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前編2
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「あれ……笠井さん、背伸びた?」
「29にもなって身長伸びてたら変でしょ」
「えっ、29才になったの?」
「連呼しないでよー。絋くんは伸びないわね~相変わらず」
「うるさいよっ、おじさん」
「あ。傷ついたわ」
軽口をききあいながら、椅子を倒した笠井さんの指が髪を梳いてくれる。
気持ちいい。
笠井さんの指は、魔法みたいだ。
空気みたいに触れてきて、いつも器用に俺を変えてしまう。
ふと、その指先が首筋を撫でた。
「っ」
「……あ。くすぐったかった?」
全然悪いと思ってない声で、笠井さんが言う。
「……あのさ」
「んー?」
「なんでいつも笠井さんが、シャンプーするの」
「あら、ご不満?」
こういうのって、大体、若いスタッフさんがするんじゃないのかな。
でも、笠井さんの手は気持ちよくて好きだから、別に……嫌じゃないけど。
お湯が、髪を撫でていく。すぐにシャンプーのいい香りに包まれた。
やっぱり、笠井さんの手は、気持ちいい。
うっとりしてると、ふいうちのように首筋や耳の裏を撫でられて、びくっとする。
「気持ち悪いところ、ございませんか?」
「ない、です」
「……じゃあ、どこが気持ちいい……?」
囁かれて、頭の先から噴火しそうになる。
「……笠井さん!」
声を裏返らせて怒ると、また笠井さんが、おかしそうに笑った。
時々こうしてからかわれるのも、別に嫌じゃない。恥ずかしいけど。
年上で仕事ができる人への憧れだとか、いろんなものが混じり合ってて……笠井さんに会うのは、楽しいと思う。話をするのも楽しくて、充実した時間のような気がするんだ。
シャンプーが終わって、椅子を起こされる。
「はい、終わ…」
言いかけた、笠井さんの空気が一瞬止まった。
不思議に思って振り向こうとすると、タオルで髪をわしゃわしゃとかき回される。
その間はいつものように無言で……一瞬の引っ掛かりは、あっと言う間に霧散してしまった。
「お席こちらでーす」
いつものように穏やかな明るい声で案内してくれる笠井さんをちらりと見上げると、その笑顔が、いつもと違う気がした。
うまく説明できないけど……なんとなく心ここにあらずって感じの、そんな笑顔だった。
真っ黒じゃない、自然な茶色。
前のも綺麗な色だった。ただ、明るすぎたけど。
惜しかったな、なんて思いながら、カウンターまでエスコートされる。
受付でスタッフさんに返してもらったカバンから財布を出そうとしたら、やんわり、男っぽい大きな手で止められた。
驚いて笠井さんを見上げると、困ったように笑っている。
「オイタの責任をとっただけだから」
「でも――」
「明るいのも可愛かったけど、やっぱ黒ってストイックでいいわよね」
笠井さんが、さりげなく話題を変えながら俺の髪をかき上げた。すごく自然に入り口の外までエスコートしてくれる。……この人は、こういうところが、すごい。カットの腕だけじゃなくて、接客もプロって感じだ。
「……急にごめん。ありがとうございました」
「なーに、改まっちゃって。気持ち悪い」
「……人が素直に頭下げてるのに」
笠井さんが、柔らかく小さく笑う。
「もう遅いから、真っ直ぐ帰ってね。寄り道しないように」
「すげえ、子ども扱いー」
「なんなら駅まで送――」
「いい、いい! 店長、お客さん待たせてる!」
保護者みたいだ。……こういう優しさは、いらないんだけど。
俺がむくれてると、髪を撫でてくれた。
その撫で方が、またすごく優しくて、ぎゅっと胸が掴まれたみたいになった。
なんだろ、これ。苦しい。
窺うように見上げると、とろけそうな柔らかい笑顔が降ってきて。
……言葉が出ない。
「……か、笠井さん」
「ん」
「……メール、いつなら送っていい?」
ちょっと驚いたような笠井さんの顔。
俺は、はっとして手で口を覆った。
甘い雰囲気に気が緩んで、つい。切羽詰って甘えたみたいな自分の声に、我ながら驚いた。
慌てて咳払いする。い、今のは、ちょっと喉が変になってたんだ。だから。
「し、仕事中だと、迷惑かなって思って。いつならいいかなって」
しどろもどろになってたら、また、ぷって吹き出される。
「いつでも。……また髪触らせてね、紘くん」
そう言って、笠井さんが悪戯っぽく微笑む。
それが、いつもの柔らかい笑顔と少し違って……艶っぽいっていうか。色気があって。
またどきどきしてきたから、また来ますって、慌てて階段を降りた。
階段の下から見上げると、笠井さんが、小さく手を振ってくれた。
――顔が熱い。
足早に帰り道を歩きながら、ふわふわ地に足がつかない感じがする。
いつもサロンの帰りは、こんな風になる。
通い始めて1年ぐらい経った頃から。
笠井さんに会いたくて、通う回数が増えた頃から。
「……会い、たい?」
口にして、呆然となる。自然と足が止まった。
鏡張りのショッピングビルに映った自分の姿が目に入る。
笠井さんと比べたら、身長もないし、顔も幼い。体も細っこくて、自慢できるところなんか何もない気がする。
釣り合ってない、って言葉が浮かんで、消えていった。
さっきまで笠井さんが触っていた髪が、鏡の中でさらさら揺れている。光を浴びて、深い茶色がきらめいていた。
それだけが、笠井さんが俺に触れる、唯一の理由。
清涼感のあるシャンプーの香りが、体を包んでる。
まだ笠井さんが傍にいるような、そんな気がした。
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