アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
3
-
──目を覚ますと、布団の中にいた。
ぼんやりと向こうの壁を見つめてから、身を起こそうとして、全身に走る鈍い痛みに呻いた。
「よう、犬っころ。目が覚めたか?」
ふすまが開いて、大またに日向が入ってくる。
声を出そうとしたが、どうしたことか、言葉にならない。
そこでようやく、自分が獣姿のままだったことに気付いて、李雨は術を解いた。
「……おれ、また負けたのか」
枕元にどっかりと腰を下ろした日向を、見上げながら言うと、彼はちょっと眉を上げた。
「まあ、よく頑張った方だろう」
「……」
日向は、なんとなく気まずそうに頭をかいた。
「その……なんだ。
おれもちょっとやりすぎちまったし……悪かったな」
ちらと日向を見る。
あんまり申し訳なさそうな顔をしているようには見えなかった。
「そう言えって、芒に言われたんだろ」
「……あ?」
「顔に書いてあるぜ」
日向は眉間にしわを寄せて、両手で顔を挟んだ。
李雨はちょっと笑った。
「おれさ、家族みんな術者だったし、襲うのも弱っちい兎とか、狐ばっかだった。
今日みたいに、こてんぱんにやられたことって、一度もなかったんだ」
日向から目を逸らし、天井に視線を投げる。
見慣れない木目。きちんとした屋根のある家を、李雨は知らなかった。
「自分より強い相手からは逃げ続けてきた。だって、捕まったら殺されちまうからな。
生きるために、殺して、逃げて、おれにはそれしかなかった。
だから、はじめて正々堂々戦えたことが、なんか、嬉しかったんだ」
李雨はそっと自身の腕を撫でる。
ここへ来て、少しずつ肉がついてきたからだは、青あざだらけだった。
「日向は、強いよな。
おれも、日向みたいに、強くなれるかな」
わずかに沈黙がおりる。日向は、静かに口を開いた。
「……どうして強くなりたいんだ?」
「え?」
「おれは、ここに来る以前まで、自分の強さを誇示したいがためだけに、武術の腕を磨いていた。
無論、おれは強かったぞ。武官学校では、しょっちゅう上級生に喧嘩をふっかけて、その度に気の済むまで相手を叩きのめした。
最高に気持ちがよかったな、あれは。学生だったおれは、誰からも敬遠されて、友人などひとりもいなかったが、それでも構わなかった。
むしろ、弱いやつと馴れ合う必要などないとさえ思っていた」
そこで一旦言葉を切る。日向はあぐらをかいた上に組んだ指を眺めた。
「そんなだったから、十六のとき、芒や伊万里たちとともにこの屋敷へ飛ばされた。
厄介払いされたのだとわかっていただけに、腹立たしくてならなかった。
しかも、おれに与えられた役割は、六になったばかりのガキのお守りときた。
冗談じゃないと思ったな。なんでこのおれが、こんななにもない場所で、神子だかなんだかのおぼっちゃんの世話をしなきゃならんのだと」
日向は乾いた声で笑った。
「おれは武官の家系に生まれたが、お国のためだとか、忠誠だとか、そんなものはまったくもって持ち合わせていなかったからな。
皇の息子だろうがなんだろうが、おれにとって、あのころの殿下はただのガキだった。
おれは、こんなガキに武術など教えても無意味だろうと、適当にぶつからせては、なかば鬱憤を晴らすように投げ飛ばし、地面に転がした。
だが、殿下は、筋金入りの負けず嫌いでな。何度転がしても、その度に立ち上がって、泣きながら、必死に飛びついてきた」
そのときのことを思い出す日向の目は、不思議とあたたかい。李雨は無言で耳を傾けた。
「そのうち、己のしていることが虚しくなってきてな。
まだ六つのガキにやつあたりして、なにが楽しいんだと。本気でぶつかってくる相手に、おれはなぜ、本気で相手をしてやることもできないのかと。
……一度受けいれてしまえば、すとん気持ちが軽くなった。
ぐんぐん腕を上げていく殿下に、毎日の稽古をつけるのが、気付けば一日の楽しみになっていたし、己の腕を他人に見せつけるより、大切なもののために腕をふるうことのほうが、ずっと意義のあることなのではないかと思うようになった」
「……じゃあ、日向が強いのは、大切にしたいものがあるから?」
「大切なものを守りたいから、だ」
射抜くような強さをたたえた眸が、優しく細められる。
李雨はなんとなく、目が離せなかった。
「……おれは、大切なものをぜんぶ捨てて逃げてきた。
おれには、もう、守れるものがない……」
李雨の心には、ぽっかりと穴が空いている。
それは、決して他では埋めることのできない穴だった。
その穴を、ふいに冷たい風が吹き抜けるのを感じるたび、李雨は寂しくてたまらなくなった。
「……失くしてしまったのなら、新しく見つければいい。
いま、おまえの手はからっぽなのだろう?
