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特別な瞬間
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恋に落ちたこの一年は、秋月だけでなく後藤にとってもあっという間に過ぎ去っていった。
早く大人になりたい気持ちと、もう少し、この教室で秋月と一緒に過ごしたい欲望の狭間で、後藤は複雑な溜息をつく。
「はぁ……。秋月先生が担任じゃなくなるのか。この一年、前を向いたら先生がいる環境は最高だった。これから先の学校生活を過ごせる気がしない」
今思えば天国だった。恵まれすぎていたと思う。朝も帰りも、クラスメイトと共にとはいえ、秋月と一緒に過ごせる時間がこれからはなくなってしまうなんて。
「僕に惚気るのやめてくれない?日記でもつけなよ」
隣りで本を読んでいた悪友が、ページに視線を落としたまま苛ついたように唇を尖らせる。表情は見なくてもわかる。そんな文句を言いながらも毎回、話を聞いてくれるのだ。
「お前はそれを許してくれるだろ。静」
「嫌だって言ってんの。不快だから」
惚気に読書を邪魔された倉内は、栞を挟むとかたわらに置いてあったペットボトルの水を飲み干した。にやけた顔の後藤が癇に障る。ろくなことを言わないに決まっている。
「嫉妬か?お前、オレのこと大好きだもんな。静…。二年は同じクラスになれるといいな?」
「いや、結構。うっとうしいだろ。羽柴ならまだしも……。毎日視界に後藤がいる環境とか」
こんな後藤のダル絡みに毎回対応しなければならないのかと思うと、心底うんざりした気持ちになってしまう。無視をするほど冷たくはないし、話に乗ってやるほどノリが良くもない。
「確かに羽柴はかわいい奴だけど、オレだって格好良いじゃん」
「え?お前鏡見たことある?」
「………」
倉内は絶句した後藤に、少しだけスッとした気分になる。
秋月に向かって、後藤の顔は好きだと言った倉内も本人に告げる気はないのだ。辛辣な返答に後藤は言葉に詰まり、微妙な空気が二人の間を支配した。いつものことなので、お互いに動じることはないのだけれど。
「マサぁー、倉内ぃ!お待たせ!購買が混んでて」
「羽柴。おせえよ」
どことなく不機嫌そうな後藤の原因は、羽柴にも簡単に思い当たる。二人ときたら、こんな風にじゃれあってばかりなのだから、今日も平和そのものだ。
「…なぁに?また仲良くケンカしてたの?飽きないねえ。コミュニケーションの取り方が歪んでるよ?毎回この空気を和ませるところから始める、俺の身にもなってよ。時間の無駄だよ」
呆れたように羽柴は笑って、大好きな友人たちの不毛さを大げさに嘆いた。好きでやっていることだから、とは思うのだが後藤も倉内もよく飽きないものだ。毎日毎日。
「この世に無駄なことなんかねえんだよ、羽柴…」
「えー何、俺にまで絡んでこないでよ。マサ。知らないよ!世の中は、無駄で出来てるんだよ……」
「何の話をしてるんだよ」
「アハハ」
こうやって自分に飛び火してきた話題が、あまり好きではなかったりする。バレないように適当に誤魔化せば、聡い友人が整った顔で物言いたげな表情で語る。羽柴にとっては、その一連のルーティーンが面倒である。
「最近マサ、調子良さそうで嬉しいな。好きな人達が元気だと俺も嬉しい。幸せって思う」
秋月と上手くいっているのだろう。それは多分、とても良いことだ。後藤には、このまま幸せになってもらいたい。他の選択肢なんてありえない、そんな未来は許せない。
秋月が後藤を選んで、後藤が幸せで、笑って、そんな様子をずっと近くで見ていたい。羽柴は心ひそかにそんな願いを抱いて、えへへと照れくさそうに笑った。後藤が聞いたら、こんな本音はきっとびっくりするだろう。
「羽柴が幸せだと僕も嬉しいよ」
完璧な微笑が、後ろ暗くなりそうなくらいの重い友情をかき消していく。顔がいい。それは何にも勝る強さだ。絶対的肯定。意味不明な心強さがある。
「おい静。お前な、それやめろって言ってるだろ。照れるな羽柴」
そう指摘されることでますますドツボにハマってしまうことを、後藤はわかっていない。わざとかと思う。恨めしく感じて、羽柴は二人から顔を背けた。
「照れてなんかないもん。倉内の、そういうの慣れてきたし……。ホントだってば」
「本当に?…鼻が赤くなってるよ。羽柴」
もう自分を観察するのはやめてほしい。やめてほしい。……本当にやめてほしい!
