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貧乏くじは、楽しんで引け
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棗はうとうとしながら、黒鉄の首に回した腕が離れそうになる度にハッとして、手袋をはめた手の平をぎゅっと握り合わせた。
「もう直ぐ着く。寝てて良いぞ、ちゃんと落ちない様に支えているから。」
「うん、ごめんね。」
黒鉄がぐっと棗の体を引き寄せる。朝日が昇るのを待ち早朝から出発した為に、まだまだ夢の半ばに居た棗はふらふらとしている。旅の疲れが出ているのも睡眠を欲する原因になっている。
「いや、急がせて済まんな。」
訳は言えぬまま、如何しても早く屋敷へ着かねばと、黒鉄は休憩を挟みながら空路を無理せぬ様に配慮しながら急いだ。
はあ…と溜め息を吐く。これが性分なのか、ついつい余計な気を回している様に思う。紅丸はああいった性格だし、緑太は果ての屋敷の主へ仕える者としての責務が有り自分の感情だけで行動出来ない。そして白楊は、論外だ。貧乏くじを好んで引く運命なのかもしれない。
本当は柄に合わぬ行動だ。饅頭を食べて昼寝をする。のんびりと、自分の気の向くままに自由に行動するのが好きなのだ。
「でも悪くも無いな、」
常が来てからの日常は、この長い時の中に有り異色で退屈しない。まるで遠い昔に、人の世で暮らした若い頃の様だ。母親の顔は知らぬが、父親とは少し一緒に暮らした。もうその父親はとっくの昔に、長い命に飽きて精神を膿み自ら生を終えた。別段、別れに悲しみなどない。魔とはそういうものだ。
もしかしたら、常が来なければ黒鉄もまた飽きていたのかもしれない。瞳の色の煩わしさで、昔程人の世に混ざる気がしなくなっていたのは事実だった。
「黒鉄さん、何か面白い事があった?」
棗が寝惚け眼で聞く。黒鉄はいつの間にか浮かべていた笑顔のままで腕の中の棗を見た。この存在もまた面白く、側に居れば楽しい。
「そうだな。オレは今、楽しくて仕方ないんだろう。」
「僕も空を飛ぶの好きだよ。楽しいよね〜。」
「ははっ。そりゃ良かった。」
紫は緑太の希望通りに、首をしっかりと覆う襟の高い、少しサイズの大きな紺色の袍を着せた。肩につく髪は結わずに下ろしたままにしている。全て、常の性別が男性へ戻った時の為にと考えての事だ。
「さあ、用意は整いました。出掛けましょうか。」
常は手を引かれ部屋を出た。待ち構えていた白楊が赤月を伴い寄って来る。チリン、チリンと鈴の音が聞こえ、常はその方向へ顔を向けた。
「白楊、待たせたか?」
「いいや、そうでも無い。よい、私が手を引く。」
紫を下がらせ白楊が代わりに常の手を握った。紫よりは大きく、紅丸よりは小さい手の平。しかし三人共、その体温は低い。
「白楊、あの、見えないから階段は怖いんだ。ゆっくり降りてくれるか、」
螺旋階段の段差で怪我した事を思い出し、思わず足を止める。気分を害してしまうかもしれないと緊張しながら頼んだ。
「知っておる、」
「あ…うん。」
本当に?と思うが、そう言われてはこれ以上は念を押せない。手を引かれるままに、廊下から続く手摺りに触れながらそろそろと足を運ぶ。もう直ぐこうして欠かさず手を引いてくれる相手は居なくなる、棗を頼らずとも何でも自分一人で出来る様にならなければと、帰宅後に杖を購入するべきだと考えている。
白楊はゆっくりと、彼にしては辛抱強く隣を見ながら歩調を合わせる。常は全く白楊を見ない、焦点の合わない瞳は前を見据えて耳で拾う音と手足の感覚に集中している。
「おい、」
「え、何?」
急に手を強く引かれ、常は合わない瞳を空に彷徨わせる。鈴の音がチリリンと聞こえて、その方向に顔を向けた。
白楊はもやもやとした感情に駆られる。物足りない、何故だか腹が立つ。自分はこんなにも常の事を見詰め、考えて、尽くしているというのに。常はまるで素知らぬ顔なのだ。
「お前は、何故私を見ない。」
「は?……だって見えないから。」
何を言っているんだと、常は驚いた。言い掛かりも甚だしい。瞳を対価にと望んだのは白楊であり、それを承知した以上こうなっているのは仕方のない事だ。なのに何故そう言うのか、白楊は分かっている筈なのに。
「白楊様、常様は人間です。視力を失くしても困る事のない我々の様にはいきません。本当に見えていらっしゃらないのですよ。」
赤月が、自分の肩に止まっている緑太が口を開こうとしたのを制し、諭すように言う。
白楊は矢張り白楊である。根本的に人間への理解が足りてない。それもそうかと思う、あの人間嫌いがこうして常の手を取っている事すら奇跡的だ。
「ふん、人とは全く不便なものよ。目でしか物が見えぬとはな。」
「人とはそういうものだと、御理解下さい。」
「赤月、有難う。」
庇ってもらったと感じ、常が礼を述べる。紫は腕を組んで、黙ってそのやり取りを見ていた。
全くもって常が気の毒でならない、我が儘な魔物に振り回されている。白楊は己の欲望に忠実で気紛れな、魔物らしい魔物だ。果たして契約が済んだとして、こうも執着した相手を簡単に手放すだろうか…紅丸への遠慮など忘れていそうだった。
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