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階段は鬼門だ。
「お願いです、1時間だけ」
上の踊り場からキンキンと高い声が聞こえて、うっと立ち止まる。
「えっと……困ります。規則です、から」
言葉通り、ホントに困ってるみてーな七瀬の声が耳に届いた。
ここの階段は密会所か? だからあんま使われてねーんだろうか? うちの会社だと、あんまエレベーター使うなって言われるし、3階から5階までくらいは、普通にみんな階段だけど。
「プロの目で、シューズを選んで欲しいんです。それならいいでしょ?」
いい訳ねーだろ、と思うオレをよそに、七瀬がしどろもどろに断りを入れる。
「あの、シューズだったら、3階の売店で」
「売店にはサイズがないんです。私、21cmだから」
女と付き合ったことねーから、それがどんだけ小さいのかは分かんねぇ。小学生サイズじゃねーの? じゃあ、小柄な女なんだろうか?
「七瀬さん、今日、7時まででしょ? そこから残業だと思って、1時間。シューズ選びに付き合ってください」
「いや……今日は、あの、予定が……」
ウソだと丸分かりの七瀬の声。それは女の方にも分かるんだろう。さらに食い下がって来た。
「何の予定ですか? じゃあ私、終わるまで待ってます」
ドン引かれてんのも分かるだろうに、この積極性はある意味尊敬だな。つまりそんだけ本気ってことか?
……七瀬に?
「と、とにかく困りますから。お約束はできません」
七瀬は早口でそう言って、逃げるように階段を駆け上がってった。
女はどうするんだろう?
さすがにそれ以上、追い縋ることはしなかったみてーで、「待って」とも何とも聞こえねぇ。
いかにも今来たって感じで、わざと足音を立てながら階段を昇ってやると、思った通りの小柄な女とすれ違った。
「ちわっ」
爽やかさを装って挨拶してやると、ぺこりと頭を下げられる。頭の位置がだいぶ低い。気の強さと体の大きさは、比例しねーんだな。
断られても、断られても、ぐいぐい迫る勢いはスゲェ。勇気ある。いや、うらやましい訳じゃねーけど。
うらやましい訳じゃねーけど……モヤッとした。
言い寄ってくんのは、あんな女ばっかなんだろうか? 前に階段で、プレゼント押しつけてた女とは違うよな?
いっそ階段なんか使わなきゃいーのに。そう思う反面、エレベーターで2人きりになったらと思うと、そっちの方が心配でもある。
だから敢えて階段なんかな? エスカレーターとかあればいーのにな。
5階に上がると廊下は人でいっぱいで、やっぱ金曜とは違うなと思った。きゃあきゃあうるせぇ。
その中心には七瀬がいて、「すみません」って謝りながら、スタジオの中に入ってく。
「ちょっと遅刻ですけど、素早く始めましょう」
七瀬の声に続いて、ぞろぞろとみんなが中に入った。どうやら、今からファイティングエクササイズが始まるらしい。
今日は5階でやるんだな。
ぼうっと考えながらロッカーに入り、シャワールームで汗を流す。
七瀬はまたマイク片手に、キレのいい動きを見せるんだろうか? 男女比半々くらいに見えたけど、モテんのは女からだけか?
自分でもバカなこと考えてるなと思うけど、邪推が止まんねぇ。
スタッフと客の恋愛がダメなら、スタッフ同士はどうなんだ? 若い女スタッフばっかの職場で――汗かいて。間違いとか、ホントに起こったりしねーのかな?
「くそっ」
小さく悪態をついて、シャワーを止める。
運動しても、やめても、頭は七瀬のことでいっぱいで、気分転換もできねぇ。
オレも女どもを見習って、ぐいぐい行くべきなんだろうか。例え「ウザい」って言われても。
それから着替えてジムを出て、適当な店で昼メシを食ってから電車に乗った。
ジムのある乗換駅から、普通電車で2駅。駅から歩いて10分程で、オレの住む1DKの小さなアパートが見えてくる。
1DKつったって、料理なんかせいぜい、食パン焼いたりカップラ作ったりするだけだ。シンクなんかほとんど使ってねーし、今思えばワンルームでも良かったかも知んねぇ。
冷蔵庫に入ってんのはビールやつまみばっかりで、野菜食えって、前に母親にも怒られた。
ああ、そんで言われたんだっけ。「太ったんじゃない?」って。あん時は余計な世話だと思ったけど、結果的に七瀬に再会できたんだから良かった。
いや、視線も合わねーし笑ってもくんねーし、避けられてんのは間違いねーから、「良かった」っつーのも変だけど……でも、あのままずっと会えねぇよりマシだろう。
運が良かった、っつーか。
数あるスポーツジムの中から、七瀬が勤務してるトコを引き当てたのも。七瀬が出勤してる時間帯に通えたのも。縁があったんじゃねーかと思えて、仕方ねぇ。
アパートに帰り、ベランダからふかふかになった布団を回収する。
ゴロッと寝転んだけど、やっぱそのまま寝る気にはなれなくて、腹筋や背筋を60回した。
『7時までですよね』
階段で聞いた、キンキンと甲高い女の声を思い出す。
シューズ選ぶだけっつってたけど、常識で考えたら当然そんだけで終わるハズもなくて、じわっと腹の奥が熱くなる。
夜7時つったら、まだ警戒するような時間帯でもねーけど、その油断がヤバくねーか?
七瀬は「困る」っつってたけど、あの女は簡単に諦めそうもねぇ。用事があるってのはウソだろうし、どうするんだろう?
諦めて、シューズ選びだけ付き合うのか? 家までついて来られねぇ?
同僚か誰かに協力して貰えりゃいーけど、あいつの性格からして、そんなこと頼めるとも思えねぇ。いや、世話好きのヤツが側にいれば……。
ふっと頭に、あの暑苦しいハキハキスタッフの顔がよぎって、モヤッとする。
いや、男性スタッフならまだいーけど、女性スタッフは?
考えれば考える程、モヤモヤが募って落ち着かねぇ。せっかくの土曜だっつーのに、リラックスなんかできそうになかった。
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