「えっ?!わわ……」
「嘘だけど」
「……うわーん、マサぁ!!美形が全力でからかってくるよ!」
しなやかな体躯に抱きつくと、おーよしよしと適当にいなされ、ますます恥ずかしくなってくる。一年の間は楽しかった。こんな時間が、ずっと続いていけばいいのに。
「二年になってクラスが離れても、マサ、俺と遊んでよ。もちろん倉内も」
後藤のことも倉内のことも、羽柴はいつしか大好きになっていった。こうやって三人で過ごすことが楽しい。嬉しい。そんな友人達と出逢えてよかった。
「当たり前だろ。何心配してんだよ。信用ねえなぁ」
「羽柴はかわいいこと言うねぇ。僕も、よしよししてあげようか?」
「え?い、いらない」
有無を言わさず抱き寄せられた強い力から逃れられずに、羽柴は困ったように笑った。あたたかくて居心地が良くて、そんな感情の揺れが居心地悪い。
春の暖かさが、何もかもを曖昧に濁していく。このまま色とりどりの景色が、明るくずっと咲き続けていてほしかった。
***
「秋月先生…。今夜、飲みに行きませんか?」
「いえ、僕は今夜は…。用事がありますので」
長谷川の誘いに誰も傷つけない嘘をつくと、秋月は笑った。ただ飲みに行くつもりで、何度もそれだけでは終わらずに情事を重ねてしまった。回避できるものなら、自分で気をつけたい。
(少しずつ、僕も変わり始めているのかもしれない。後藤くんに相応しい人に、いつかなれたら……)
「恋人とデートですか?相手が羨ましいです」
「長谷川先生」
自然ととがめるような口調になってしまう。その恋人、が誰かをわかっている長谷川にそんな風にからかわれるのは、一向に慣れない。
「ふふ、本当にそう思っていますよ。あなたに触れられる……。その目に映してもらえる人間がいるんだと思うと、俺は時々…どうしようもない気持ちになるんです」
「……そ、そんな。僕は」
長谷川は情熱的だ。真昼の校内で、似合わない調子で熱く口説くのはやめてほしい。秋月は視線をさまよわせ、早くこの話題が終わるようにただ祈った。
「でも、その目が……好きなんです。こうやって俺を見ている時とは違う、特別な瞬間のあなたが」
頬が熱を持つ。明確にそう指摘されてしまうと、ますます後藤への恋心を自覚せざるを得ない。
「………ありがとうございます」
「そんな風に微笑まないで下さいよ。俺は気が長いので……まだ、諦めませんから。秋月先生のことを好きな気持ちは変わりません」
(恥ずかしい上に、なかなか話が終わらない)
「悪趣味ですよ」
「秋月先生には、そう言われてばかりですね」
どこか満足そうに相槌を打たれ、とうとう無言になってしまう。観察されるのは落ちつかない。ずっと、見守られてきた。その好意に甘え、利用し、沢山傷つけてきたのに。
(それで、長谷川先生が満足だと言っても……)
頼れる同僚を憂うように盗み見て、秋月はひそかにその幸せを願った。
***
特別な瞬間は、これからもずっと続いていってくれるのだろうか。
自分がどう在れば、そんな夢のような現実は叶っていくのだろうか。
「後藤くんとこんな風に付き合うことになるなんて、好きになった時は思わなかったな。告白するつもりもなかったし……。いやまあその、気持ちはバレてたかもしれないけど」
後藤が自分の部屋で風呂に入り、目の前で作った料理を食べて、くつろいでいる。この光景は毎回奇跡のようだと心が震えそうになるのだが、いつか感動のし過ぎで倒れてしまわないだろうか。
「オレは先生が好きで、付き合いたいと思ってたから。叶って嬉しい」
素直に嬉しそうに笑う後藤は秋月にしか見せないような笑顔がかわいく、胸が弾む。
「……後藤くん。そういえば最近、あまり居眠りしなくなったよね?保健室に行く回数も減ったような気がする」
今なら、尋ねても大丈夫だろうか。慎重な問いかけは、幾度か試して拒絶された繊細なもの。
「ああ、オレさ……。ナルコレプシーっていう睡眠障害があるんだけど。最近は症状もあんまり出ないし、このまま治るといいと思ってて」
後藤にとっては勇気のいる告白だったが、ようやく口にできたことに内心は安堵する。話さなくてはいけないと思っていたのに、なかなかそのきっかけが掴めないままだった。
