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囚われた春の日2
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「宍戸くん、今度二人でご飯食べに行こうよ」
派手な格好の女に話しかけられ、思わず反吐が出そうになった。
何度か話しかけてくることがある一学年上の女だ。胸元が大きく開いた服。短いスカート。品の無い化粧の仕方……。
どれだけ自分が魅力的だと思っているのか。
親父のツテや、政治家であった祖父が築いた権力と財産に目が眩んだ女たちは多かった。
そして、幼い頃からそういう人間に囲まれて生きていた。
「ね、いいじゃん。遊び行こぉよ」
どうせならこんな安っぽい売女ではなく、後腐れがないような精神的に大人の女性がいい。
「そうだね。時間があればね……」
そうおざなりで答える。
会社の仕事を手伝う名目があるのは周りにも知り及ぶところだ。
実行に移されることなど永遠にない――そんな社交辞令の言葉を間に受けた女はそれだけで喜んだ。
「約束よ、宍戸くん」
勝ち誇ったような女の笑顔。
その女の背後を……またマスクをつけた彼が通り過ぎていく。
俺の方に、一度も目を向けることなく、だからといって気づかないフリをしているわけではなく……。
本当に彼は俺の存在など気にしていないのだ。
もう花粉の時期も終わる筈なのに、聖はまだマスクを外さない。
杉だけではなく、檜の花粉も持っているのだろうか。
目の前に彼が来る度に意識して目で追うのに、まだ聖の顔を見たことがない。
最初はそれほど強い思いではなかった。
さりげなく目で追う程度。
それが、徐々に変わっていく。
そして、あることに気づいてから、聖のことがもっと知りたいという思いが強くなった。
……そう、俺は気づいてしまった。
聖はいつも時間ギリギリにくる。授業にも、学校にもだ。
最初はだらしない奴なだけかと思った。
けれど、彼は決して遅刻することはない。
いつも余裕を持って、ギリギリに来る。
まるで人との接触を極力避けるかのようなやり方を、上手くしているのだ。
嫌味にならず、怒られない範囲で、彼は上手く立ち回っている。
人との間にある一定の距離感……それでも、友達が多いのは人当たりの良さがあるからなのだろう。
周りの誰もが気づかない、そんな彼の立ち居振る舞い――それを知った時、なんとも言えない嬉しさがこみ上げてきた。
初めてできた、気になる存在。
初めて興味を持った人間。
彼に抱くこの感情が一体どういうものなのか、俺にはまだ理解することができなかった。
――――――――――――――――
五月になった。
桜の面影は完全に消え、新緑が青々と茂っていた。
世の中はゴールデンウィークになっていた。
そして俺は、生まれて初めて「学校」という場所に行けない事を寂しいと思った。
たかだか一週間程度の休みなのに、聖がどうしているかが気になった。
聖はサークルにも参加していない。
誰か特定の仲のいい友人がいるようには見えなかったけれど、ゴールデンウィーク中はどうしているのだろうか?
どこかに出かけているのだろうか?
それともずっと家にいるのだろうか?
彼は実家から学校に通っているのだろうか?
恋人はいるのだろうか?
その恋人と、一体何処に行っているのだろうか――――
狂ったようにカレンダーの日付を見た。
たった一週間程度のゴールデンウィークを、こんなに長いと思ったのは初めてだった。
長い休みを過ぎ、ようやく学校が始まる。
朝、学校で彼の姿を見たときは思わず安堵のため息が出た。
相変わらずマスクをつけたまま。
そしてやはり、彼はいつものようにギリギリまで人が来ないベンチに座り、時間を潰していた。
風でそよぐ髪。彼は本を読んでいることが多い。
一体何の本を読んでいるのだろうか。
さりげなく、彼の前を歩く。
人通りがない裏門付近だ。前を歩けば嫌でも目に入るだろう。
彼の視線がこちらを向かないかと、胸を高鳴らせながら、彼の前を通り過ぎた。
…………けれども、彼は一度も顔を上げなかった。
聖はアパートに住んでいる。
何処に住んでるか知りたくて、彼の家の場所を調べた時、自分の行動の異常さに驚く以上に、彼の生活する場所を知れたことが嬉しかった。
彼は昼休みも自転車に乗ってアパートに帰ることが多い。
土日も家にいる。彼の生活の基盤を知っても、それでも彼がわからない。
聖は自分の世界を持っているのだろう。
特定の人と仲良くしている様子はないが、ごく稀に食堂で友人とお茶を飲むこともあった。
その時は、彼の顔が見たくて必死に回り込む。
大抵俺の方が取り巻きに囲まれてしまい、上手くいかないことが多かった。
あの長い休みを挟み、彼への興味はより深いものになっていた。
親の目や人の目に誘導されるまま、人形のように生きる俺とは違う。
群れず、靡かず、だからといって反発も否ない。
初めて感じる劣等感。
親によく、「お前には野心がない」と叱責されることがあった。
「野心」とはなんなのだ?
