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確かなこと◇03
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暫く秋風に当てられていた。
朝方見かけた親子はいつの間にかいなくなっていて、代わりに遠くの方にあるもう一つのベンチの前で老人達が群れて体を動かしていた。
「お弁当食べよっか」
どこか遠くを見つめた木下が、ひとりごとのように呟く。
「ああ」
隣に置いていた紙袋を広げて、中から弁当を取り出す。
俺はオカカの入ったおにぎりを、木下はまだ頬が痛そうにサンドイッチを食べることにした。
必要以上に会話はしなかった。その沈黙を苦と感じなかったし、彼が打ち明けてくれた過去に対する感想が、上手く思いつかなかったからだ。
俯いたまま黙々とパンを口に運ぶ彼を横目に見て、泣いているのかと思った。でも、泣いてなんかいなかった。
「子供は元気だな」
昼が過ぎると朝方の冷えは収まり、暖かい風が吹く。
この時間は子供達が多くなる。日曜日というだけあって、親子連れも多いように感じられた。普段訪れないこの公園は、こんなにも活気のある場所だったんだ。
「子供は風の子って言うしね」
まるで自分たちが老人にでもなったかのようだった。ついこの間まで小学生だった気もするし、もうずいぶんと昔な気もする。
ふと、遠くで遊ぶ子供たちのサッカーボールが跳ねてこちらまで飛んで来た。
慌てて駆け寄る男の子が「とってくださーい!」と手を振った。
「はい、どうぞ」
足元に転がるボールを取って、その少年の背丈までしゃがんだ。
俺が掴むと小さく感じるそれは、少年には大きな宝のように見えるだろうか。
「ありがとう!」
「寒くないのか?」
「大丈夫!」
「そうか。気を付けて遊べよ」
「うんっ」
誰しも願うのではないだろうか。クリスマスか誕生日か、何かイベントがあるときに、スポーツをする何かが欲しいと。
俺はどちらかというと野球少年だったので、自分の誕生日にグローブを買ってもらった記憶がある。
「俺も小さい頃はよく外で遊んだなあ。もうずいぶんとボールなんて触っていないし、公園だって久しぶりにきたよ」
「うん……俺もそうだな」
俺たちは、大人と呼ぶにはあまりにも不恰好な子供のままだ。
「なんで子供は女の腹から産まれるのかな」
俺の背後でベンチに座ったままの木下が言った。
え、という声すら咄嗟に出ず、無言の奇妙な間だけが残る。
「なんで叶いもしないのに、人は誰かを好きになるのかな」
「……木下、」
辛うじて彼の名を呼んで振り返ると、彼は笑っていた。
「もともと決めておいてくれればいいのにね。神様もいじわるだ。好きって感情もなければ、誰も傷付かなくて済むのにな」
例えば本当に神様とやらが俺の相手を選んだとして、きっとそれは木下ではない。
「男は女に恋をするんだよ。愛し合って子供をつくって、女の腹から命が産まれるんだ。男なんか精子をくっつけたら用無しさ。……じゃあなんで俺は男が好きなのかな。いくらセックスしても子供なんか産まれない。しかも女役。……無意味だよ。不毛だよ。俺が誰かを好きになることなんて、おかしなこと以外なにもないんだよ」
そんなことない、と否定してやりたかった。しかし俺は母親の腹から産まれ、彼もその事実は一生変わることはないだろう。
男同士で行為をするメリットって何だろう。性欲処理だとかそれこそ子供が産まれないだとか、そんな馬鹿げた理由じゃなくて、愛し合える素晴らしさって何だろう。おかしなこと以外の、理由が欲しい。
「みんな言うんだ。どうしてお前は男なんだ、って。おかしいよな。俺は産まれたときから今までずっと男で、一度も、女に産まれたかったなんて思ったことないのに。……勝手なエゴで、俺はいつだって、俺自身を否定される」
俺はまだ同性愛というのに知識はなくて、長年生きてきた中で感じる違和感だけが〝おかしいことなのだ〟と訴えてくる。
まだまだ浮かれていたのだ、彼を好きでいる自分に。まるで初めて恋を覚えた子供のように。
「でも日比谷は違ったね。日比谷は、俺がゲイだって知らなくて好きになってくれた。俺自身を見てくれた。……日比谷って想像してたよりも馬鹿で、笑っちゃうけど、その性格に救われたんだよ」
彼の言う二度目の「救われた」は、俺自身も救っていた。
彼をこれからも、愛していようと思った。
「日比谷はいいお父さんになるよ。きっと彼女さんとも上手くいく。失敗しても大丈夫さ、女なんて選ばなければ山ほどいる」
「……やめろよ、そんなこと言うのは」
「子供は何人欲しい?ペットは犬?それとも猫?家はやっぱり一軒家がいいかな。綺麗な黒髪の奥さんがいて、家に帰るといつも笑顔で迎えてくれるんだ。料理も美味いだろうな。休日は二人で出かけて、映画でも観てそうだ。幸せだろうなあ。……ねえ。幸せになってね」
俺はちゃんと伝えただろうか。彼に好きだと、今でもまだ愛していると、伝えただろうか。いいやまだ伝えていない。ちゃんと言葉にしていなかった。言おう言おうと決意する自分に満足して、伝えた気になっていた。
「さあ、もう帰ろう」と木下がゆっくりと立ち上がった。微かに見える彼の鼻先は赤く染まり、寒いんだなとぼんやりと考えていた。
ーー黒い影をした常識というレッテルを貼った化け物が、今ならまだ間に合うと呼び掛けている気がした。
俺はもしかしたら頭がおかしいのかもしれないし、或いは世界が声を揃えて俺に嘘を吐いているのかも知れない。
常識って何だろう。非常識って何だろう。誰がはじめて決めて、誰が真似をしたのだろう。
「ーー木下」
その誰かが間違えているかもしれないのに。
「俺と、浮気してくれませんか」
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