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「〜っ…ん…っ!」
添えるというよりは、掴んだ顎を唾液が伝い落ちている。
口の中はとても甘い。ぬるぬるになった舌を吸って、唇を軽く噛むと朝陽は甘い声で鳴く。
「あさ…」
ずっとこうしたかった気がする。
抱き締めて、おおよそ口付けとは表せない接吻を交わして、そして何もかも、
「っや…」
奪って。
「やだっ……!!!」
次の瞬間。
思い切り突き飛ばされた。
「…った…」
よろめいてぶつかったのは机。各務京介がいつも座っているその席から書類がばらばらとこぼれ落ちる。
朝陽はその場にしゃがみ込んだ。床についた腕がふるふると震えている。
泣いているのだろうか。いやきっとおそらく、泣いている。
その証拠に微かな嗚咽が空気を伝ってこちらへとどいてくる。
「あさひ…、っ、…わっ…」
けれど俺は姿勢を戻そうとして散らばった紙に足を掬われ尻餅をつく。目の前の人間の目線と同じ高さになって、はじめて気がついた。
伊吹朝陽じゃない。
「ひかる…?」
「ぼくをっ…」
「え…」
「僕を…っ…あ、朝陽の代わりにしないで…!」
「なにいって…」
あれ、
(朝陽って…なんだっけ…)
光の声が辛うじて耳にとどく。
「僕は、水無月光です…!」
頭が、真っ白で。
金縛りにあう時みたいに。頭のてっぺんに開けた穴から入れた蛇口をひねったみたいに、うるさくて、あたまが、痛い。
「水無月光として、雛森夕のことが好きなんです……!」
ひなもりゆう。ひなもり、ゆう。
あさひとゆう。あさひ。
ゆうと、あさひ。
言葉が混じり合って変になる。
…おれは。
「夕、…雛森さんはっ…朝陽のことが……っ」
「う…」
「朝陽のことが、好きなんだっ…!」
しばらく荒い息が続いたあと、頭の上に言葉が降ってくる。
「あさひ、言ってた。………慕ってるし、想ってるって………」
はっとなって顔をあげた。
光は口を手のひらでおさえ、泣いていた。
眉根を寄せたままその手を取り払う。微笑を浮かべる。そして顔が再び歪む前に立ち上がり、走って。
走って行ってしまった。
ふらふらと歩いて寮まで戻る。
タクシー観光の計画は上手く進んだのだろうか、教室は空だった。
いくぶん冴えた頭で先ほどまでの映像を解析しようと試みる。けれどそれは生半可に終わった。頭が痛んだせいか、あまりに記憶が飛んでいるからだ。
「……」
わけが分からないことばかりだ。目を覚ましてから、ずっとそう。
伊吹朝陽は部屋にいるだろうか。聞きたいことが山ほどあって、それらを整理することすらもどかしい。
やがて目的地にたどり着いた俺は、静かにドアを開けた。
灯りは点いていない。やはり、まだ帰っていないか。靴を脱ぎ、廊下を歩く。
あたりはシンと静まり返っていて気味が悪いほど。簡単にキッチンで手を洗い、伊吹くんが作り置きしていた麦茶を冷蔵庫から拝借する。
伏せてあったマグを手に取った時、何か音が聞こえた。
「……?」
かたん、とマグを再び伏せる。勉強机やベッドが置かれた部屋と廊下を隔てるドア、そのすぐそばに立つ。
「…っ、…ぅ…」
苦しそうな声。
この声は……
「いぶきくん?」
大丈夫?そんな問い掛けはころんとフローリングの上を転がった。
なんで、泣いてるんだ。
「どうしたの…」
彼はベッドに背を預け、床にぺたりと座り込んでいた。それにいつもはすぐ部屋着に着替えるのに、今日はまだ制服を着ている。
「いぶきく…」
真っ赤に充血した瞳が際限なく見開かれる。
「………!」
同時に彼は立ち上がり、目をこすりもせず歩き出した。やっぱり。彼は水無月光と、いや、伊吹朝陽は水無月光と全く似ても似つかない。そんな思考が頭をよぎった。
その隅で、カツンという硬質な音が微弱に響く。
すり抜けるすんでのところで彼の腕を掴んだ。
「…伊吹くん、どうしたの?」
彼は俺の顔を見ようともしない。
「……」
「どこか調子悪い?それとも、俺、なにかした?」
重たい沈黙がおりる。
くぐもった声で伊吹朝陽は、
「………ごめん」
「へ…」
「なんでもないよ、ごめんね」
ぼく、ちょっと出てくるから。そう言ってへらっと笑っても、腫れた瞼と赤い鼻は隠せないのに。
「いぶきく…」
呆然として、俺は先程まで彼が背もたれにしていたベッドを何気無く見やる。いつかの言葉が蘇る。
『僕、枕2つ使ったほうがよく眠れて…』
何故か思い出したのは、昨日彼を部屋から連れ出した赤城慎一の顔だった。無表情。頭はあまり良くないけれど、いつも元気なイメージの彼からは想像もつかない能面のような顔。
「だめだ」
笑顔がくずれ、彼はか細い声を詰まらせた。
「え…」
「また赤城慎一のところへ行くんでしょう」
「……っ」
「俺は力になれない?それとも記憶が無い今の俺は、信用が無い?」
自分が何を言っているのか、どんな考えをしているのか分からない。それでも何故か彼を引きとめなければいけないと思った。
朝陽の端正な顔がくしゃりと歪む。
「そういうの、」
「…?」
「もう、つらい」
「つらいんだ」
今度こそ俺の手を振り払い、彼は歩いて行ってしまう。
拒絶するようにドアがバタリと閉じた。
暗闇のなかでそれは眩く光る。その存在を俺はまだ、知らない。
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