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過程-16
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霞が掛かっていて不明瞭ではあったが、それは見たことのある光景だった。ぼんやりと大体のシルエットが認識できる。空は灰色で、多分、雨が降っていた。
すぐに夢だと分かった。夢の中で、自分の身体は小さかった。周囲には数人の子供がいて、彼らについて行く。既に目的地に着いていた。緑色のフェンスがあった。
そこで画面が四隅からぐにゃりと曲がり、一度混ぜ合わせられる。マーブルになった画面がクリアになる頃、目の前の少年が魚のようにパクパクと口を動かした。
彼が口にした短い言葉を、今でもはっきりと思い出せる。記憶の奥底で埃だらけになって眠っていたものだが、掘り起こしてみれば鮮明だった。
そこで納得した。そうか。
(だから、俺は、今――)
突然、映像が切り替わり、視界が薄汚れた白になった。辺りには赤も飛び散っている。意思はあったが、茫然としていた。
誰かの足が見えた。見慣れた感じのスニーカーが、ゆっくりとこちらに近づいてくる。一歩踏み出される度に、散らばる赤が減ってゆく。相手が、大河の頭上で何かを喋った。
酷い汗を掻いていることを、目覚めの不快感は教えてくれた。目を大きく見開き、荒い呼吸を繰り返す。真っ先に見えたものは曇天でも雪でもなく、見慣れた天井だ。
生きている。
「は、ッ……ってぇ…!」
喧嘩でも体感したことのない激痛が全身を苛む。ズキズキとした異様な圧迫感というか、身体を外側から鉄板で圧縮されているような感覚だった。
右手は特に駄目だった。もはや痛いのか、熱いのか、分からない。酷く腫れて、甲の骨の出っ張りは完全に埋もれてしまっている。
「んだよ、これ……」
声が震えてしまうのは当然のことだった。腹部から大量の血が溢れ出し、ベッドのシーツを台無しにしている。何とか首を動かして、大河は自分の肉を初めて見た。気を失いたい程の痛みなのに意識は至って明晰であり、これだけ出血しているのに死んでいないことが不思議で、気味が悪い。そして、寒い。
「っ…」
「……大丈夫か」
低い問いが耳に届いて、大河の目は声のする方向を探った。閉ざされたカーテンの前に立っている人物を認めた瞬間、我が目を疑った。強く瞬きをして再度見遣るが、彼が立っているのは変わらなかった。
大丈夫かどうかなど、今の大河の状態を一目見れば問うようなことではないのに――彼は次いで「酷い怪我だ」と当然のことを口にしながら、ゆっくりと近づいてくる。
犬飼はベッドの脇に腰掛けると、大河の赤く腫れた右手に自分のそれを重ね合わせた。
「っつ!」
「……ぼろぼろだな」
今、触れている生白い温度が、犬飼の手であると容易には信じられないでいた。感触も受け取ることが出来ない程に負傷した拳さえも驚いてしまうくらいの存在感で包み込む手。じわじわと形容しがたい力の流れを感じる。
どうして。
もう、いなくなったとばかり思っていたのに。大河の前に二度と姿を現さないと。
大河は公園で気を失った。……彼が、自宅まで連れて来てくれたのだろうか。
「来んな……いらねえよ」
心にもないことを口にした。そうしなければならないと思った。今更、認めるなんて出来ない。
「俺に構うなよ……! お前、マジで意味分かんねえ、捨てとけよ俺のことなんか」
「全部、俺が好きでやってるんだ」
手の痛みが徐々に和らいでゆく。不思議な感覚だった。自分の手が氷になってそれが融解していくかのようだった。手は相変わらず熱を放ったままで、痛みだけが溶けて消える。
犬飼が囁いた。
「助けたいから、助けた」
