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亡霊-11
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首筋に温かな吐息を感じて大河は目を覚ました。まずは毎朝起きて目に入る、部屋の壁の模様が見えた。薄い闇がかかっているが、部屋のベッドだと分かった。
背後に犬飼がいることは知っていた。幽霊のくせに温かい、実体のある身体が背中に触れているからだ。
(何で一緒に寝てるんだよ……)
これまでなら最初に怒りが生まれていたが、今は呆れ、脱力する。バスルームで混乱し、醜態を晒したせいなのか、これ以上激しい感情を起こす気力がない。
ただ無言で、距離を開けた。
暫くして犬飼が「聞いたんだ」と声を出した。
「……あ?」
「誰かが喋ってるのを聞いた」
犬飼の低く響く声を背中に受けながら、大河はただ瞬きを繰り返すことしか出来なかった。聞いた? 何の話だ。
思考を巡らせていると、身体の下と脇からぬうっと腕が回り、腹をぎゅっと抱き寄せられた。
「おいっ……離せ」
「聞いて欲しい」
「……」
犬飼が自ら話す気になったのだ。このチャンスを逃してはならない。大人しく言葉の先を促すと、犬飼は辛うじて聞き取れる音量で紡いだ。
「俺が死ぬ前に、誰かが言った。仲宗根大河を殺さないと」
「……」
何だ、それは。
背筋が凍った。冷気が入り込んでくるように一気に寒くなった。犬飼の、存在しない筈の温もりが背中に感じられるというのに。大河は乾燥した笑いを唇の端から漏らした。
そんな現実味のない話を信じられるか。という風には心は反発を起こさない。
「笑えねえ冗談だ……」
「冗談じゃないからな」
犬飼が嘘を言っているのではないということは確かだ。殺されると嘘を吐いてどうするのだ。そもそも、さっき風呂場で窒息死しかけた。あいつに、あのウサギに殺されかけたのだ。
「あいつが、言ったんだな」
自分が今後殺される可能性があると話を聞いても、不思議と今はパニックに陥る程の恐怖は湧かなかった。それは、近くに誰かがいるということと関係しているのだろうか。
「それは分からない」
「あいつは俺を殺そうとしてる。今日だけじゃねえ、前にも何度か、見てる」
「最初に見たのは」
「……修学旅行」
そうだ、あの気色の悪い着ぐるみに出会ったのは、修学旅行でテーマパークに行った時だ。奴に風船を渡された。そしてその夜、ホテルで……窓の外に奴の姿を見た。あれはきっと見間違いや幻覚ではなかった。
思えばあの時、犬飼と同室だった。初めて言葉を交わしたのはその時だ。
「犬飼……お前にも、見えたのか」
「もともと俺には“そういうの”が見える」
「……幽霊か。お前も幽霊だよな」
「死ぬ前から見えてた。子供の頃、物心ついて時からずっと」
「霊感ってやつか」
以前の大河だったら、幽霊とか、霊感がある人間とか、スピリチュアルな存在は絶対に信じなかった。けれど今は状況が状況で、大河自身もそれらに悩まされている。
まさか、犬飼も“そういう”種類の人間だとは思わなかった。
「修学旅行の時も……俺は何か、変だと感じていた」
「変って、何だよ」
「仲宗根の周りに、悪意のあるものが漂っているような気がした。多分、あの着ぐるみだった」
じゃあ、あいつは。その時から既に大河を狙っていたというのか。
「俺はそれに気づいて、どうにかしようと思ったんだ」
「どうにか?」
「お前を守ろうと思った。そうしたら、死んでた。気づいたあいつに殺された。その時に聞いた」
死んだ。
その事実を改めて本人の口から直接聞くと、じゃあ今、大河の背後にいるこいつは誰なんだ――という不思議な感覚が生まれる。知っている。犬飼だ。犬飼の霊だ。
よく考えると、死んだ人間が自分に見えて、話も出来て、触れるというのは実に不可思議な現象に違いなかった。
そして、彼の死の要因は自分だと?
「……んだよ、それ。お前、俺のせいで死んだっていうのか」
「そうとは言ってない」
「だって、そうじゃねえか。俺のとばっちりで死んだって言ってるようなもんだろ」
掠れる声を誤魔化し、鼻で笑う。
お人好しにも程があるだろう。大河を守ろうとした?
仲がいい訳でもないのに、言葉を交わしたのはたった一回だけで、何の関わりもないただのクラスメイトのくせに。他人に過ぎない大河の犠牲になって死ねるか?
「そんな馬鹿な理由で死ぬ訳……ねえだろ。お前は、犬飼は不慮の事故で死んだ。偶然、トラックに撥ねられて死んだんだ」
そうでないと大河が耐えられない。
決めつけるように断言すると、首筋に温かい呼気がかかった。そしてぴたりと柔らかな感触が埋められる。
「おい……っ」
当たる髪の毛がくすぐったくて、犬飼が首筋に顔を埋めたのが分かった。
こいつの言動は、おかしい。言葉ではまともに伝えないくせに、どうしてこうもスキンシップだけは過多なんだ。
肘で殴れないものかと抵抗していると首筋の匂いを吸い込まれるのが分かり、背筋が粟立った。
「……ッ」
何とも言えない、妙な気分に陥った。こいつは犬か。
けれど何かしら言わなければならない気はして、動物のごとく匂いを嗅ぐ男から少しでも離れようと猫背になる。吐息を押し出し、声を出す。
「さっきは何で助けたんだ。俺のことなんか放っておくことも出来た」
「ただ、守ろうと思った」
再び背筋が寒くなった。
さっきも思ったが、同じ男に言われて嬉しい台詞ではない。守る、だなんて。
「誰かが助けを求めていたら普通は助ける。お前が死にそうなのを感じ取って、風呂場に行った」
水中の中、気泡に塗れ、大河は溺死しそうになっていた。酸素のない空間でもがいていたのだ。
そこにこの男が現れた。大河は犬飼に救い出され、パニックに陥り、感情を投げつけ――キスされた。
唇の感触をリアルに思い出してしまい、大河は顔を歪めた。
しかし、一瞬でも不快とは思わなかった。普通は男にキスされて気持ち悪いと思う筈なのに、犬飼にされて混乱もしたが、安堵もした。吐息が奪われ息苦しくなる感覚で、溺れたのとは違う苦しさで、自分が自分であるということを思い出した。
犬飼のキスに嫌悪を感じなかったのは危機的状況という条件もあっただろうが、それでも大河は戸惑った。
「お前、何で俺に……」
先を言おうとして気付く。緩やかで規則的な呼気が頬に触れていた。
「……」
眠っている。
(マジかよ……)
どこまでも常識破りな奴だと思った。幽霊に常識も何もないが、幽霊も睡眠を取るのか。
釈然としないながらも、大河は目を瞑った。感じる呼吸、身体の温度は、まるで犬飼が生きているようだった。
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