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屋上
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その数日後、先生は死んだ。今、僕がいる屋上から飛び降りて。頭から地面に落ちて。即死だったらしい。
屋上から眺める景色は綺麗だった。
いつの間にか夕日は傾きはじめ斜陽と化して街を染め上げる。傾いていく今日。今日はもう終わる。日が沈み、月が出る。僕からすると生きているのは太陽が出ている日中だけで。暗闇が纏う夜に希望なんて見出せなかった。
僕の太陽は空は希望は先生だったんだ。
どんな気もちだったんだろう。想像するだけで血管中の血液が沸騰しそうになる。一人ぼっちの暗い屋上で佇み、やがて重力に身をゆだねる先生。スローモーションで脳裏に再生される絶望の映像。
孤独で何を思ったのだろう。僕のことじゃなければいい。
役立たずで何もできなかった僕のことを最後まで思っていたんだとすれば何てひどい話だ。僕のことを忘れてほしかった。
でもきっと馬鹿みたいに僕を思っていたんだろう。断言はできない。先生はもういないんだから。何が事実かなんて空の彼方に消えてしまったんだ。憶測でしか先生のことを語れない。それが何より僕を切り裂いた。
僕が先生を思うように先生も僕のことを思っている。自惚れじゃない。確信なんていらないよ。これが僕らだから。これからもずっと。笑いたければ笑え。愛を笑うんなら笑え。痛くもかゆくもない。愛を知らない人間に嘲笑われようが。
なんで僕はあの時言えなかったんだ。
落ちていく日常に問いかける。
大切なところで何もできない。いつもそう。肝心な場面で転ぶ役者なんて滑稽なだけだ。
セリフ間違いや番狂わせ三昧のひどい人生だった。
先生、そんな僕を貴方はそっちでも受け止めてくれますか。
「先生」
先生が死んでから学校中に噂がたった。
断片を拾い上げて組み合わせると、想像もしていなかった予想が出来上がってしまった。
先生は病気だったらしい。肺を患っていた。辛そうな咳がよみがえる。それだけじゃない。
あのゆりかとかいう女。あの人は先生の前の彼女だったらしい。男遊びがひどくて先生から別れを告げた。
でもゆりかはしつこく付きまとい先生の優しさに付け込んで自分の負債を負わせた。額は優に想像を上回る0の数らしい。
どこまでも予測の域を出ない風の便りだったが納得するには十分だった。
なるほど先生ならそうするだろう。
そんなあなたを好きになった。
どれだけ抱え込んでいたんですか。本当に馬鹿ですね貴方は。
僕だって貴方をすくいたかった。
貴方がそうしてくれたように、僕と半分こしてほしかった。
叶わない願い。届かない言葉。むなしく闇に溶けていく。
もう二度と言えない。後悔はない。悲しみしかない。
先生、だから僕も連れて行って。
「先生」
結局僕は変われなかった。
変わることなんでできてなかった。
貴方は優しい。だから優しい嘘をついた。
僕が変わった?そんなわけないじゃないか。
あなたさえ救えないダメな僕だ。
嘘をつかせてごめんなさい。
些細なことの積み重ねで貴方を追い詰めてしまいました。
悔やんでも悔やんでも時間は巻き戻せない。血の滴を流そうとも、針は無情にも四を指し示す。
先生、そちらでは本音で話してくださいね。
「空野先生」
僕も今から行きます。
言ったはずですよ。僕は何があろうとも貴方のそばにいると。
今さら帰れと言われても聞く耳持ちません。
貴方は我儘だった。どうしようもなく我儘でした。
先生、だったら僕の小さい最後の我儘ぐらい聞いてください。
小さく穴のあいた落下防止の柵をくぐる。先生の死体の位置からきっとこのあたりから落ちたんだろうと推測したが正解だったようだ。白いテープが置かれていた。
先生もこの景色を見たんだ。
そう思うとじんわりと心が温められる。先生が与えてくれたぬくもりとよく似ている温度のように思える。
何を思って先生は暗闇に浸かる景色を眺めたんだろう。僕と同じなのかな。満ち足りた気持ちだったのか。