やっぱり俺が必要だったろう、とは犬飼は言わなかった。飽くまで自分の意思だと断言した。大河にとって救済のようなものだったと同時に、理解しがたい言葉だった。
「仲宗根が好きだから」
呼吸の仕方を忘れる。
「……、ぁ?」
またしても理解不能な言葉を喋る犬飼に、今度は眉を顰めた。そのまま、次に発すべき言葉を見失ってしまう。包み込まれた手を振り払うことすら忘れて、大河は正面からぶつかる視線の意図を探ろうとした。
もとより犬飼は大河の反応など期待していなかったのか、口を閉ざして傷口に触れてくる。どうやって負ったのか分からない、血濡れの肉が顔を覗かせる下腹部。犬飼は躊躇なくその上に手を被せた。もんどりうつ程の激痛、の筈が、不思議と犬飼の手の温度しか感じられない。
「構うなっつってんだろうが……」
「無理だ」
「ここのところいなかったのは、俺が拒否ったからだろうが。ならずっと、出て来なくても良かったんだよ! 助けになんか来んなよ……! いっそ俺は死んでもよかった――」
不意に腹部へ訪れた強烈な痛みに、大河はやっとのところで声を飲み込んだ。一瞬で脂汗が滲み出る。身を捩るがそうすれば身体の節々が軋んで痛い。目を細めて見ると、犬飼の指が傷口に入り込んでいた。
「っが……! ひっ…て、めえ……何を…っ」
「無理に喋らない方がいい」
ぱっくりと開いて鮮血が溢れ出る傷口を、骨ばった指が抉るように掻き回す。目尻に涙が溜まるのを意識しながら喘いでいると、犬飼が傷口に顔を近づけ、舌を差し込んだ。
「ざけんじゃねえ……! う、あ……っ」
犬飼の生温かい舌が、それよりも熱い剥き出しの肉の上を滑る。中を探る。大河はぎゅっと瞼を固く閉じた。手は耐えるようにシーツを握り締めても痛みを忘れられる訳ではない。
何だこれは。こいつは何をしているんだ。何でこんなことが出来るんだ。
犬飼にどんな力があるかなど知ったことではない。余計なことをするなと叫びたいのに口から洩れるのは喘鳴のみで、ただもどかしい。
「く、っ……」
(まただ……!)
音楽室で傷口を舐められた時のように、異様な熱が身体を支配するようになった。それは犬飼の舌が蹂躙する患部から、徐々に全身へと広まってゆく。ずず、と血を啜られれば感覚に訴えるのは痛みではなく、別のもので、大河は焦った。
「やめ、……やめろって、犬飼っ」
生理現象に逆らうことは不可能で、熱を帯びた身体は反応を示し始めていた。犬飼の顔がある位置より少し下にある熱が、頭を擡げ始める。さっきのように強く吸われるとジンと甘い痺れが下腹部に広がり、腰がビクリと震えた。
こんなのおかしい。自分は今、致命傷を負っている。それなのに、身体は大河の意思とは無関係に、無遠慮に与えられる快感を拾ってしまう。寒いと思っていたのが嘘のように、今は熱い。
「…っい、犬飼、嫌だ……!」
犬飼が顔を上げた。視線が交錯するが、自分の目に情欲めいたものが浮かんでいないか不安で、顔を逸らす。衣擦れと、自分の荒い息遣いだけが聞こえてきて嫌になった。
「どけよ……」
気付かれはしないかと、不安ばかりが今の大河の胸中を占めていた。微かに身じろぎすれば中途半端に主張し始めた熱が布を擦れて、小さな悦楽を生む。そんな些細なことすらもこの距離では相手に伝わってしまうのではないか。そうしたら以前のように触れられるのではないか。そのようなことをいちいち考えてしまう。
這い上がってくる気配に気づいた時には、顎を掴まれて強引に顔を合わせられた。苦痛だった。今、自分はどんな顔をしているのだろう。恥か、憤りか、憎しみか、欲か。
「仲宗根」
刹那、時が止まった。それは永遠のように感じられた。
不謹慎な感覚を押し殺すような自分の低い息遣いと、ただ一心に、無邪気な子供のようにじっと見つめてくる犬飼の視線と。今存在するのはその二つだけで、決定的な何かが介入しない限り永久に続きそうな時間だった。大河はこの居心地の悪い時間が早く過ぎ去ればいいと、それだけをひたすらに祈る。何にも気づかずに、犬飼が離れてくれることを。
