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愛した人◇06
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帰るのが気まずくなかったといえば嘘になる。
彼を抱いた感触と、彼の甲高い声が今も脳裏に焼きついて離れない。
こんなとき、お詫びのケーキでも買って行ったらいいのか、金でも封筒に入れて渡せばいいのか、分からない。
あんなにも感情的な行動は初めてだったからだ。
ーーいや、一度だけあったかもしれない。
今の彼女と付き合うキッカケも、まずは言葉より行動だった。
泣きじゃくる彼女を抱いて、抱いてしまった羞恥心と罪悪感で俯き黙る俺を見て、彼女はおかしそうに笑って言った。責任とって付き合って、と。
「……浮気、じゃん」
何年目だったか、彼女とまだ辛うじて一般的な恋人関係を保っていた頃、浮かれて二人で指輪を見に行った。
何度も何度もデートのたびに下見に訪れて、眩しいくらいのライトの中で光り輝くそれを眺めていた。
今はもう、家を出てから電車を待つ間、駅のホームでこっそりと付ける銀色の指輪。
偶然にも居酒屋で会ったあの日、彼女の左薬指にはまだ付けられていただろうか。
「あら、良ちゃんいらっしゃい」
無意識に足がアポロンへと向かっていた。
俺を見るなり嬉しそうに口元を緩めた恵太さんが、座って座って、とお決まりのカウンター席を案内する。
薄暗い照明にBGMとして流れるジャズが、身も心も落ち着かせてくれる。
「なあに、ずいぶんと久しぶりじゃな〜い!あれから裕くんとは上手くいってるの?」
確かにずいぶんと久方ぶりだった。木下に付けられた酷いまでの愛の印とやらを見つけてしまい、恵太さんに相談をしに行ったあの日から、このアポロンへは足を運んでいない。
それほどまでに、木下との日々が当たり前になっていたんだ。
朝、木下の声で目が覚めて、彼が作る朝食を食べて家を出る。
値段を気にするコンビニ弁当じゃなくて、毎度後輩に茶化される手作り弁当を堂々と広げて昼食を済ませる。
そして、少しだけ大きいエプロンを付けた木下に、おかえりと言ってもらうのを期待して早足で家に帰るんだ。
長い電車の中、世界はあまりにも薄汚いのだと歌うバンドの音楽も、常連だったコンビニでアルバイトをする胸が大きなあの子も、夜遅くまでゲームセンターで遊ぶだらしがない制服と髪色の学生たちを馬鹿にしながら眺める日々も、もういらない。
俺にはもう、必要ない。
「ごめん、恵太さん。応援するって、またいつでも来ていいって励ましてくれたのに、俺、自分勝手でごめん」
「いいじゃない、自分勝手で。それだけ夢中なんでしょう、あの子に」
未だに何も返せない自分に腹が立った。
「アタシは今の良ちゃんの方が好きよ。だって前までの良ちゃんなんて、来るなり死んだように飲むんだもの〜。もう、見てられなかったわっ」
「……恵太さんに、聞きたいことがあるんだ」
俺がいつも頼む酒を、忘れずに出してくれた恵太さんが目を細めていつになく優しく微笑む。
「アタシに答えられることならなんでもいいわよ」
カラン、と中の氷が動いて、机をキラキラと光らせた。
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