くそったれ人生だった。
先生と出会ってから視界が晴れやかになり、まどろみの世界が開けた。
きっと罰なんだ。人を蔑むな人を救えと先生に教えられたのに僕はしなかった。自分だけ幸せになった罰。
できたのにしなかった僕への制裁。当然の報い。神様は意地悪だ。重すぎる罰を飲み込ませることないじゃないか。なんでぼくに罰を与えなかったの。先生は何も悪くないじゃない。先生は立派な人だったじゃない。僕が死ぬべき
だった。なのに僕は惨めったらしく生き残った。これ以上の罰があるのだろうか。
ごめんなさい。僕が全部背負えば貴方は死ななくてもよかったかもしれないのに。
ごめんなさい。膨大すぎる苦しみの渦におぼれていた先生に気づけなくて。
ごめんなさい。最後まで変わることができなくて。
ごめんなさい。貴方を好きになってしまって。
風が冷たい。突き刺すような冷風が頬を横切る。眼下を見下ろす。真っ暗だ。何もない。まるで地面にぽっかり空いた穴。地獄の入口みたい。厭だなぁ地獄におちたら先生に会えなくなっちゃうかもしれない。天国みたいに幸せなところでいますか?今度こそ幸せになってください。願わくば貴方の幸せの隣に僕がいることを。
一歩踏み出すと後は思い切って落ちるだけ。フェンスを危うく支える両腕を垂らせばすべて終わる。始まるんだ。僕のページは今から始まる。少々長すぎる序章だった。
未練しか残っていない現世に置き忘れたものの数を数えようとしたがなかった。先生との思い出を胸に旅立ちたい。
入学式は馬鹿みたいに何もありませんでした。
1年A組の教室前の廊下で貴方と初めて視線を交わしました。
1年A組の教室では悪夢しかありません。
保健室で貴方と初めて話しました。
下駄箱、男子トイレで僕を助けてくれました。
理科室で思いを通じ合わせました。
美術室には貴方を思って描いた絵が残っています。
2年C組には変わったとうぬぼれていた僕がまだいることでしょう。
調理実習で作ったカップケーキ、ちゃんと食べてくれましたか?
職員室には何度も貴方を手伝った形跡があります。
3年A組には僕の努力の証が。
進路指導室で初めて貴方がこぼした本音に、馬鹿な僕は気づけませんでした。
幸せだ。こんなにたくさんの思い出を持って死ねる僕は、幸せだ。最後は笑顔で行こう。先生への手向けの花になるのだから、いい笑顔で行かなきゃ。
無理やり口角を釣り上げようとするがうまくいかない。筋肉をボンドで塗り固められたみたいだ。やめておこう。死に顔が不細工とか嫌だ。
あきらめてため息をつく。行くか。そう思って手の力を緩めたのと同時に、訳も分からず僕は顔を上げた。
手を伸ばせば届く距離にいるのは、幻想となって現れた貴方。
先生は悲しそうな顔をしている。まるで僕をいさめる様な目つきと叱る時に刻まれる眉間のしわ。生きている時と全く同じだ。唇が動いた。
ああ先生先生先生先生。なんで、なんで死んじゃったの。僕も連れて行ってよなんで一人ぼっちで死んじゃったの寂しかったよね苦しかったよねごめんね気づけなくてでもこれから償うから貴方の傍でどうかいさせて僕もさみしいよ悲しいよ貴方よりも小さいけど苦しみも貴方のいなくなった時からたっぷり味わったよだからもういいでしょ?幸せになっても。貴方が行ってしまった空の彼方へ旅立っても僕も行きたいあなたのそばにボクとあなただけの世界へと向かいます許してくださいだいすきですずっと愛してます生まれ変わってもまた必ず探しだします今度こそたどり着けたらその時はあなたの胸にだかれたい
目から大量の涙があふれ出てくる。みっともないと思う。でも貴方はしょうがいなって僕の涙を拭うんでしょ?
「先生っ………!」
いつもみたいに抱きとめてくれるかと思って伸ばした腕は、すり抜けたけど確かに先生の温かみが残っていた。
空の彼方ってどんなところなのでしょう
貴方と一緒ならどんな場所でも生きていける
貴方の傍で眠らせて
涙だけが残った屋上に、空しい一人の教師の言葉が残った。
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