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融解-12
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進路のことを考えると憂鬱だった。
しかし、期限がまだだからと先延ばしにしていると直前になって焦ることになる。実家を出て一人暮らしをしている大河は、家族といつでも進路の話が出来る訳ではない。
父親に小言を言われるのは確実で、そのためにやや高い交通費を出してまで帰るのは非常に億劫だが、仕方ない。
週末の朝、電車で地元へ向かった。アパートの最寄駅から電車に揺られること二時間、降りる駅に到着したのはお昼前だ。犬飼も一緒だった。
実家は駅から徒歩で十五分ほどかかる。こちらもまだ雪が積もっており、足を踏み出す度にギシギシと鈍い音が鳴る。
空は青く雪は降っていなかったが、触れる空気は冷たく澄みきっていた。コートも着ずいつもの制服姿の犬飼は、いくら平気なのだと分かっていても風邪を引いてしまうのではと心配するほど寒そうだ。
「俺の家もこの辺りだ」
「は?」
「駅から三分くらい」
「初めて聞いたぞ、そんなこと」
「言ってないからな」
犬飼の家がどこにあるかなど知ったところでどうなる訳でもないので今まで興味もなかったが、大河の実家と同じ地域だと聞き、少し親近感が湧く。
「じゃあ向こうで下宿か」
「いや、自宅通学」
「……ここから学校まで毎日通ってたのか?」
「ああ」
「始発で?」
「ああ」
出身地域が同じことにも驚いたが、自宅通学していたことの方が衝撃だった。
「何時起きだよ」
「五時。で、六時前の電車に乗ってた」
毎日五時に起床して学校に向かうなど、大河には到底考えられない。今も七時に起きることさえ辛く毎日身体に無理を強いているというのに、そのような早起きなど絶対に出来ない。
「何で下宿しねえんだよ」
この辺りには女子高や工業高校、商業高校しかなく、大学進学にもしっかり対応してくれる学校は設置されていなかった。難関大に入るという犬飼が遠方の鵜沢高校に通うのは分かる。大河も、父親の意向で鵜沢高校に入学した。大抵は大河のようにアパートを借りるか下宿をしている。自宅から通学するのは厳しい距離だ。
「下宿はどこも満員で、アパートも高くてうちは無理だった」
犬飼に比べれば自分は恵まれていた方だと大河は思った。高校への入学が決まった後、両親は最初からアパートで一人暮らしさせるつもりだった。大河にとっても、知らない他人の世話になったり、同世代と共に生活をするのは考えられなかった。
「アパート借りるより、家から通う方が安かった」
「……よく二年間も毎日通えたな」
驚きを通り越して尊敬すらしてしまう。
家の車庫に車はなかった。インターホンを押しても誰も出てこない。ドアには鍵がかかっており、どうやら家族は外出しているらしかった。
不覚にも大河は帰ることを連絡し忘れていた。誰も待っていない筈だ。
外は痺れるように寒く、家族が帰ってくるのを待つ場所もない。また後で来ることにして、進路相談に関する用紙をレターボックスに投函して家を後にした。
雪を被った家々が次から次へと過ぎ去って行く。大河は足元の雪を見ながら歩いた。
「犬飼、お前中学どこ」
駅へ向かう帰り路、犬飼に聞いてみた。昔から好きだった、と犬飼は言っていた。ならば以前に会ったことがあるということだ。
「中学は隣の隣の町」
「中学から遠いとこに通ってたのかよ」
「ああ」
「……小学校は?」
「駅の裏」
「あそこか。俺は神社の隣だった」
「そうか」
小学生の頃も中学生の頃も同じ学校に通っていた訳ではないようだ。保育園……と思ったが、そのような遥か昔のことを持ち出しても二人とも記憶がないだろう。
ならば一体どこで出会ったのか。
「……犬飼」
「何」
「どこで俺を――」
知ったんだ、と最後まで言う前に犬飼が突然足を止めた。視界から不意に消える。地面の積もる雪を見つめていた顏を上げて振り返ると、犬飼が呆然と立っていた。
「ここ……」
犬飼の視線の先は、墓地。下を向いて歩いていた大河は気づかなかったが、道端の塀の向こうに墓石が見えた。
「どうしたんだよ」
怪訝に思った大河が犬飼に近づくと、一瞥したものの再び墓地の方を真っ直ぐに見つめた。塀から僅かに覗く墓石の頭は白い粉を被っている。犬飼が、聞き取れないほどの小さな声で何かを呟いた。
「あ?」
「……」
「今なんて……っおい!」
今度は突然、歩き出した。大河の問いも聞かず、足元の厄介な雪をはばかることなく速足で墓地の入口へと回る。
「急にどうしたんだよ」
犬飼は無言で歩いた。まるで無視されているようで苛立つ。一人で進む背中を追っているうちにブーツの中に雪が入り込んできて大河は眉間の皺を深めた。
歩みを速めるが、厚く積もった雪は急く足を掠めとろうとする。走ろうものなら転倒させられてしまう。
「待てよ、無視すんな」
制止の声も届かない。大河は頭の中に浮かんだ予感に、得体の知れない焦燥を感じていた。
「犬飼!」
――ここには犬飼の墓があるのではないか。もし自分の墓を、死んだ証である墓を見たらその瞬間に消えてしまうのではないか。
(何を不安になってんだ俺は……)
仲宗根を守る、そのためにいる、と言っていたではないか。ならば急にいなくなったりしない筈だ。それでも、もし、もし消えてしまったら、と考えると足元に穴が空いたような気持ちになる。今進んでいる雪道でさえ崩れ落ち、奈落に落ちてしまうのではないか。
犬飼を失うのが怖い。怖い、と感じた自分自身に大河は驚愕した。それはきっと盾を失うのが怖いということだ――自分に言い訳をする。
周囲の墓石が迫り、道が狭まっているように感じる中、犬飼の背中は離れていく。既に除雪された道を歩いていると、突然、止まった。
「いぬ……」
ある墓の前に、一人の女性が立っていた。花瓶の花を替えている最中だった。
墓石には犬飼家之墓、と刻まれている。
大河の存在に気がついた女性は「こんにちは」と軽く会釈をした。ぎこちなく返す。
すっきりとした顔立ちの女性は見たところ四十代半ばで、目元や口元に細かい皺がある。頭の後で縛った髪の毛の中には僅かに白いものも見えた。
「犬飼の、母さん……?」
どことなく犬飼の面影がある女性は、大河を見て数回瞬きをした後「孝弘のお友達かしら?」と微笑んだ。
たかひろって誰だ、と逡巡するが、すぐに犬飼の下の名前だと気づいた。
「良かったら拝んで行って。孝弘も喜ぶわ」
墓の周辺に犬飼の姿はなかった。
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