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仕事を終えて茶屋から出てきた廉は、少し疲れた顔をしていた。
そもそも、彼が店の中にいること自体珍しい。父親が倒れたからとはいえ、こうしてきちんと仕事をしていることに枸々はかなり驚いた。
……廉は、店を継ぐつもりなのだろうか。
聞きたいことはあったが、結局なにひとつ聞けぬまま、彼の家へと着いてしまった。
廉の家は本人の装いとは違い、こざっぱりとしたものだった。きっと父親の趣味なのだろう、と思いながら、質素だがきちんとした内装を見渡す。
店主はどうやら白蓮が好きらしい。白蓮をかたどった模様や、絵、飾りなどが随所に見受けられた。
そういえば、廉の髪に挿してあるかんざしも白蓮の飾りがついている。
そう思って前を歩く彼の頭を眺めていたら、ふいに廉が立ち止まった。
「この部屋だよ」
言われて、枸々は無意識にからだを緊張させる。
廉は静かだがよく通る声で、中に呼びかけた。
「父さん、入るよ」
言って、返事を待たずにふすまを開いた。
すたすたと入っていく廉のあとを慌てて追って、父親の枕元に坐った彼の隣に同じように正座した。
「父さん」
呼びかけると、眠っていた男の目がゆっくりと開く。
顔色が悪く、やつれているように見えたが、廉の顔を見て笑った表情はつとめて明るかった。
「おお、おまえか。
店はどうだった?」
「今日も繁盛したよ。
そのおかげで、くたくただ」
男は声を上げて笑った。
「いままでさぼっていたツケが回ってきたな。茶の点て方だけでも、教えておいて正解だった」
「今度、甘味の作り方も教えてほしいな」
その言葉が相当嬉しかったのか、男は目元をくしゃくしゃにして笑った。
「おお、おお、もちろんだ。
おまえがやる気になってくれて、おれは嬉しいぞ」
「だから、はやく治してよね。
そのために、今日はとっておきのお医者さまを連れてきてあげたんだから」
ようやく、隣にいる枸々に気付いて、男がまばたきした。
上から下までじっと枸々を眺め、はて、と首を傾げた。
「……あんた、よくうちの店に来てくれてた人だよな?」
「は、はい。
枸々と申します。じつは、治癒術者でして……」
彼は頷いた。
「そうだったのか。
髪が黒いから、気付かなんだが、確かに眸の色が薄い。
うちの廉造(れんぞう)の知り合いか?」
枸々はちょっと迷ってから、頷く。
口を開いた。
「わたしは、代々続く治癒術者の家系に生まれました。両親と兄は官吏です。
わたし自身は、術官学校で5年間、治癒術や薬草学を学んでおりました」
言うと、男は感心したような声を上げた。
「なんとまあ、結構なことだ。
街にいる治癒術者なんぞは、どうにも頼りなくてなあ。
おい、廉造、よくこんなすごいお人を捕まえてきたじゃないか」
廉はちらと枸々の顔を見、にやっと笑ってみせた。
「ぼくは、人を見る目はあるからね」
父親はまた快活に笑う。
「まったく、生意気言いおって。
しかしな、せっかく来てくれた枸々さんには悪いが、おれはこの通り、いたって元気だぞ」
「ぼくもそう言ったんだけどねえ」
枸々は曖昧に微笑って、首をふった。
「病は気から、という言葉を用いるならば、確かにご店主はご健康に違いありませぬ。
ですが、病とはそう単純なものではないのです。
見たところ意識もはっきりしていらっしゃるので、そう深刻に考えるようなものではないと思いますが……いちおう、診せていただけますか」
男はわずかに廉と顔を見合わせたあと、枸々の目を見て頷き、廉の手を借りて上体を起こした。
枸々は軽く頭を下げてから、彼の夜着の袂を崩し、直接、胸の上に手をあてていった。
治癒の気がある者は、ある程度の能力と知識さえあれば、患者の心音や血液の流れを直接触れることで感じ取り、その状態を知ることができる。
なにか異常があれば、必ず違和感があるはずだ。そして、それはすぐに見つかった。
……血の流れる音が違う。
なにかが原因で、血液に不純なものが混じっている。
どうやら、その根源は胸の下あたりにあるようだった。
「……お聞きしたいのですが」
呟くと、男は不安げに首を傾げた。
「なにか?」
「どこかで、川の水などを飲まれたりしませんでしたか。
もしくは、魚を食べたとか……」
「それはいつのはなしだ?」
枸々は視線を動かして、計算した。
「……20日ほど前でしょうか?」
男は眉間にしわを寄せて考えながら、絞り出すような声で言った。
「……20日ほど前なら、たしか、街の外へ知り合いから麦をもらいに……ああ、そこで、川の水を飲んだような……うん、飲んだ、飲んだな。それが?」
