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一か月の、夏休みの終わり
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褐色に焼けて南国から帰って来た棗と、全く肌色の変わらない黒鉄は、一枚板の座卓の上に土産を広げた。黒鉄は、南国の果物を使ったキューブ型の甘い菓子を開けて、早速口へ放っている。満足そうに頷き、同じく甘い物好きの常にも勧めた。
そのやりとりを見ながら、棗は細かく砕いた葉が詰まった透明の袋を紅丸へ渡す。表には煙草の文字が読める。
「紅丸さんには、この煙草の葉を。これは妊婦さんにも無害のハーブで出来てるから、トキワの側で吸っても大丈夫ですよ。南国の特産品なんです。自分でブレンド出来るんですよ。」
「ほう、そんな物があるのだな。」
「へえ凄いな。何か、この匂い好きかも、」
常が紅丸の手元に寄り、袋の上からくんくんと匂いを嗅いでいる。悪阻はまだ続いているが、このハーブの匂いはすっきりとしていて、嗅いでいると落ち着く。
棗は予想通りの常の様子に満足して、次に小さな紙袋から中身を出した。
「それと、これは緑太さんに。髪留めなんだけど、貝の細工物なんだよ。」
「髪留め、ですか。」
受け取った緑太は、自分の緑色の前髪を少し指でつまむ。きっと上目遣いで髪を見ているのだろうが、癖のある髪はあちこちと跳ねて顔を覆っているので表情が分からない。
「髪留めは嫌だったかな。仕事してる時に役に立つといいなと思ったんだけど…。それに、似合うと思ったから。」
露店でよくよく見て、何軒か回ってようやく決めた物だった。三連の星の形に整えられた乳白色の貝は、虹色の層をきらきらと光らせている。角度が変わる度に、違う色が輝きを放つ。
「いいえ、私にまでこの様に綺麗な土産を頂き、誠に有難うございます。」
「ううん。こちらこそ、いつもお世話になりっぱなしでごめんなさい。その貝は、夜寝る時に側に置いておくと素敵な夢を見るらしいんだよ。良い話でしょ。」
「ふふ、それはとても楽しみです。」
その言葉に安心して、棗は微笑んだ。一番時間を掛けて悩んだのが緑太への土産で、あれこれ物色して何にしようかと迷い、素敵な夢を見るという話が、この貝細工にする決め手となった。
「それから、これはトキワに。リクエスト通りの物だよ。」
「やった!ナツメ、有難う!」
何だか可愛らしいピンクの袋にリボンが掛けられている。常は、少しあれ?と思ったが、リクエスト通りの品と言うからには間違いないだろうと、喜んで藤色の着物の胸に抱えた。
早く確認したくて、紅丸に中身を問われる前にと、体調を理由に一人で茶の間を出た。いそいそと自室へ戻る。牡丹の間の畳に座り込み、早速リボンを解くと袋をひっくり返す。
「へへ、これで俺を悩ますあの問題はすっかり解決す」
ばさばさと落ちたその色合い。その形。
「なんじゃこりゃあぁぁぁ、」
抑えられない叫びは、不運にも紅丸の耳に入ってしまった。
「実を言うと、僕が選んだ訳じゃないんだよね。ほら、そういう店って入るだけでも勇気がいるし、お店の人に体型とか伝えて、独身か既婚者かと聞かれたから新婚だって言ったんだ。あ、あと年齢も聞かれたけど、トキワって今の見た目が二十代前半でしょ、だからそう言っておいたよ。忘れずに妊婦さんって事も伝えたからね。」
それが薬湯を運んで来てくれた棗の言い分で、全くなんの悪意もない。むしろ良くやったでしょと、誇らしげなので常は黙って頷いた。
若妻下着を目撃された紅丸には、席を外してもらっている。笑いをこらえながら出て行く背中を、恨めしげに見送ったのは言うまでもない。座布団に座して、薬湯を黙々と飲む。
「でも、どうして南国の下着なんて欲しがったの。確かにすごくカラフルだし、暑い国だから開放的なデザインが多いけど、目のやり場に困るよね。」
「あー…うん。」
確かに下着を…正確に言うとパンツを頼んだ。でも、男性用のつもりだった、まさか棗まで女性用を買って来るとは思ってもみなかった。
「気に入ってくれた?」
「うん。有難うな、なんか一杯入ってたから何にするか迷うなぁ。」
ははは、と精一杯笑顔を作る。薬湯のおかげでもやもやとした吐き気は和らぎ、気持ちに余裕も出て来る。
「本当?なんか無理してない?」
棗の顔が曇ったので、常はいやいやと手を振った。
「ううん、本当に有難う!変なリクエスト言ってごめんな。」
「それなら良いんだけど。…あと大学の事、認めてくれてありがとう。僕、合格出来るように頑張るから。」
「俺に手助け出来る事があれば、何でも言ってな。」
常が棗の手を取る。その手の形は間違いなく常の物だが、肌はふわりと柔らかく、剣を握らなくなった手の平には硬い皮膚が少し残っているだけだ。これもやがて無くなるのだろう。
「トキワ、」
もう、無精髭のだらしない三十路男の姿は朧げだ。藤色の生地に、黄色のまんじゅう菊がぽてりぽてりと愛らしく咲く着物。中紅梅の帯を可憐な文庫結びにしてある。緑太が揃え、体調を見ながら着せ付けを手伝った物だった。
しかし、この美しく若い女性と見紛うばかりの姿も確かに常なのだ。
「もう少しだけ待っててね、僕はきっと大人になるから。」
「うん。でも、慌てなくていいぞ。甘えられる時間なんてあっという間さ。もっと頼って良いんだ。」
貧乏だった頃も、そうでない今も、常の本質は変わらない。
濃紺の髪を彩るかんざし。紅丸から貰ったのだと聞いている豪奢な輝きは、常の容姿に華を添える。花の盛り、何の苦もなく見えるのに、その人生は稀有にして激動なものだ。
「うん。」
眩しくて、棗は潤みそうになる目を閉じた。
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