自分の弱いところ。秋月には見せたくないと思っていたけれど、本当は誰よりも知っていてほしかった。お互いにそうやって見せ合って、包み込むように愛し合えたらと思っていた。
「ナルコレプシー……、そうだったんだ。初めて聞いたんだけど…」
「それは誰にも…あ、阿部先生しか知らないから。気持ちが昂った時とか、睡眠発作が起こることがあったけど……。自分の気持ちを、コントロールできるようになりたくて…オレなりに頑張ってるんだ」
(……そういう時が、あったかもしれない。屋上で令治と鉢合わせた時とか)
「そんな申し訳なさそうな顔しないで。オレが成長…強くなれるのは、先生のおかげ」
気を遣わせるつもりではなかった。秋月が表情を曇らせると、優しい恋人はやわらかく微笑む。いつの間に、こんなに強くなったのだろうと見惚れるばかりだ。
「眠いっちゃ眠いけど、寝てる場合じゃないし。秋月先生と一緒にいたいから。それに、先生だって頑張ってるの知ってる…。オレもそう。同じだよ」
「後藤くんは、どこまでいい男になるの?もう見えなくなりそうなんだけど……?」
素朴な疑問は馬鹿みたいで、身を振り返ると、一向に追いつけない差が開いていくようにしか感じない。
「ハハ、何だよそれ。先生がオレを好きだから、そう思うだけだって」
「いやそんなことない。もうそれ以上格好良くならなくていいから。僕、ドキドキして身がもたないよ。ライバルが増えるのも嫌だし。ねえ、笑ってないで…本当にそう思ってるの!後藤くんのことが好きすぎて……離れられないよ」
「え。それはいいことじゃん。何でそんな悩み事みたいに言われてんのか、意味がわかんねえ」
秋月には離れてほしくないし、離すつもりはない。今だけの話ではなくこれから先、一生だ。重いと思われてもどうでもいい。この気持ちだけは通したい。
「この世の中に沢山男がいるのに、後藤くんしか好きになれないんだよ?」
「それでよくね?先生は、後藤くんだけ好きでいたらいいじゃん。何も問題ねえわ」
さっきから何を言っているんだ?そう言わんばかりの後藤の態度に、秋月は段々自分が何に悩んでいるのかよくわからなくなってきた。
「えっ、そっか……。そうなんだ」
「そっか、そうなんだって何?!……今更?嘘?もしかして、今納得した?マジかよ。先生、ずっとそんなことで悩んでたわけ?」
「……うぅ…悩んでたっていうか」
あらためて、深掘りしないでほしい。恥ずかしすぎる。弁解しようにもろくな言葉が浮かんでこなくて、秋月は真っ赤になって俯いた。
「何度でも言うよ。先生は、オレだけ見てたらいい。これからもずっと……。悩む必要なんかない。なんか疑問に思うんだったら、その度オレに言ってくれればいい。不安がなくなるまで、何度でも伝えるから」
「悩みも不安もなくならないよ…。人間なんだから」
何の言い訳なのか恨みごとのように漏れてくる言葉は、後藤の温もりに溶かされていく。
「なくさなくていいって。その度オレに話してくれればいい。先生の気が済むまで、こうやってギュって抱きしめるから」
「僕が聞き分けないからって、馬鹿な子供をあやすみたいな態度取るのやめてほしい。僕の方が年上だし、先生だし、それなのに後藤くんはいつも」
「ハイハイ。愛してるよ」
秋月が怒りだす理由はいつも、いとしさしか感じないもので笑ってしまう。全然怖くない。自分の可愛さを理解していない。真っ赤になって、涙目で訴えてくるそのすべてが。
「後藤くんのことだけ好きでいるからね。いつか嫌だって言われても、僕、もう他の男になんて目がいかないから」
(たまに、性欲処理くらいはするかもしれないけど。心はもう……)
本当に、そうやって生きていけるのだろうか。すごく怖い気がする。今までの自分とは違う、後藤と生きる新しい自分。想像しようとしてみるが、完璧には思い描くことができない。
「……その言葉だけでこれから何があっても多分、生きていけそう。オレ」
「好き……」
その想いに自分を委ねてみても、いいのかもしれない。
そんな風に想えるくらいには、後藤のことが大好きだった。他に何も……考えられなくなる。後藤が好きだと、いつも、それだけが秋月の心を支配している。
きっとその日々は、これからも揺るぎなく続いていくのだろうと思えた。
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