枸々は頷いた。
「おそらくそれが病の原因でしょう。
このあたりは水の管理がきちんとされていて、どこの家も井戸から綺麗な水を引いていますが、川の水は手が行き届いていません。それが街の外ともなると……」
「綺麗な川だった気がするなあ」
「近くに住むものが、洗濯などに使っていたのかもしれません。
もうひとつ、倒れた直後のことをお聞きしたいのですが、どのような症状がありましたか?」
「そうだな……熱が出たな。あと腹を下した」
枸々は話を聞きながら、胸に安堵が広がっていくのを感じていた。
そうして肩の力を抜き、男に笑いかけた。
「どうやら、からだの中に少し悪い菌が入ってしまっただけのようです。
これから、皮膚が黄色く変色するような症状が現れるはずですが、ほうっておけばいずれ完治します」
枸々はそう言って、脇に置いた薬箱から小瓶をひとつ取り出した。
「あまり、お食事を口にされていないでしょう。
栄養が不足すると、からだが弱ってしまいます。もしどうしても食欲がないようでしたら、これを」
男は枸々から小瓶を受け取る。中には、白い丸薬がいくつか入っていた。
「これは?」
「トウガンという鉱物を煎じて固めたものです。
一粒含めば、必要な栄養を補うことができます。
ただ、これだけではやはり限界があるので、なるべくお食事はお摂りになってください。栄養があるものを中心に、なるべく偏りがないように」
枸々の言葉に頷いて、彼は軽く息をついた。
「治るのは、いつごろになるかな?」
「おそらく、あとひと月ほどもすれば」
「そうか……これは、治癒術で治すことは出来ないのか?」
枸々は目を伏せて首を横にふった。
「治癒の術はほとんど、傷を治す、痛みの原因となっているものを取り除くというようなものでして……
菌を殺したり、血液を綺麗にしたりなどということはできないのです。
大変不甲斐ないことですが、そのほうは、人間の持つ自然の治癒力に頼るしかありませぬ」
申し訳なさにうなだれてしまった枸々に、男は慌てて手をふった。
「いや、いや。こちらこそ、不躾なことを聞いてすまなかった。
治るとわかって、つい、気が急いてしまった。ほっとけば治るなら、それで充分だ」
そう言ってから、彼は嬉しそうにはにかんだ。
「しかし、こんなにあっという間に病を見抜いてしまうとは。
いやあ、枸々さんは大変よい術者だ。おれは幸運だった。
ほんとうに、どう礼をしたらよいか……」
頭を下げられ、今度は枸々が慌てる番だった。
「そんな、お礼など……
これは、わたしが勝手に申し出たことです。
わたしは、ご店主が作られる甘味が好きですので……」
男はちょっと驚いた顔をしたあと、声を上げて笑った。
「そうか、そうか。
では、礼はそれだな。枸々さんは大切なお客さまだから、今後は特別に、ただで甘味をごちそうしよう」
枸々はぎょっとして、大きくかぶりをふった。
「いけません、それは……!
あんまり申し訳なくて、枸々はお店に通えなくなってしまいます!」
これには、隣にいた廉も吹き出した。
親子に笑われた枸々は戸惑うしかない。
ようやく、笑いをおさめた廉が、涙の浮かんだ目で枸々の顔を見た。
「じゃあ、こういうのはどうかな。
ぼくは甘味作りに関しては初心者だから、父さんに何回も教わって、練習しないとならない。
その練習に付き合う代わりに、きみは好きなだけ甘味を食べられる」
すかさず、男が廉をたしなめた。
「おまえの失敗作を枸々さんに食わせようっていうのか?
それは、あまりにも失礼だぞ」
「だって、父さんのじゃ申し訳ないって言うから」
「いや、しかしだなあ」
「ねえ、枸々ちゃん、だめかな?」
「……えーと……」
それは裏を返せば、定期的にこの人に会わなければならなくなるということで。
たとえ失敗作でも好きなだけ甘味を食べられるのは嬉しいが、そのことを考えるとどうにも頷きがたい。
答えあぐねているうちに、男が気遣わしげに言った。
「枸々さん、はっきりと断ってくれて構わんよ。
こいつは甘味づくりを舐めとるんだ」
廉は頰をふくらませて父親を睨む。
枸々はおずおずと口を開いた。
「あの、お二人のお気持ちは嬉しいのですが、やはりこれはわたしが勝手にしたことですから……」
それから、微笑って付け加えた。
「ご店主が店に戻られて、またお元気に美味しい甘味を作ってくださることが、わたしにとってはなによりの褒美です」
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