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「日向も、苦労するな」
窓から庭を見下ろして、他人事のようにおれは笑った。
「昼頃から陽が暮れるまでおれの相手をしながら、夜は李雨と特訓とは。案外、あいつはお人よしな性分なのかもな」
「日向さまは、とてもお優しい方だと思います」
背後からの思わぬ言葉に、ほう、とおれは振り向く。
布団の上にしおらしく正座している春臣は、いつものようにすました顔でおれを見返した。
「おまえが他人を褒めるなんて、珍しいな。あいつとなにかあったか?」
「いえ……なにか、というほどのことは」
「では、あいつのどういうところが優しいと思った?」
ニヤニヤしながら問う。
春臣は少し首を傾げて、わずかに困ったような表現を浮かべた。
「どういうところ……ですか……」
「そう思った理由があるのだろう?」
「……それは殿下が、一番よく判っておいでなのではないですか」
ああ、その通りだ。
あいつは誰よりも仲間想いで、おれ達を守るためなら己が身がどうなっても構わないとさえ思うような男だ。そんな日向が優しくないはずがない。
しかし、聞きたいのはそういう答えではない。
「おまえが、おれ以外の者に心を開いてくれたのかと思ったのだ。
それを確かめたくてな」
白状すれば、春臣はちょっと目を丸くした。
「……わたしは、あの方々に心を開いていないように見えますか」
「ああ、見える。
というより、そうとしか見えない」
おれへの態度と比べたらなおさら、それを実感せずにはいられない。
春臣はおれのもので、春臣もそれを判っているから、特に問題視していなかったが、今後自分になにが起こるか判らないことを考えれば、春臣にはおれ以外にも頼れる存在が必要だと思った。
だが、春臣はいまいち腑に落ちない様子で口を開いた。
「そもそも、生活空間を共にしているといえ、わたしは日向さま達とあまり関わることがありません。それは殿下のご意向ではないのですか」
「おれの?」
「つまり……」
「おれがおまえを閉じ込めていると?
まぁ確かに、おまえを独り占めしていいのはおれだけだとは思っているが、おれはできるだけおまえを自由にさせているつもりだぞ。買い物もひとりで行かせるし、屋敷の中ならどこにいても構わないと」
「それは……そうですが……」
「あいつらと関わることを避けるのは、おまえの意思だろう?
おれは日向達のことを心から信頼しているよ。あいつらがおれの所有物に手を出すなど断じてするはずがないし、おまえも、おれ以外の者に浮気したりしない」
「当たり前です」
そうきっぱりと答える春臣を、おれは宝物のように思う。所有物とは形ばかりで、おれにとって春臣は、なによりも失いたくない大切な人だ。
「おれは、春臣、おまえにはあいつらを信じてほしいと思ってる。
清珠の儀が始まってから、その想いはより増した。あいつらはおれにとって家族も同然だ。今後、おれや、おれの周りの者達の身に如何なることが降りかかるか判らぬ以上、皆が互いを信頼し合い、難事には躊躇なくその手を取り、助け合っていきたい」
春臣は微かに頷く。
おれは微笑って、春臣を手招いた。
「まあ、無理をしてまで関わりを持てとまでは言わない。おまえにはおまえの縄張りがあるし、おれにとっても、おまえと過ごす時間が減るのはいやだ」
「いや、ですか」
「うむ。いやだ」
はっきり言うと、春臣は息をこぼして小さく笑った。
伸ばした両手に、細い指がそっと絡む。白く透き通った肌、窓から差し込む青白い月光、まるで、幻想でも見ているかのような景色……
「……いつか、ばちが当たるかもしれないな」
「は?」
「おまえのような美しい人を、この手で何度も穢した。
おれが抱くから、おまえにイロの匂いが染み付いてしまったのだとすれば、おれは本当に罪深いな」
「……穢れているのは、殿下ではなくわたしの方です。
あなたは、本当は、わたしのような人間が気安く触れていいような人ではないから……」
「そう思うか、春臣。
おれは出自や周りの環境が特殊なだけで、そこらの男とたいして変わりないのだがな」
さっぱりと言うおれに対し、春臣はとんでもない、というように首を横に振る。この青年に欠点があるとすれば、少しばかり真面目すぎることかもしれない。
