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後悔した夏の日1
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午前の講義が休みになった。
掲示板に張り出された1枚の紙切れが、せっかくの早起きを嘲笑うかのように休みを告げている。
同じ受講生の中からも、歓喜と落胆の声がそれぞれに上がっていた。
俺の口から出たのは、後者の…落胆の声の方だった。
2限連続の講義の突然の休講は確かに嬉しい。しかしそのことで午前の予定がなくなり、突如空いた時間をどう使っていいのか咄嗟に思いつかなかったのだ。
「どうすっかな…」
いつもみたく図書室に行こうか。
でも先週借りた本はまだ読み終わっていないし…
なら少し面倒でも、アパートに戻りゆっくりその本の続きを読んだ方がいいかもしれない。
掲示板を離れ、入学して数ヶ月たっても未だ馴染みきれない廊下をぼんやりと歩く。
「あれ?聖、サボりか?」
「違う。休講になった。ウチに戻るわ」
出入り口ですれ違った知人から声をかけられるが、それは適当に受け流す。
別の講義が入ってる奴等を巻き添えにしてまで、暇潰しの誘いをかけるのは申し訳ない。
「だからって午後もばっくれるなよ?」
「わかってるって」
肩越しに声を聞きながら笑顔で相槌を返す。
俺は人当たりは悪くない方で、人間関係に困ることはなかったが……昔から他人と深く関わるのがあまり好きではなかった。
近すぎず、離れすぎない距離の関係がいい。
誰かといる時間も確かに楽しいと思うけれど、1人でいる時間の方が遥かに好きだったからだ。
夏の日差し。立っているだけでも汗が滲んでくる。炎夏の中、緑すらも眩しく感じる。
光に目を細めながら、裏口から校舎を出て駐輪場へと向かった。
マンモス校とはいえ、朝はそこまで自転車も多くない。
とはいえ1限目の受講を取っている生徒も多いし、裏口から校舎に入る人も多いので、それなりに人目もある。
……これなら、きっと大丈夫な筈だ。
駐輪場は綺麗に整備された校舎とは違い、鉄の柵は雨にさらされ錆だらけだった。
まばらに並ぶ自転車の中には、何日も放置されたままのものもあるのだろう。
乱雑に並べられた自転車の中に紛れ込む、俺の地味な自転車―――
高校から使っているその自転車には、随分と愛着があった。
それを停めたと記憶する場所を凝視しながらゆっくりと近づいていく。
俺の自転車のサドル……は、ある。
ちゃんと、ついている。
停めた時となんら変わらず、誰にも触れられた形跡もないままそこにあった。
「ふぅ」と、自然と安堵の吐息が漏れた。
「まじダッセーの…」
我ながらビビりすぎだと乾いた笑いが漏れる。
湿気を含み始めた熱気が、不快な程に全身を包み込んでいた。
何故こんな杞憂をしなければいけないのか―――
それは最近、この愛車のサドルが盗まれたからだった。
高校に入学する時に、親に大型量販店で買って貰った自転車。
大学入学時に新しい物を購入しようかと言われたのを断り、それでも使い続けているのは、地味でシンプルなデザインの割に、その乗り心地と漕ぎ具合が身体に馴染んでいて丁度良かったからだ。
それでも、はたから見たらありきたりの使い古した自転車だ。
それなのに、周りの奴らの高そうな自転車には目もくれずに、何故か俺の自転車のサドルだけが盗まれたのだ。
可愛い女の子の自転車なら、俺だって気持ちはわからなくはない。
(わからなくはないけど、そもそも盗みはしない)
でも、俺の自転車は明らかに女性向けではないデザインだった。
最初は悪戯かと思い怒り狂ったけれども…
男物の自転車のサドルが、しかも自分のだけ盗まれるという行為に対する嫌悪感が勝った瞬間、それは恐怖へと変わったのだ。
「ほんと、気持ちわりぃ…」
自転車の鍵を外し、ガチャンと大きな音を立て籠に荷物を投げ入れる。
アパートまでは自転車で5分もかからない。
ポタリと、汗が頬を伝って行く。
これはきっと暑いからだ。
決して、冷や汗なんかじゃない。
8月も近づく日の光、熱気。
只でさえ強いそれは太陽が昇るにつれ徐々に強まってきていた。
チリチリと射す日差しと、上昇する気温。
俺は情けない自分を振り払うように、勢いよく自転車を漕ぎ出した。
途端に感じる、頰を撫でる風―――
漕いでるこの時だけは、その風が凄く心地く思えた。
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