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それからの夕は息をつく間も無い程急速に回復していった。
もちろん過去の記憶は、全て失ったまま。
「こら、ユーリ、そんなに歩きまわってはいけないよ」
「身体ならもう大丈夫ですよ、お父さま」
学園の中庭をきょろきょろと忙しなく歩いてまわる夕の姿を見て、ああ本当に忘れてしまったんだなと実感する。ふと病院での会話が蘇った。
「いまのところ、パーソナルデータだけが欠落しているみたいです。箸の持ち方から…服の脱ぎ着の仕方まで、社会的な行為は普通にできるのだけれど。」
「その記憶はいつ戻るんですか」
看護師は目を伏せた。
「分からない…としか言いようが無いです。ふとした拍子に戻るかもしれないし、じわじわと思い出していくかもしれない。」
夕は言った。
「目が綺麗になったね」と。
「朝陽君、…ちょっと、いいかな」
ぼうっと立っている僕を長身の男性が呼び止めた。すすめられるままベンチに座る。ここから見える景色は、つらい。
キャンバススニーカーの紐は少し緩んでいた。
「自己紹介が遅れたね。私はユーリの父のレオです。」
くすんだブロンド。切れ長の瞳は青い。
「ユーリが…夕が、目覚めた時、君がそばにいてくれていたと聞いた。ありがとう。」
レオは躊躇いがちに息を吐く。
「君のお姉さんのことを…周りはいろいろなことを言うが………この私があれは全くの不運だったと言えば、君は怒るかい」
たしかにあれは不運だった。事故前後の状況はどうであれ、僕の犯してしまった行為、それからいろいろなものが糸を引いて絡まった結果がアレなのだ。僕は首をふった。
「いえ…」
「君のお姉さんには…夕には、酷いことをしたと思っている。夕とミサトさんは決して出会って しまった のでは無いが…縁の無い若い2人を引き合わせたのは他の誰でもない私だ。それに夕には、息子には、脅しもしてしまった。」
すまなかった。そうつぶやき俯くレオは、まるで僕ではなく、姉さんを見つめているように感じた。だから、
「僕は…姉さんじゃありません」
「……じゅうぶん、承知している。」
「だからこそ、もう解放してあげたい。」
はっとなって顔をあげる。
そこには静かに涙を流す、美しい父親が座っていた。
大人は、狡い。
「解放するとか…解放しないとかそういう、」
「君は私達の世界を誰よりもよく理解しているだろう」
「………!」
「私の、思い過ごしかな」
僕は、責められているのだろうか。
「………いつから、気がついていたんですか」
手がぬるぬると汗ですべる。
涙など無かったようにレオは
「…毎日病室に訪れている少年のことが気にならないわけがない。…婚約者の、ミサトさんの弟だということが幾分邪魔をしたが、思い出したんだ。夕は随分とあの寮に固執していたことをね」
と言った。
(バレてる……)
僕と夕の関係が露見しているとして、この人は僕に何を求めるのだろう。レオはたしかに解放すると言った。それでは、何を。
この話の行く先がどこにあるのか分らない今、僕はただ心臓の音を必死に抑えるしかなかった。
「随分と辛い思いをさせてしまったね」
「…っ」
「君と夕は自由だ。」
そんな、
「そんな…」
「いきなり突き放すようで、すまない。無責任なことをしたと分かっている。それで君の姉が犠牲になった今、私が君にこんなことを言う権利も、資格も無いことは、分かっている。」
今更、恋愛するしないを一切自由にしろと言うのか。
いや、もともとこの人の意思でそれらが決まるわけではないというごく普通の価値観が、僕らの世界では通用しないことを僕はよく知っているはず。けれど僕らをそのしがらみから解放したい。このことを彼は言いたいんだ。
何周も巡った話からようやく理解できたこの事実は、…よく考えてみれば、レオや…僕の両親の立場からすれば、断腸の思いだろう。
「夕を、頼む」
でもそれは恋人として、だろうか。
恋人と決別し、姉が死に、自由にしなさいと言われた僕が、記憶を失った夕にどんな顔をすればいいのか、分らなくて。実は僕が恋人だったんだよなんて、言えるはずないじゃないか。
ふとした瞬間、知らず知らずの間に被害者ヅラをぶら下げている自分に気がついて、嫌悪する。
夕と付き合いたいのは……隣にいて、キスして、抱いてほしいのは僕なのに。
夕が好き。でも宙ぶらりんな自分が何をすればいいのか分らなくて、怖い。
今はただ、それだけ。
レオは言った。
「夕は君のことを、何と呼んでいましたか。」
「伊吹…です」
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