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つまらないはなし◇06
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そろそろ行こうか、という木下の合図で、俺たちは家を後にした。
「ここだよ」
「え……」
落ち葉が軽く舞っていた。冷たい風が頬を掠って、少しだけ痛いと感じる。そんな場所だった。
「ここって、公園じゃないか」
しかも電車も乗らない、徒歩で行けてしまうくらい近い小さな公園だった。
駅とは真逆に十分ほど歩いた場所にあるため普段は足を運ばないが、近所の子供たちがよくサッカーボールなどを持って家の前を通り過ぎる。そのため、公園の存在だけは確かに感じていた。
「なんでまた公園に……せっかくの休みなんだから、もっと贅沢したっていいんだぞ」
「日比谷が俺のことを家に呼んでくれてさ、あれからもう三ヶ月になるね」
白いスニーカーで軽く土を蹴った木下が、ふと過去を振り返るように話し始めた。
遠くのほうで、若い母親とその子供がはしゃいでいた。
「急になんだよ。……呼んだというか、木下が泊めてって言い出したんだろう」
それから彼の痣を見て、俺が知らない場所に返すのが怖くなった。守ってやりたいとも思ったし、これがチャンスだとも思ったのかもしれない。正義感か、醜いエゴか。
「俺が料理を作るようになって、日比谷は掃除をして、二人で洗濯をして。もちろんはじめは、こんな俺でも気まずかったし遠慮もそれなりにしてた。……でも日比谷は優しいから、甘えてた」
右手で靡く髪を押さえた彼の目元が、二度ほどゆっくりと瞬きをする。長い睫毛が影をつくる。
「日比谷が俺のことを好きだったって知って、正直参った。俺、日比谷のことそういう目で見たことなかったから……。日比谷の前では、ゲイの俺じゃなくて、ひとりの人間としての木下裕也でいたから。……戸惑ったよ」
今でも好きだと、言えなかった。
「俺たち小学生の頃から一緒なのにさ、お互いのこと何も知らないね。当時からあまり話す仲でもなかったし、仕方ないんだけどさ。だから二人でゆっくり話をするには、公園が良いかなって思ったんだ」
初めて彼を見たときの感情なんて、今になってみればよく思い出せない。目の前に純白の天使が舞い降りてきたような光に満ち溢れたものだったかもしれない。或いは自分にだけ何万ボルトもする雷が落ちてきたような衝撃的なものだったかもしれない。
唯一つ言えるのは、それが俺の初恋だったということだけだ。
「……もっと話してみたいと思ったんだ。ゲイバーに来るのに丁寧に指輪をはめたままの日比谷と、本当は朝食は食べないくせにパン派だって嘘をついた日比谷と、バカ真面目なふりして自分の限界なんて知らないでお酒を飲み過ぎたり、俺のことを勢い任せに襲ったりする日比谷と、……でもーーでも、その行為をラッキーだと思わずに後悔してる日比谷と、もっと話してみたいと思ったんだ」
「っ」
寒いのか、と聞きたかった。木下の長い長い言葉は確かに俺の頭に入ってきて、入ってきているからこそ聞きたかった。どうか寒いんだと笑ってくれ。でないと俺は勘違いをしてしまう。その赤く染められた頬が、俺のための彩りだと、馬鹿みたいに勘違いをしてしまうから。
「俺の知らない日比谷を、もっと知りたい。日比谷は、日比谷の知らない俺のこと、知りたい?」
「お、れはーー」
「裕也!!」
この地球上に二人だけしかいないと思い込んでいた。子供たちのはしゃぐ声も、犬の吠える甲高い声も、風の音ですら聞こえていなかった。それを一瞬にして引き破る、怒鳴り声とも似た何か。
「どこにいたんだよ、ずっと探してたんだぞ!連絡先も消して、家も出て行って……お前には俺がいないと駄目だろう?!」
「三崎、さん」
木下の、今にも消えてしまいそうなか細い声から出た名前を、俺は知っている。
俺が知っているということを、俺だけが知っている、あの夜の日。
それは彼の、自身を傷付けてまで愛してやまない、恋人の名だった。
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