「殿下、身も蓋もないことを言わないでください。
殿下はそのご身分に相応しく、聡明で、まっすぐで、心が清らかで、それから……」
「ああ、わかった、わかった。
おまえがおれを過剰すぎるほど尊い存在だと思ってくれていることは、よく判った」
「殿下、わたしは本気で……」
まったく、この仔は、おれのことになるとどうも冷静でいられないらしい。
おれは、興奮気味に言い募ろうとする春臣の唇に、ふにっと指を押し当てた。
「春臣、黙りなさい」
「……」
春臣の眸がぱちぱちと瞬く。
おれはそっと指を離して、春臣の顔を覗き込んだ。
「従僕として、主人を敬うのは当然のことだがな、春臣。おれ個人としては、どうも面白くない」
「はあ……」
「春臣は、おれのことが好きか?」
聞くまでもないことを、敢えて問う。
こういうとき、自分は本当にわがままだなと思う。
「……殿下?」
「好きか、と聞いている」
「……好き、です」
「どういうところが?」
「そんなもの……言い尽くせません」
困ったような言い方に、つい意地悪をしたくなる。
おれは繋いでいた手を引き寄せて、片手を春臣の腰に回した。
「いいから、言ってみろ」
「……っ」
寝衣の上から撫でると、ぴく、と微かに震えた。普通の男だったら、このくらいでは反応しないだろうに、春臣はおれの手の感触でさえ感じてしまう。
「……で、殿下は……とても、お優しいです」
「そうか」
「それから……、んっ……」
「それから?」
「っ……少し、強引で……」
「ははっ」
「お強くて……金の眸が美しくて」
「うん」
「手が暖かくて、声が心地よくて……」
「ほう」
「触れていると、とても安心できて……触れられると、気持ち……よくて」
「ああ……」
「好き……です……
あなたのすべてが好き……」
「……春臣」
引き寄せ、唇を重ねる。
考えてみれば、春臣の口からはっきりと気持ちを聞いたのは初めてだ。
唇から伝わる熱に体温が上がるのを感じながら、おれは両腕で春臣を抱き締めた。
「……おれは、本当に幸せ者だな。
なによりも愛おしい人に、こんなに愛されて、受け容れてもらえて」
「志野さま……」
「このまま、皆で静かに暮らせたらいいのにな……この小さな屋敷で。皇子だの、神子だの、試練だの、そんなことは一切忘れて。
……いまがこんなに満たされていると、つい、そんなことを考えてしまうよ」
「……」
「……すまない、おれらしくもなかったな」
春臣の前でさえ、弱い自分は見せたくはないと思っていた。
儀式が始まる前も、始まってからも、どうにかなるだろうという気持ちで過ごしていたつもりだったのに、己でも気付かない内に鬱屈していたのかもしれなかった。
「……わたしには、志野さまのお言葉に頷くことはできません。
わたしは……わたしでは、志野さまのお気持ちを晴らすことはできませんか……?」
「……春臣」
「志野さまが望むなら、わたしはなんでもします。あなたを心から信じてるから」
「……ああ。
おれも、おまえを信じている」
思う通りに、望む通りに。
そうやって春臣を縛り付けて、自由を奪い、己のものにした。
誰にも見せたくない。渡したくない。失いたくない。閉じ込めたい。そばにいたい。
誰を信じているとかいないとか、そんなこと、本当は関係がない。愛おしく思えば思うほど、恰好付けて隠した、みっともない感情が浮上する。
判っている。春臣が他人と打ち解けることができないのは、春臣のせいだけではない。
「つくづく駄目な男だな、おれは」
「志野さまはそうやって、すぐご自分を卑下なさる」
不満げな声。むくれた顔が見たくて、身体を離した。
「おれは真実を言っているのだがな」
苦笑するおれに対し、春臣はさらに表情を険しくして、おれを睨みつけた。
「あなたのそういうところは、少し嫌いです」
「おれのすべてが好きなのではなかったのか?」
「……好きですけど、嫌いなんです」
「ははっ……なんだ、それは」
春臣の純粋さが、ときおり羨ましくなる。
だからこそおれは春臣に惹かれてやまないのだが。
「怒った顔も可愛いな、おまえは……」
髪を軽く撫で、冷たい耳飾りに触れる。おれ達の契りの証……
「さあ……夜は長いぞ」
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