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確かなこと◇01
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「三崎、さん」
何でこのタイミングなんだとか、何でここにいるんだとか、思うことは山ほどあった。けれどそれよりも、こいつが、この男が木下を今までずっと傷付けていたのかという怒りが込み上げてきて、胸の辺りがザワザワとした。直感的に、許せない、と思った。
「裕也、寂しかっただろう?さあ、家に帰ろう。もう怒ったりしないから。お前が好きなものでも食べようか。何が食べたい?」
掴まれた木下の腕が、小刻みに震えていた。
「お、俺はっ……あの……、」
「誰だ?そいつ」
三崎という男は目を細めて睨むように俺を見る。
「あっ、日比谷です。木下の、小・中の同級生で」
「ああ、そう。でも何でこんなところにいるのかな。もしかして、今までずっと裕也といたのかい?」
「それは、あのっ……」
言ってはいけないことだと誰かが口を止めていた。俺の発言ひとつ間違えただけで、木下がまた傷つけられてしまうかもしれない。あの日に見た、痛々しい傷跡が蘇る。
「み、三崎さん!俺にだって友達と遊ぶことくらいあるよ。ははっ、三崎さんは心配症なんだから。俺、もう二十三だよ?心配しないでよ」
木下の引きつった笑顔が苦しかった。俺には何もできなくて、この場から逃げてしまいたいとすら思った。
「そうか、そうだったね。いつまでも学生じゃないんだね。いやぁ、また裕也が誰かに傷付けられているんじゃないかと思うと不安で
仕方なくてね」
「……うん、いつもありがとう」
「暫く帰って来なかっただろう?電話をしても連絡を入れても繋がらなくて……警察に言おうかとも思ったよ。でも警察はほら、嫌な思い出があるだろう。だからこうして探し回っていたんだ」
こんなところまで、と一瞬悪寒が指した。そう感じたのは木下も同じようで、みるみるうちに表情が青白くなっていく。
「そっか、心配かけてごめん。携帯はあの……壊れちゃって。今までは友達の家に泊めてもらってたんだ」
「友達って、その日比谷って子かい」
ドクンッという大きな動揺の音が、周りにも聞こえてしまうんじゃないかというくらい身体中を伝って響いた。
尚もぎこちない表情の彼が、掠れた声で「違うよ」と呟く。
「日比谷とは、今さっき、たまたま会っただけ。何も関係ないから。泊めてもらっていた友達の家も、もう出て行くつもりだったから。もう気にしなくていいよ」
「ああ、そうした方がいい。裕也は俺の側にいるのが一番幸せになれる。裕也もそう思うだろう?」
「そう、だね」
俺の手元で、弁当の入った紙袋が音を立てた。
朝、やりたいことがあるといつもより早く起きていた木下。
楽しみにしていると、白い歯を見せて笑った木下。
自慢げに弁当を見せて、豪華にしてみたと胸を張る木下。
今日も何も変わらない一日が過ぎていくのだと信じて疑わなかった。疲れたねと笑いあって、互いに順番に風呂に入って、くだらないテレビ番組を雑音に残った弁当を二人で食べる。広いベッドで並んで寝る夜はいつまでも慣れなくて、少しだけ下心をチラつかせて眠りにつくんだ。
突然やってきた非日常が、日常になっていたこの日々が、壊れてしまう日なんて来るはずないといつの間にか思い込んでいた。
「……だ、めだッ」
「え?」
無意識に発せられた言葉に、木下と男は心底驚いた表情をしている。驚いたのはこの二人だけじゃない。俺だって、自分自身だって驚いているんだ。
「木下は帰せない。少なくとも今だけは、俺との時間だ。前から約束していたんだ、すぐに木下を帰すわけにはいかない」
「何言ってるんだ、お前は。そもそも裕也は俺のものだ。人のものを勝手に奪っておいて威張らないでくれるかな」
「木下はものじゃない!アンタのものでもないっ。木下の幸せは……木下が幸せになれる場所は、木下自身が決めることだ!」
内心は、物凄くドキドキとしていた。動揺だった。恐れだった。興奮だった。
言ってやったぞと胸を張る自分と、言ってしまったと頭を抱える自分がいる。
「俺のことを否定するって言うのかこの泥棒野郎!!」
荒い呼吸をしているというのは、自分の肩が妙に上下していたので気が付いた。
「ッ……三崎さんやめて!」
飛び出してきた木下が、俺の前で大きく手を広げる。瞬間、鈍い音が響いて木下が崩れ込んだ。
「木下!?」
彼の左頬が大きな痣をつくっていた。ポタポタと垂れ落ちる血は口から溢れていて、恐らく口内を切ったのだろう。
「大丈夫か木下!すまない、俺がこんなっ……木下、きのしたっ」
「ああもうっ、お前のせいで裕也を傷付けてしまった。お前さえ、お前さえ傷付けばいいのに大切な裕也までっ」
「今はそんなことどうでもいいだろう!早く病院に……ッ」
騒ぎを聞き付けた野次馬達が、ちらほらと輪をつくりはじめていた。口だけは達者なくせして、誰も助けてくれる様子はない。その場にいたという事実だけが、この暇な人間達を主人公にするのだろう。
「チッ……人が多すぎる。大事にされちゃ困るんだ。日比谷と言ったか、お前のことはいつか殴ってやる。覚えておけ」
「あっ、おい!病院!」
逃げるように人の隙間を通り抜けていく男を呼び止めても、振り返る様子はなかった。
「どうしよう、こんなに血がっ……ちょっと待ってろ、木下。すぐに救急車を、」
「へい、き」
上着のポケットに入った端末を取り出そうとした腕を、彼に止められた。
「でも血がっ!もしかしたら傷が深いのかもしれない。とりあえず医者に診てもらわないと!」
「深くない……から、」
「そんなの分かんないだろ!?」
「わかる」
情けなく笑った木下が、力一杯に俺の手を握る。
「いつもの感じだから、わかる。血がひどいだけ。口の中をゆすいで、タオルでも詰めておけば、そのうち治る」
いつも。
いつもって、なんだよ。なんだよ、それ。
「ふっ、日比谷、へんな顔。……今は日比谷と話したい。水道まで、連れてって」
ちくしょう。悔しい。
そんな顔で、笑わないで。
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