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猪俣先生④
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(葵語り)
「…………言ってる意味が……わかりません。」
一言絞り出すのがやっとだった。
「昨日、巡回中に猪俣先生の車がビジネスホテルから出てくるところを見たんだ。
その後、君が出てきた。言ってる意味は分かると思うよ。」
意味を考えたくもなかった。
それって、俺をホテルから尾行してたってこと?
先生とのことは、誰にも言えない。言いたくないし、言うつもりもない。
黙り続けている俺に、熊谷先生が続ける。
「これは、年上からの忠告だと思って聞いて。」
「……………」
「猪俣は既婚者だ。」
そんなこと知ってる。
「知らないかもだけど、先週赤ちゃんも生まれたんだ。
猪俣はずるい大人だ。君は利用されているだけじゃないかな。」
俺は利用されてるって、先生はずるいって、分かってる。
いちいち言葉に出して残酷なことを言わないで欲しい。
「このことは、他言しない。よく考えて、自分を大事にしてほしい。」
分かり切った御託を正しいかのように並べられた。
大人はずるい。
何も生まれない関係なのは、分かっていた。
俺からお願いして始まった関係だから。
好きだったから、その時はそれでよかった。
人間は貪欲で、欲しかったものが手に入ると、もっと上のものが欲しくなる。
俺は先生のすべてを独占したかった。
「………熊谷先生。」
「何かな?」
「俺は……自分を大切にするって言葉の意味がわかりません」
「……そうか……じゃあ、俺が教えてあげるよ。毎日少しでいいから、こうやって話そう。」
話す?そうしたら分かるの?
そしたら、先生を諦めることができる?
声とか、手とか、おへその形とか、キスとか、ぎゅってしたときの匂いを忘れることができる?
そんな訳ないじゃん。
「毎日熊谷先生と話すことなんてないです。」
「ははは、何でもいいんだよ。話さなくても俺が一方的に話すから聞いていて。
明日から、お昼ご飯をここで一緒に食べよう。約束な。」
熊谷先生は、出張で居ない時もあるからと俺に携帯番号とメールアドレスを教えてくれた。
これが俺と熊谷先生の始まりだった。
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