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097 母娘
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エダは5歳になる少女らしい。
この世界の人を見慣れているとはいえ、それはとても意外なことであった。
(これが、5歳……?)
エダの身長は小学生の妹とほぼ同じ……いや、それよりも高い。
(こんなに早く成長するんだ……)
不思議に思っても、それを聞くことは躊躇われた。
それでもエダの表情や仕草は年相応に幼く見えた。
(だから僕が10歳って言った嘘も、皆んな信じちゃうんだ……)
そう考えると、ハリルの従兄弟のヴァンも、やっぱり年は若いのかもしれない。
この世界に来て、初めて子供と触れ合い、改めてそう思った。
窓の外を見ると、太陽は完全に上に登っている。
(夜のうちにシトに乗って遠くに逃げるはずだったんだけどな……)
室内にいても、その熱気は充分すぎるほどに入り込む。まるでこの世界に迷い込んだ時のように、嫌になるほどいい天気だった。
「イズミお兄ちゃん、おなかすいてる?」
エダはニコニコしながら聞いてくる。
「お腹か……」
エダは胸に小さな人形を抱いている。
元は白い服だったのだろうか……大切に扱われているようだが、たくさん遊んだのか少し灰色っぽく変色していた。
「干し肉があるよ? 食べる?」
腹は減ってはいたが、フルフルと首を横に振ってそれは断った。
飢え以上に喉が渇いていたが、それも言うのが躊躇われた。
この国は、水を飲む習慣がない。僕の食生活が異質なのだ。
「坊や、何も食べなくても大丈夫なのかい?」
「……はい。大丈夫です」
エダの母親……ケイトは、僕の呼び方を「お嬢ちゃん」から「坊や」に変えた。
この国では相変わらず子供扱いだが、確かに僕の見た目はエダと然程変わらない。
子供扱いされても仕方がないということが改めてわかった。
食卓に並ぶのは案の定、肉と生き物の血だった。
城で見た硝子の食器とは違う――素材の土の感じを色濃く残す陶器の皿の上に、乾し肉のような塊が置かれる。
皿と同じ素材で作られた湯呑に、並々と注がれた血は、どこか変色してどす黒くなっていた。
その血を見ることすらできなくて、思わず目をそらす。
この暑さで何も食べなければ身が持たず、逆に迷惑をかけてしまうかもしれいとわかっていても、血肉を口にすることはできなかった。
それに――土の壁、ボロボロの衣服……――彼らが分け与えてくれようとしてるのはきっと貴重な食料なのだ。
それなのに僕は、彼らの主食の肉も食べれず、水の代わりの血も飲めない。
僕は今まで何もせずに、与えられるまま高価な野菜や果物を主食にしてきたのだ。
母娘の食事が終わるのを待ち、一息ついているところでケイトに声をかける。
「あの、すみません。お願いがあるんですが……」
助けて貰ったばかりなのに、こんなことを頼むのはとても気が引けた。
でも、もう彼らに頼むしかない。
「僕を、明後日までここに置いて貰えませんか……?」
意を決してそう告げる。
朝を迎えた以上、披露会は明日になるのだ。
とりあえず明日を乗り切ればいい。
水神として国民の前に晒されるのはどうしても避けたかった。
迷惑をかけるのは十分承知していた。
食べ物は1~2日ぐらい食べなくても死にはしないだろう。
披露会をやり過ごすために、匿って欲しかったのだ。
母親は困った表情で固まる。
悩むのもよくわかる。
断られるのも覚悟の願いだった。
「…………エダ、ちょっと隣の部屋に行っててもらえる?」
ケイトは少し戸惑い、エダに席を外すよう促す。
一瞬訝しげな顔をしたエダは、直ぐその言葉に従った。
エダが隣室に行くのを確認した後、ケイトは真剣な顔で向き直り、僕を見据える。
エダと同じ髪と目の色。
その緑の目が強い光を放っている。
「あんた、一体何者なんだい?」
その言葉は、僕にずしりと重くのしかかる。
胸を抉られるような質問だった。
(バレてる……?)
最悪な予想をして固まる。しかし彼女から返ってきた答えは僕の想像とは違う物であった。
「坊やが昨夜倒れていたところは、反王国派のアジトの前だったんだよ……」
「え……」
(反国王派……)
そう告げらて目を見開く。
(そうなのか……? そんな危険なところで僕は寝てたのか……)
「坊やがもし、反王国派の人間に狙われていたり……あいつらの一味だったりしたら、私はあんたを庇えない」
その目は、強い母親の目だった。
「エダのためにも……反王国派の人間のせいで亡くなった主人のためにも……」
その目が、一瞬悲しみに揺らぐ。
「……はい……」
そう答えたものの、どうしていいかわからなかった。
それを違う、と否定するのは簡単だったが、多分僕が秘密にしていることは、もっと大きい。
涙がこみ上げてくる。
自分自身でも、もうどうしていいかわからないのだ。
「ああ、泣かないでおくれ。あんたが悪い子じゃないというのはわかってるんだ」
ケイトに抱きしめられると、胸が締め付けられた。
(僕は、一体何してるんだろ……)
逃げだした所で、結局一人では何もできないではないか。
助けてくれた母娘に頼り、行き場をなくして涙する。
無力であることは自覚して逃げたけれど……僕がここにいることによって、彼女たちに迷惑をかけるだなんて考えもしなかった。
とてつもない不安と孤独。
(どうしたら……)
日が昇ってしまった状態では、シトとともに逃げるリスクは高すぎる。
「別に、明後日どころか、しばらくいてもらって構わないよ」
「……ありがとうございます……」
ズッと、鼻をすすって女性から身を離す。
「私たちはこれから、城下に行く予定なんだ」
「え……」
「王都は遠いからね……三日は不在になるだろうよ」
(王都に…………?)
胸が抉られる。
息をするのも苦しい。
「何のために?」と、聞くまでもないことだ。
「だからその間、あんたはここを自由に使っていいからね」
「はい」と答えた返事は、嗚咽に紛れて言葉にはならなかった。
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