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うつむき、手の甲を目に押し当て、さめざめ泣きながら歩いた。
夕の心配をそっけない言葉で追い払ってしまったことと、それに対する自己嫌悪、葛藤…どどめ色のぐちゃぐちゃした気持ちで僕の頭はいっぱいだった。胃がきゅうきゅうと締め付けられる。痛くて、それでも、誰に何を言うことも、求めることもできない。
図星だった。
赤城はいつも助けてくれる。その優しさに僕が溺れきっていることを見抜かれたみたいで。
でも、夕だって、酷い。
…ずるい。
僕のことを心配してる暇なんてないくせに。
キスしてたのに。
誰もいない部屋で、2人で抱き合って。
夕は光と付き合ってるのに。
「…ぅ、ぅ…う」
そのことを思い出すだけで胸が痛くなって死にそうになる。使い古した、ぺらぺらのタオルで包んだ刃物でがんがんと心臓を叩いたらきっと、こんな痛みになるのかな、なんて考えてすこし笑った。
実現不可能だからじゃない。人間として僕が最低だと思い知らされたからだ。
姉さんが死んだことを忘れて…なんて呑気な、そう思っている自分の存在を改めて認知した。
でも、それは違う。僕を忘れておいて光と付き合うなんて……僕はほんとうは、そう思っている。たしかに姉さんのことを1日も忘れたことは無かった。美しい黒髪を、聡い瞳を。無邪気な笑顔を忘れたことなんて一度も無い。けれどもう少し早く別れていれば姉さんがあの日赤信号が睨む道路に殺されることは無かったかもしれない、そんな自己嫌悪にどっぷりと浸って泣き暮らす自分の存在を遠く突き飛ばし、夕へ夕へと向かう気持ち…夕のためならどんな鬼だってなれる自分の存在をいま、改めて知った。―・・知って、どうすればいいのか分からなくなって―・・
光が 憎い。
夕が…欲しい。
まぜこぜになって。
「ぁああぁあ―・・」
静かに、絶叫した。
それは溜めに溜めた気持ちが爆発した瞬間でもあった。頭を抱えて、瞼をぎゅっと閉じた朝陽の肩が小刻みに震える。目頭からは涙が際限なく溢れ出る。
「うっ…あぅ…うぅ…」
頭がパンクしてしまったみたいに真っ白になって。
倒れてしまう。
けれど膝から崩れ落ちそうになった僕の腕を、ふいに誰かが掴んだ。
「…朝陽」
頭の上に声がふってくる。
さっきまで止まらなかった涙がその声を聞いてぴしゃりと止まった。かわりに目尻が熱くなって、鼻がぐずぐずと音を立てて鳴く。
僕は顔をあげた。
「光」
光は一瞬すこし驚いたように目をみはって、それでもすぐに歯を食いしばる。その態度をこの時の僕はよく理解することができなかった。何故なら光は今、幸せの絶頂にいるはずなのだから。
手を振りかざした。
「………っく…!」
光はそれを振り下ろすすんでで止めて、強く拳を握る。爪さきが真っ白になるまで力を入れたところで、ぶらんと腕を宙に垂らした。
「分からない」
「…え…」
「僕は朝陽たちのことが、よく分からない」
どういう意味?その言葉は遮られて消える。光はさっと表情を変える。目尻を強めて、笑うように
「朝陽は夕のこと、好き?」
と言った。
ああ、馬鹿にされているのか。そう思った。
「……好きだと言ったら?」
ずいぶんと声が掠れてしまった。鼻をすすって、強く唇を噛む。光は目を細めた。何故かそれがとても悲しそうな表情に思えた。けれどそれは一瞬で。
「好きなら別れなかったらよかったのに」
「……何も知らないくせに……!」
気付けば僕は、光の胸倉を強く掴んでいた。頭に血がのぼり、冷静な思考はとうとうゼロになる。
僕は絶叫した。
「何も知らないくせに…っ!!!何も知らないくせに、そんなこと言うな!!!」
光はシャツを手繰り寄せている僕の手を振り払う。
バシン、と、硬い音が響いた。
同時に瞼の裏が真っ赤に染まる。
「………!!」
叩かれた頬をかばうより前に光は
「一番日の当たる場所で、誰よりも温かいところで王様に守られて……!騎士にだって守られてるくせに!!…っ…なんなの?…お姫様気取りのつもり!?」
と、吐き捨てた。じんじんと頬が傷む。おそらく僕は、今世界で一番醜い顔をしているだろう。
「何も知らないくせに?…そうだよ、僕は何も知らない。何も知らないから、努力した。…朝陽は何かしたの?誰かに何かを、気持ちを与えたことはあるの?ずっとそうやって泣いて、被害者ぶって、受け身で。…たまたま一回夕さんの恋人になれたからって、皆守ってくれるからって、」
言葉がうまくまとまらない。
光はその小さな体のなかで汗と、血とそれから何よりも大粒の涙を流していた。朝陽はそれに気がついているだろうか。憎くて仕方なかったこの目の前の少年が、いまその美しい顔を、醜く腫れた頬を抱え狼狽えている。
夕の心を満たすのは自分じゃない。
きっと前から分かっていたはずのことだ。なのに、今更胸を突き刺す痛みは想像を絶するほど辛いものだった。
伊吹朝陽のことが憎い。
僕だったら、僕だったら。そんな現実にならない言葉を腹の底に膨らますことしかできない自分とは違って、何もかも望めば手に入るこの男が。
もちろん光は知らない。
夕と実姉の婚約が恋仲を切り裂いたこと。
その姉が、ふたりを残して亡くなったこと。夕が記憶を失ったこと。
またそれらが、朝陽を酷く苦しめていることも。
長い睫毛が影を落とした。それは水分を含み、しっとりと濡れている。朝陽は相当こたえたようだった。当たり前だ。頬を張られ、酷い言葉を投げつけられたのだから。それでも後悔はしていない。と、光は思う。もう2度と立ち上がれないかもしれない。あるいは、再び夕とむすびつくかも…
けれど。たしかに僕は、雛森夕を好きだったから。光は言った。
「僕は雛森さんのことが好きだよ」
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