だったら、なんでもつかみ放題だ」
「……そんな単純なこと?」
日向はあっけらかんと笑った。
「むしろ、どうして、深く考える必要がある?
つかめるものはつかんでおかないと、あとで後悔するぞ。きっとな。
なにより、手の中に守るべきものがあると、安心する」
「……なら、日向がそれになってくれる?」
日向は、ふいを食らったような顔をした。
「……おれ? なぜ、そこでおれなんだ?」
「だって、なんでもいいって言っただろ」
「まぁ、言ったが……」
彼は困ったように、頭のうしろをかいた。
「ほら、なんだ……適当に選べばいいってものではないだろう?
一度つかんだものを簡単に捨ててしまえるなら、話は別だろうが」
「じゃあ、どうすればいいんだよ」
「それは、おまえ自身が決めることだ」
「だったら、日向でいいよ。
日向、おれが、あんたのこと守ってやる」
「……」
日向は口をぽかんと開けた。
「なに? 不満か?」
「……おまえ……」
かろうじてそれだけ言うと、日向はついに、両手で頭を抱えた。
「まったく、手に負えんな、おまえというやつは……」
「日向?」
日向は上目遣いに李雨を見、やれやれと嘆息する。
それから、くしゃりと蜜柑色の前髪を乱した。
「おれなんかより、芒にしたらどうだ?
あいつはよほど、おまえのことを気にかけている」
「芒は好きだよ。優しいから。
でも、術を覚えるだけじゃ、強くはなれないだろ。
日向、おれは強くなりたい」
「強くなりたいから、おれを守ってくれるのか?
そりゃあまた、斬新な発想だ」
日向は苦笑したが、李雨は切実なほど真剣だった。
「日向、明日からおれに稽古をつけてくれ。
おれは、武器が使えないから、獣の姿じゃないと戦えないけど……」
「李雨、それはいかん。
おれにはおれのやるべきことがある。
おれはここ数日、おまえの相手をしていたせいで、殿下の武術の練習にお付き合いできていない。
それに、芒はおまえに術を教えたがっている。命の恩のある相手の願いを無下にすることは、最低な行為だぞ」
李雨はぐっと言葉に詰まる。
しばらく眸を泳がせ、なら、と口を開いた。
「夜だ。夜なら、いいだろ?
おれは夜目が利くけど、日向は夜は動きづらい。きっと、日向自身の訓練にもなる」
「李雨」
「日向! ……お願いだ」
日向は、深く息をついた。
李雨がなぜ、ここまで強くなることにこだわるのか、日向にはわからない。
どこか危ういものを直感的に感じながらも、日向は頷いてみせた。
「わかった。夜、陽が落ちたあとなら、稽古をつけてやろう」
「ほんとか?」
「ああ」
「……ありがとう」
李雨はホッとしたように、口元を綻ばせた。
それを複雑な気分で見つめながら、ふと、日向は思い出した。
「そうだ、おまえ、ちゃんと服を着ろ。
そのままでいたら風邪をひくぞ」
李雨もようやく思い出したように、からだを起こすと、枕元に用意してあった衣を引き寄せた。
「……しかし、いちいち服を着なきゃならないのは、不便だな。
部屋の外で術を使うのは、なるべく夜だけにしておけよ」
「うん、わかった」
痛みで軋むからだをなんとか動かし、時間をかけて衣を身につけると、李雨はもう一度布団にもぐった。
少しだけ言葉を交わしてから、短く別れを告げ、日向は李雨の部屋を出た。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
17 / 24