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焼けつくようなゴムの匂い。黒いタイヤ痕。
引きずられた血液。
湿ったアスファルト。
噎せ返るほどの悪臭が立ち込める中で、僕は真っ赤に染まった身体を抱きしめていた。
「姉さん」
肉なのか、皮膚なのか。
足は不自然な方向に曲がっており、あれほど美しかった顔も無惨に歪んでいる。
お腹からはみ出す内臓をかき集めては詰め入れた。必死に生を保持しようとする人間の肉はとても柔らかで、まだ生温かい。脈動しているような気さえした。
「姉さん……」
けれどただ一つ、きょろきょろと周りを見渡しても転がっていないもの。
ぽっかり空いた姉の眼孔。
目が、無いんだ。
ふいに最も死体らしい冷たさで、手に何かが触れる感触があった。
その人差し指と中指…それから親指は器用に自身の碧眼を取り出すと、それを薄暗い穴に嵌め込む。
「夕…?」
「お姉さん、死んじゃったね」
「へ…」
まあるく空いた穴が僕を見ていた。
「死んじゃったね」
―・・青い瞳(め)が、ぎょろりと動いた。
「………………っ!」
目覚まし時計もまだ鳴らない時間。
「…は、」
一体何度目だろう。
時々こうやって夢見が悪く、跳ね起きる時がある。それはいつも決まっていて、姉さんの遺体を抱きしめる僕を夕の青い瞳、姉さんの青い瞳がじっと見ている夢だ。
『死んじゃったね』
(…馬鹿らしい)
姉さんは死んだ。
不運だったんだ。分かっているはずなのに。夕の中の僕もいなくなって、そして。
放課後の出来事が蘇る。
「これでよし、と」
例の習慣は今も直らない。
全ての教科書を鞄に入れた僕は立ち上がった。そしてそのまま夕を見やる。
先に口を開いたのは夕だった。
「……あ。伊吹君」
「なに?」
「今日は…」
ガラッという派手な音にその言葉の先は掻き消される。
そのままこちらへと向かってくる忙しない足音。
「雛森さん!」
「みなづきくん、」
「へへ、ひかる、でいいですよ!食堂ぶりですね。斎藤から話は聞きました。さ、行きましょう?」
「行くってどこに…」
すこし間があって、光はやっとこちらのほうを向いた。
その視線には今まで世界に夕と自分しか存在していなかった、そんな性質が含まれていた。
ぎゅっと拳を握り締める。
何の気もないように、光は言った。
「ああなんだ、朝陽か。」
その笑顔に、つり上がった口端に、まるで腹の中に冷水がぶちまけられたような気分になる。
けれど反対に胸は燃えるように熱く脈打っていた。
こいつ……
(ムカつく…)
「知らなかった?僕達生徒会補佐なんだ。今から修学旅行のことで集まりがあるの。それで雛森さん、こういうの久しぶりだから僕が付き添いすることになって。」
「そう…」
「ということだから。じゃあね」
「光、ちょっと待って」
「…!、は、はい」
ひかる。
夕の薄い唇から、その言葉が発せられたことに僕は醜い憤りを覚えた。
前を向けず、ただ俯いていた僕に夕は、
「今日は先にご飯を食べて。たぶん、遅くなると思うんだ。」
と、言い、くるりと身を翻して光の待つ扉のほうへ歩いて行ってしまう。
待って。行かないで。
行っちゃだめ。
水無月光はあなたのことが好きなんだってば。
行かないで。
「夕…っ」
女のように唇を噛み締め眉根を寄せる僕を後ろから黒い目が二つ、ただじっと見つめていたことを僕は知らない。
そして現在に至る。
「……」
背中にあたる寝間着は軽く湿っていて、気持ちが悪い。
上の段からは規則正しい寝息が微かに聞こえていた。
どうしようもない夕への気持ちを舌先で転がす毎日に、僕は知らず知らず疲れていたらしい。
もしも記憶が戻ったら、夕は今の僕になんと言うんだろう。そのことを何度も考えた。それはある意味現実逃避、もしくは願望とも言い表せる行為で。
姉さんが亡くなったことを夕はどう受け止めるんだろう。それでも夕しか愛せない僕に、なんと言うんだろう。
それこそ、馬鹿らしいじゃないか。
きっと夕は自分を責める。
光と始めて会話した夜、切れた唇で帰ってきた夕。
あの婚約の裏になにがあったのか、彼の心中を計り知ることはできない。けれど。
互いに自分のせいだと責め続けて、行き先が同じ2本のレールにそれぞれ跨って、生きていくんだろうか。
そんなの嫌だと思う。
耐えられなくて、死にそうで。
幸せだった毎日に戻りたくて。
意地悪な笑顔で笑って欲しくて。
過去に2人でした人に言えないようなことを、キッチンや校舎の影を見る度に思い出して、身体だけを熱くするこんな毎日は嫌だ。
変わってしまった日々と、光という存在。とても嫌な予感がした。
それらを無理矢理取り払って、再び目を閉じる。
消えない不安を胸に抱えたまま。
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