定的な差であるが、どちらがより君主なのかというところは伊万里の知る由はない。
先の話の結論を言うと、皇はスイカンを使い魔にすることを許した。
皇の化身とも言われる鳥を国事に使うことで、歴代の皇たちがこの皇国の繁栄に力をお貸しくださるであればよし、お怒りを買って皇国を見限られるならば、この皇国はそこまでのものであったということだ、と。
国やそこに住まう民たちを守る立場にある皇としては、なんとも身勝手が過ぎる賭けであったが、彼は、ここで朽ちるくらいならば、わたしが必死に治め続けていようがいずれは朽ちるに決まってるのだから、ときっぱりと言い、それ以上の追及を許さなかった。
そうして皇はスイカンをくだしたことで、より絶大な権威を示し、国事においての使者を廃し、代わりに使い魔を派遣させるという、前代未聞の改革を成したのであった。
それにより、この皇国では武者よりも術者が大きな力を持つようになった。また、これも、術者を悪魔の手先として迫害する国もある中で、特別異例なことであった。
そんな特殊な国政であるから、この皇国は妖魔の皇が治めているのだと、他国の民の間で噂されていたりもする。
だが実際、使い魔を利用した政策は今のところ大成功と言ってよい。
人を走らせるよりも、よりはやく情報を伝達し合えるようになったことが大きかった。
諸問題に即座に対応できるばかりか、スイカンが頭の上を飛ぶことで、悪行をはたらこうとする者もはるかに減った。
現皇の天子としての力と、一皇国を治める皇としての手腕が疑いようもなく証明されたということである。
──しかし、今の皇朝には神子がいなかった。十七年前に死んだのだ。
神子は天子たる皇に神の言葉を伝え、政治をただしい方向へと導いたり、誤ちをただしたりする役割を担う、謂わば皇国の平和の象徴のような存在である。皇が民の頂点であるならば、神子は皇国の頂点であった。
一つの世に神子は一人しか存在しない。前の神子が死ねば、すぐに新たな神子となるべき者がどこかで産まれる。金の眸、金の髪を持って産まれるその子は、原則として皇に差し出すことが定められており、破れば、親のみならず、その血縁の者まですべて処刑される。そうして皇の手元へと渡った赤んぼうは、珠代(たましろ)と呼ばれ、成長し、清珠の儀といわれる神子になる者が必ず通る儀式を通過し、正式に神に認められて神子となるまで、大切に皇の元で育てられる。
だが、その子が神子として君臨するまでの間、皇は一切その子と会うことを拒否する。それは歴代の皇もすべて同じであった。そのため、これまでの珠代の多くは、皇の目から一切触れることのないところへ歳の若い家臣や侍女たちをつけて住居を移され、定期的に物資のやりとりなどをしながら、様子を報告させて過ごすのが慣例であった。いま、この報告の役割を担っているのがスイカンである。
志野は、皇国建立以来はじめて皇の子として産まれた珠代であった。当然、皇も皇后も志野を傍に置いておきたかっただろう。
だが例外なく、その皇も志野を手元から遠く離れた屋敷へと移すことを決めた。
そうしなければならない理由を、伊万里たちは知らされていない。なにやらよからぬ噂もあり、ひっかかるところは少なくなかったが、傷をつけぬよう宮の中に閉じ込めて育てるより、誰の目にも触れぬところでのびのびと育てたいのだという皇の言葉を、伊万里は信じた。
なにより、貧しい商家の出てある伊万里の才を見いだして文官に抜擢し、周りの者から疎まれていることを承知したうえで、志野の元へ教育係としてつけてくれた皇に、伊万里は心から感謝していたから、その人の判断を疑うようなことができるはずもなかったのだ。
──あれから、十一年もの刻が経った。
ようやく。ようやく、本当の意味で、積年の想いが報われる。
「志野殿下……」
強く賢明なあなたなら、必ずや試練を乗り越え、神子となり、この皇国を導いてくださるでしょう。
「わたしは、あなたを信じております」
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