均衡を崩したのは犬飼の方だった。顔が近づいて、唇が重なった。
もがく暇も力もなかったように思う。負傷した身体は動かすのも億劫だったし、たとえ動かせたとしても簡単に封じ込められるだろうことは予想していた。案の定、大河は何らかの抵抗を見せる前に手首をやんわりと捕えられた。
「ふ……っ」
唇が一度離れ、今度は上唇を啄むようにされた。砂漠のように乾燥していた唇が、生温い唾液で湿る。改めて、こんな生々しい接触が出来るなんてこいつは本当に幽霊なのかと疑いたくなる。
唇を優しく嬲られると同時に、相手の手が下着の中に入り込んでくるのが分かった。熱い中心に触れられた瞬間、身体が強張る。軽く立ち上がった性器を握り込んだ手は、ゆるゆると上下に動き始めた。
「ッ…!」
流されてしまえば楽だろう。けれど大河は、安易に諦めてしまえる程に素直ではなかったし、理性も少なからず残っていた。残存した僅かな理性が、急にふつふつと煮えてきた。
これは前と同じパターンだ。唇が離れるやいなや、大河は震える腹筋を叱咤した。
「お前……俺で、何がしてえんだよ…っ、からかってるつもりかよ…!」
どうしてこんなことをするのかと。何を考えている、何が目的なのか、どういう意図があるのか。それらがまったく見えてこないから、犬飼は怖い。
ややあって、犬飼が口を開いた。
「別にからかってない」
「は……」
ごく至近距離では相手の表情は読めた。相変わらずの無表情だったが、何となく醸し出す雰囲気に違和感があった。
目。他から光など差し込まない場所なのに、目だけが不自然にギラギラと光っているように見えた。大河と同様に、情欲で濡れている目だ。
この男の、感情らしい感情を垣間見たのは二度目だろうか。至極人間らしいもので、犬飼には酷く不釣り合いに思えた。以前に触れた時だって、何も感じていないような冷たく黒い目で、まるで機械的だったのに。
「こうしなきゃいけないような気がして、それに従ってる。頭じゃなくて身体が」
「訳、分かんねえよ…」
「仲宗根も何も考えない方がいい。今は全部、忘れてしまえばいい」
犬飼の声が甘い催眠のように耳元で響く。支配力を伴わない催眠で、自然と脳に入り込んできた。不快な感じではなく、逆らおうとも従おうとも思わなかったが、手で瞼の上を塞がれて、ふわふわと宙を浮くような心地よい睡魔のような、しかし睡魔ともまた違う別の何かが訪れた。下肢を触る手が動き出す。
「ん、ぁ……あ」
既に蜜の滲んだ先端を指の腹でぐりぐりと刺激されると、鼠径部や脚の付け根に得体の知れない感覚が生まれ、びくびくと震えてしまう。そうするとまた、先端から溢れ出るような感覚がする。視界が明けると犬飼の顔が見下ろしていた。
改めてしっかりと見ると、やはり整っているのが分かる。パーツそれぞれの形が一寸の歪みなく整えられていて、そしてそれらがあるべき場所に寸分の狂いなく配置されている。目つきが悪く、傷の絶えない大河とは全然違う。
「はぁ…あ、ぅう……っ」
ボトムを膝まで下ろされ、局部が完全に外気に晒された。犬飼の手が、大河の性器をあやすように刺激する。先端から滲み出る液を竿全体に塗り込められると、蠢く手の動きが滑らかになって、ますます大河の息を乱れさせた。
まだ自分が信じられなかった。別段、性感を増幅させるような特別な何かをした訳でもないのに、犬飼の手に触られているだけで自慰とは全然違う、泣きたくなるほどの快楽が下肢を襲う。無意識に腰が浮いてしまうのは、どうにも止められなかった。唇を噛んだ。
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