欲望という悪なのか、それとも向上心という善なのか。
そう純粋に疑問に思う。
彼のことを知りたい。
彼に意識される人間になりたい。
果たして、これは野心と言えるのだろうか……。
そしてついに、彼の顔を見た。
自販機でジュースを買い、彼はマスクを外してそれを飲んだのだ。
――――それを、彼をずっと覗き見ていた俺は見たのだ。
やっと、やっと見れた…………
聖は普通の青年だった。
髪こそ金髪に染めてるけれど、本当に普通の、そんな平凡な男だった。
それでも、彼が見れたことが嬉しかった。
気づくと、講義室に置いてあった、彼が飲んでいたペットボトルを手にしていた。
「そうか……」
その時、自分が聖に惹かれていることに、ようやく気がついたのだ。
――――――――――――――――
人と関わりを持たない聖が、必ず定期的に通う場所、それが学校の図書室だった。
流石にあまり人がいない図書室で彼を追い回すことはできず、図書室の角にあるソファーに座り、その様子を見守る。
いつも聖は、本のラベルを見るだけでも嬉しそうだった。
本を手に取り、表紙を眺め、後ろのあらすじを読む。
時たまスマホを取り出して何かを確認しているのは、その本の評価を調べているのだろうか。
いつも楽しそうに本を選ぶ青年は、家に帰ってずっと本を読んでいるのだろう。
大抵次の日には読み終わり、本を返しに来る。
早い時には、1日で3冊程返すこともある。
図書室の司書の中年女性とは、友達と話すよりも楽しそうに笑いあっている。
人と深く関わり合いを持たないわりに、随分と懐っこい話し方をする。
性格が悪いわけではない。
彼はとても、善良なのだろう。
「何でアンタいつもマスクをつけてるんだい?」
「えー! 杉山さんそれ聞くのー?!」
疑問に思っていたことを、女性が聞いた。
続きが気になって、本を選ぶふりをしながらそっと近く。
「ほら俺、髪金髪なのに顔は地味じゃんー? 染めたはいいけどなんかもー恥ずかしくってさ!」
「あらあらあら。そんなことないわよ! 取ってた方がいいわよ! 表情見えてた方が明るくて可愛いわ!」
あそこで彼と話す女性が自分だったら……そうしたらどれだけ良いだろうか。
マスクをずらした彼が、満面の笑みで女性と話している。
あの笑顔をこちらに向けて欲しい。
笑顔だけではない……まるで空気のように、いないもののように扱われるのは嫌だった。
夕焼けに照らされた図書室で、屈託のない笑顔で女性と話す聖。
それをずっと、本を読むふりをして見続けていた。
――――――――――――――――
それから数日後、彼は本を選ぶのをやめた。
一つのシリーズを読んでいるのだろう。
いつも同じ棚、同じ作家の本の前で止まり、左から順に本を取っていくのだ。
何となく、彼の行動パターンがわかる。
確実に次の日には、この本を借りる。
もしも、この本を俺が先に借りてしまったら……彼はどうするだろうか……。
そんな悪戯心が芽生えた。
そして、次に彼が読むであろう本を――俺は手に取っていた。
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