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兆候-10
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目を覚ました大河が携帯のディスプレイを確認した時、時刻は深夜の二時を示していた。
(喉渇いた……)
唾液を飲み込もうとしたが、口内はカラカラに渇いていて喉が引き攣るような痛みに見舞われただけだった。
おもむろにベッドから抜け出すと、冷気が大河の身体を襲った。部屋の暖房はタイマーでとっくに消えている。
そして大河は今の自分の格好に気づいた。何も考えずに急いで寝室へ飛び込んだから、上半身は何も着ていないのだ。こんな冬に何て馬鹿なことをしたのだろう。風邪でも引いたら最悪だ。
鳥肌の立つ腕を手で摩り、リビングのソファに掛けてあったTシャツを着る。いくらかは寒さを防げた。
深夜の部屋は真っ暗だったが、大河は電気も点けずに寝惚け眼で冷蔵庫へ向かう。
大して内容も充実していない冷蔵庫の中身。あるのは牛乳と水と卵と缶ビールくらいか。大河は物寂しい冷蔵庫の冷気の中からペットボトルを取り出すと、扉を足で閉めながら冷たすぎる水を呷った。
(寒……)
冷水が喉を通って胃へと落ちると、内蔵全体に冷たさが染み渡った。思わず身震いする。
戻って早く寝よう。寒い。明日は休校だから遅くまで眠っていられるだろう。
大河はそのまま部屋に引き返そうとした。
ピンポーン
「――……」
真夜中に鳴らされるインターホンの音が、大河に失いかけた危機感を呼び戻させた。
びっくりして肩を揺らすと、ペットボトルの水が零れて口の周りを濡らす。顎から伝って床に落ちた。
(まさか)
顔色を失った大河の脳内に、テレビで見た不気味な映像が蘇る。
(まさか……)
大河の部屋の前に立つウサギの着ぐるみ。ニタリと笑う気色の悪い顔。
「……」
大河は足音を立てずにそろそろと移動し、玄関に立つ。裸足のままドアの前に進み出ると、恐る恐るノブを捻って外の様子を伺う。
そこには何もいなかった。少しだけ外に出て周囲を見回しても、真っ暗な闇だけが広がっている。
大河はすぐに中に戻ると、ドアを閉めて鍵を掛けた。ガチャリ、と空虚な音が静寂の中に広がった。
振り返ると、ウサギが立っていた。
「な……、っ!!」
目を大きく見開いて固まる大河に、ウサギは何かを振り下ろした。咄嗟に身を低くして避けると、ドアには斧が刺さっていた。
全身から血の気が引いていく。
ウサギがドアに刺さった斧を引き抜こうとする隙に、大河はその脇をすり抜けてリビングに走った。
再び斧を手にしたウサギはニタニタと嫌な笑みを浮かべながら追いかけてくる。隠れる場所など、逃げる場所など、この部屋にはなかった。
まるで全身が心臓と化したかのように、鼓膜まで、脳の中心まで、煩い程に鼓動がドッドッと響き渡る。
どうしたらいいのか分からない。凶器を手にしたウサギを前に、大河は正常な思考などとうに失っていた。
ウサギが歩く度に床がミシリミシリと悲鳴を上げる。真っ暗で視力は大して役に立たないが、その音で奴が近づいてくるのを悟った。
いつも奴を見た時に感じる悪寒が走り抜け、大河は至近距離まで迫ったウサギの頭部を、バットでするように手にしたペットボトルで全力でスイングした。
ウサギは斧を落とした。床に深く突き刺さり、大きな傷を作った。ウサギが混乱している隙に大河は逃げる。
キッチンへ走った大河は、引き出しから半ば手探りで包丁を取り出した。徐々に夜目が利くようになってきた。
窓から注ぐ僅かな月の光源で、刃は鈍い輝きを放つ。激しい運動など少しもしていない筈なのに、大河の息遣いは荒くなっていた。
ウサギがキッチンへやって来る。奴は自分を殺そうとしている。斧は手にしていなかったが、それでも奴は襲い掛かってくる。
身を守らなければならないという無意識の衝動と、今すぐ相手の動きを止めなければならないという本能が働いて、大河はウサギの腹部に包丁を突き立てた。ウサギは本物の生き物のようで、ザシュ、という生々しい感触が包丁を通して柄から手の平に伝わった。腹部から液体が噴き出して周囲を汚した。ウサギの白い身体は赤に染まっているのだろう。
凶器を刺したというのに、ウサギは鈍い動きながらもまだ生きているようだった。大きく不気味な黒い目をギョロリと動かしてこちらを見た。この生き物は今すぐ殺さなければならない。大河は包丁を一度引き抜くと、再び腹に刺した。狂ったように何度も何度も突き刺し、臓腑を抉るように柄を捻った。ぐちゃぐちゃ、と嫌な音がそこから鳴った。
やがてウサギは動きを止め、フローリングに倒れ伏した。死んでいた。
大きく穴の開いた腹部から、心臓が顔を出していた。血管が浮き出たそれは本物のようで、ヒクヒクと震えている。まだ温かそうだった。
果たしてこんな部位に心臓などあっただろうかと疑問に思いながらも、今はウサギを殺すことが出来た達成感と安堵に襲われており、そんな下らない事を考えている暇などなかった。どっと疲れた身体を引き摺り、大河は寝室へと逃げた。
(あいつは死んだのか……?)
我に返ると、急に恐ろしくなった。顔にも腕にもTシャツにも、血液が飛び散っている。触ると、ねっとりと手指に絡みついた。
(俺が殺した……)
包丁を突き立てた時のリアルな感触が蘇った。肉を裂く、臓腑を抉る、あの時の感触。手が、唇が、震える。
大河は背をドアに預けたまま、意識を手放すようにして暗闇の中で眠った。
これは悪夢なのか、それとも悪夢より性質の悪い現実なのか、朝になったら判然とすることを願って。
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