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春臣の主人は、少し不満げだった。
それというのも、自分も耳を開けるという彼を、春臣が必死でとめたからだ。
「──おまえが開けるのに、なぜおれが開けてはいけない?
そもそも、耳飾りを付けるのは、契りを交わした相手との不可侵の誓いを表すのではないか」
彼の言い分はこうだった。
これを春臣は咎めた。
「だからこそです、志野さま。
わたしごときの者があなたのお心をひとりじめするなど、あってはならないことです。
耳飾りの誓いを立てるということは、夫婦になるも同然のことで」
「だから、それで構わないと……」
「わたしは構います!
あなたが構わなくても、周りの者が構います。
ですから、どうか、それだけはおやめください」
憮然とする志野に、春臣は周りに聞こえないよう、声を低めた。
「神子ともなる者が、従僕にすぎない男と同じ耳飾りをしていたら、皆変な顔をします。
神子とは、神の前にのみ身をさらし、人としての己を捨てて、依代となる者なのでしょう。
これは体裁の問題です。あなたの意思は、周囲の関心のうちにはないのですから……」
「周囲に示しがつかないから、見てくれだけでもおとなしくしておけと?」
「……」
志野は雑踏の中でも聞こえるくらい大きなため息をつき、うんざりした様子で首をふった。
「わかった。おまえのいう通りにしよう」
思わずホッと息をつく。
志野は拗ねた顔で春臣を見下ろした。
「ただし、耳飾りの片方はおれが持つ。
これだけは断じて譲らぬ。いいな?」
春臣はそんな主人の様子に、胸の内をくすぐられるのを感じながら、頷いた。
屋敷に戻るころには、志野はすっかり上機嫌になっていた。
寝間で、主人がにこにこしているのを、なんだか心がふわふわする心地で眺めるのは、不思議な感覚だった。
「──見事なものだ。
この皇国に術者が多いことに、感謝せねばな」
彼は左手の薬指にはめた指輪を嬉しそうにかかげている。
銀細工の施された細身の輪には、とろりとした琥珀色の、小さな丸い貴石がはめ込まれている。
春臣の耳飾りと同じものだった。
金属や宝石、武器を扱う店の中には、術者を雇っているところが数多くある。
金さえ出せば、すぐにその場で、金額に応じた加工を施してくれた。
また本来なら、耳を貫通したあとは、傷口が塞がるまで、専用の金具を耳朶に通していなければならないが、それも治癒術によって、その場で塞いでもらった。
いま、春臣の右耳には、琥珀色の石が行燈の緋に揺らめいている。
志野は春臣を手招くと、そっと手を取り、そばに座らせた。
そのまま、ぽつぽつと言葉を交わす。
「……まったく、おれは、いたらぬ主人だな。
おまえの隠し事に気づけないとは」
「べつに、隠していたわけではないのですが……」
春臣はつい首をかしげた。
外に出たときに無頼漢に絡まれるのは、仕方のないことと割り切っていたし、か弱いふりをして油断を誘い、なにもされないうちに隙をついて逃げる。
それなりに武術を身に付けておいたことが幸いして、大事になるようなことは一度もなかった。
「しかし、おまえが消えたように見えたときは、肝が冷えたぞ。
まさか路地に連れ込まれているとはな」
春臣は頷いた。
「あのとき、ずっと、誰かに見られているような感じはしていたのです。
気が逸れたすきに捕まってしまい……
いつも武器を使うことはないのですが、はやく殿下のもとへ行かなければと、つい気が急いて、早まったことをしてしまいました」
「……つまり、おれが呼び止めたりしなければ、あのようなことにはならなかったわけだ」
志野は苦々しくそう言ってから、しゅんと肩を落としてしまった。
「ほんとうに、いたらない……」
春臣は慌てて言った。
「しかし、あれがあったから、殿下はわたしに耳飾りを与えてくださいました。
わたしは、あの者たちに感謝しております」
志野は苦笑した。
「あんな豚どもに感謝などくれてやるな。もったいない」
その言い方が可笑しくて、春臣はくすくすと笑った。
「……しかし、殿下はなぜ、おひとりで街におりてこられたのですか。
まさか、わたしを迎えにきたというわけではないでしょう」
志野はゆったりと笑って、ああ、と言った。
「そうだ、そうだ。すっかり忘れていた。
おまえを誘って、蓮花庵(れんげあん)に顔を出そうと思っていたのだ」
──蓮花庵は、市場から少し離れた大通りの並びにある、小さな茶屋だ。志野はそこの団子を気に入っており、街におりるたびに立ち寄っていたが、清珠の儀がはじまってから、一度も顔を出せていなかった。
春臣はふと、街で聞いた話を思い出した。
「そういえば、噂に聞いたのですが、旦那さまが急病でお倒れになり、床に臥せっているとかで、いまは若旦那さまが代わりに店を仕切っておられるようです」
志野はちょっと顔をしかめた。
「店主は大事ないのか?」
「さあ、そこまでは」
「そうか……
しかし、あの長男がなあ。あれはどうも、つかみどころのない男だ。
娼館で客を取っているという噂も聞く。まあ、あの容姿では、そのような噂が立ってもおかしくはないと思ったが」
春臣がその若旦那を見たのは、たった一度だけだったが、あまりにも印象深かったためによく憶えている。
腰まである細く癖のある髪は、ほとんど熟れた桃のような色をしており、それを軽くすくって頭の横で結い上げ、質素なかんざしを挿している。
着物は、華やかな色の女物を着ていた──衿を大きく広げて着くずし、肌や脚を敢えてさらけ出すような恰好をしていることに、春臣はかなりど肝を抜かれた──が、もっとも驚いたのは、これがあまりにもよく似合っているということだった。
この恰好は、確かに、女装をして客を取る娼館の青年に、ごく近いものがあった。
「まあ、実際のところは、どうだろうな」
「殿下は、噂は真実ではないと?」
問うと、志野はごく曖昧に首をかしげた。
「そうだなあ。
あの男がどういう人間か、おれはよく知らぬから、なんとも言えんが……
これは、ちらと見た限りの印象だがな。
あれは女のような恰好をしてはいたが、間違いなく"男"だった。
よく店の前で客寄せをしている女装の若衆にあるような、なよなよした感じが少しもない気がしたのだ」
なるほど、と春臣は頷いた。
言われてみれば確かに、彼は中性的な顔だちで女の恰好をしていたにも関わらず、あれは女だろうか、男だろうか、などという迷いは、少しも抱かなかった。
ふいに志野がいたずらっぽく笑って、春臣のあごをくいとあげた。
「どちらかと言えば、おまえの方が、女に近い感じがする」
そう言われて、春臣は思わず顔をしかめた。
「わたしが、なよなよしていると?」
志野は軽く首をかたむけ、くすりと笑った。
「いいや。男くさくないという意味だ」
「つまり、なよなよしているということなのでは……」
「まあ、そうだな、なよやかといった方が正しいかな。
おまえには、しっとりした色気がある。
一度見たら目が離せなくなるような……」
言いながら、僅かに目を細める。
その金色が、琥珀の指輪のような、深くとろりとした色に変わるのを見て、春臣はたまらず息を飲んだ。
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