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8月1日のside窪田くん
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今日は土曜日。
午前中は空手道場へ通い、汗を流す…はずだった。
それから一度部屋に戻って昼食を取り、買い物に出かける…はずだった。
いや、それ以前に。
買い物は昨日の仕事帰りに済ます予定だった。
それが今日にずれ込み、そして今日すら怪しいのだ。
「進んでるか?」
「………」
俺はキーボードを叩く手を動かし続けながら、冬部さんの言葉に黙って頷いた。
この部署で休日出勤しているのは、俺と冬部さんのふたりだけ。
急に月曜の会議で使う資料を増やしたいと言われ、俺は朝から冬部さんに駆り出されたのだ。
もっと早く言ってもらえれば金曜までに準備したのに。
冬部さんは春日さんと同期で、もともと商品企画部にいたのだが、今年度から経営企画部に異動になったそうだ。
この人はいつも、直前になって思いついたように指示してくる。俺が休日出勤する時は、たいてい冬部さん絡みだ。
そして当の本人は、自分の机でタバコを吸いながらぼんやりと天井を見つめている。もちろん、フロア内は禁煙だ。
しかしサボっているわけではないらしい。ああやってアイディアを絞り出しているんだと、本人は言っていた。
不真面目だが、直感の働く要領のいいタイプ。
春日さんはこの人がボンヤリしていようが、グラビア雑誌を机に広げていようが、一切とがめない。
何か突飛なことを思いついては、その時だけ勢いで仕事を進め、ありえないと思った企画をありえない発想で立ち上げて、なんだかんだと実績をつくる。
俺とは真逆の感覚型だ。
まったく意見が合わないし、この人にはただこき使われているような気がしてならない。
「なあ、ロボ田の好みってどんなタイプ?」
「……」
胃が軋む。
時々思いついたように声をかけられるのも、妙な視線を感じるのも、邪魔にしかならなかった。
会議資料が欲しいなら、俺を一人にして欲しい。
「……おい、ロボ田」
「……」
「いいかげん、そろそろ昼メシ行くかぁ」
「いりません」
「断る時だけしゃべるのか」
「……」
「黙るな」
冬部さんは笑いながら、俺の背後に歩み寄ってきた。その気配を感じながらも、俺は仕事に集中していた。
とにかく、仕事を終わらせなければならない。
そして今日は絶対に目当てのショップに行く。
冬部さんは、俺の両肩を掴んで揉みだした。
「…っ!!!」
「ロボ田、本当は大事な用事があったんだろ。飯食ったら帰ってもいい…かもしれないぞ?」
「⁉︎」
俺は思わず振り返った。
なんなんだ、その曖昧な誘い文句は。
「………………」
「………………どうする?デートの予定でもあったんじゃないか?」
冬部さんは額に落ちた黒髪をかき上げながら、ニヤリと笑った。
「…………」
不意に、俺のズボンのポケットの中でスマホが震えた。
俺は布越しにスマホを掴む。
俺にメールを寄越すのは橘くらいなものだ。
今朝になって急に午後に会う予定を夜にずらしてもらったが、このままだと夜も会えない。
「……俺が帰ったら、誰が続きをやるんですか。俺は明日は出勤できませんよ。絶対に」
「出来たところまででうまく会議に使うよ。急だったんだから仕方がない」
「…………」
冬部さんがそんな中途半端なものを使うわけがない。
俺が疑いの目を向けると、冬部さんはため息をついて言った。
「俺が良いと言ってるんだ。どうする?腹減ってるんだろ」
「……どこで何を食べるつもりですか」
「カレーライス。先月、近くに出来た店」
「食べません」
「奢るぞ」
「……だから」
「カレーうどんもあるぞ」
俺が昼メシにコメを食べないのは部署内の全員が知っている。
それをわかっていて、冬部さんはカレーライスなんて言って、反応を見ていたのだ。
「メシ食ってまっすぐ帰ったら、どんなに遅くても15時か?」
俺はこめかみを押さえた。
意地になることはないんだ。
本当に帰れたらラッキーだし、確かに腹は減っているんだから、そろそろ食べておいたほうがいい。
「……行きます」
そう言って立ち上がった。
冬部さんは満足そうに頷いて、ついてこいと言わんばかりに部屋を出て行く。
俺はその背中を追いかけながら、メールを確認した。
〝今夜の動物番組、ネコ特集なんだと〟
「……」
やはり橘からだった。
俺が喜ぶと思って、橘はいつもネコ情報をよこす。
〝知ってる〟
そう送ると、すぐに返事が返ってきた。
〝家メシしながら観るか?〟
〝観る〟
俺もすぐに返事を返した。そしてスマホをポケットにしまいこんでいると、前を歩く冬部さんが立ち止まっていて、俺は冬部さんにぶつかってしまった。
「…すみません」
「コレか?ん?お前みたいなのでも、ちゃんといるんだな」
冬部さんはそう言って、俺に向かって小指を突き立てた。
内心、舌打ちだ。
そして。
冬部さんは、昼メシを食べたあとも作業を指示してきた。
冬部さんいわく「ここまで進んでるなら最後までやってしまえ」だ。
胃が痛んで吐き気がこみ上げる。
この人は俺に嫌がらせをしているような気がしてならない。
俺は橘に〝今日は会えない〟と連絡した。
そして最悪なことに、買い物にも行けなかった。
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