アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
線
-
学園祭当日。祭独特のざわざわした雰囲気が、校内中を取り巻いている。
「おい、秋月。たまには俺につきあえよ。今日は祭だし、気分転換も必要だろ?」
「つきあえって…。
毎日一緒に、弁当食べてる仲じゃないか」
芝木の誘いに、秋月はそう肩を竦めた。
確かに長谷川と一緒にいることは前より多いかもしれないが、やはり芝木といる方が多い。
同じ立場の者がいるのは、どれだけ自分に励みになるか。おそらく見た目とは違い、自分には冷めた部分があるから、芝木の熱血は心地良いくらいだ。
「顧問の特権で、部員の店はタダ食いしてやる」
案内プリントを見ながら、芝木は燃えている。
焼きそばだろおにぎりだろクレープだろ…、指折り数える姿はとても楽しそうだった。
「うわー、サイテー」
「かわいい生徒諸君はきっと、俺が来たら大喜びで奢ってくれるだろうよ。秋月」
「…それはどうかな。僕も行きたいところがあるんだけど、最初に美術室、見に行ってもいい?」
「何かやってんのか?食いもんじゃないだろうがな…」
「選択科目美術の生徒が、作品を展示してるんだ。うちの生徒も何人かいるから」
確か、後藤も美術だったはずだ。
(いいよね、別に…。作品を、見に行くくらいなら)
出て行けと、拒絶されたことがショックだった。しかもその後、後藤は気を失ってしまったのだ。秋月の見ている前で。
(…本当に、僕のことなんてもう見たくもないのかもしれない)
駆け寄ることなどできなかった。長谷川が、後藤を保健室に連れて行くのを見ていた。立っていることさえ…やっとだったのだ。完璧な拒絶反応だった。
(はあ…。一体、どうすればいいんだろう)
誰に相談することもできない。自分で解決するより他に、ないのだから。周りの明るい空気に取り残されたみたいな、そんな寂しい気分になる。
憂鬱な気持ちで美術室のドアを開けると、展示された作品群が二人を迎えた。後藤真之、の名前を見つけ秋月は手にしたプリントを握りしめる。それは…描かれていたのは、見慣れている教室の絵だった。
タイトルは「線」。
「ああ、後藤じゃないか。お前のこと、慕ってるよなあ。気がつけば秋月のこと見てるもんな…」
「なっ…!」
「そういう、すぐ赤くなるところとか…お前ホント可愛いよな。生徒がからかいたくなるのもわかるわ」
馬鹿にされているような気になって、秋月はじろりと柴木を睨んだ。
「シバちゃんにまで、からかわれたくないんですけど」
「そう怒るなって。後藤ってさぁ、倉内とも仲が良いだろ。あいつに友達がいるんで、ホッとしたんだよ」
「うん。あの二人は仲が良いよね、クラスも違うのに…」
羨ましさが滲んでしまい、秋月は思わず口をつぐむ。
「倉内もあんまり、他人に心を開かない奴だからな。春先に俺、サッカー部に勧誘したんだけど、はっきりきっぱり断りやがった。暑苦しい、とかうざそうにしててよ。想像つくだろ?」
「…ふふ。シバちゃんのことだから、広告塔にでもしようと思ったんじゃないの」
笑ったのは話がおかしいからでも何でもなく、後藤から話題が逸れたからだ。
視線だけは後藤の絵を見ながら、秋月はそう芝木にやり返した。本当に、つきあいやすい。
「何でバレてんだ?」
「入部しなくて正解だったね。倉内くんも」
「…冗談だって!あいつ、見かけによらず運動も得意なんだぜ?中学で陸上やってたらしいし。けっこういい線いってたって話。まあ全然、そんな風には見えないけどな」
「そうなんだ?知らなかった」
「そんで俺が話しかける度に、聞こえてるから耳元で大声出さないでくださいなんて、あいつはとにかく、かわいくない!…けどまあ、問題児ほど気になるっつーか」
「倉内くんが問題児ねえ。シバちゃんのクラスには、優等生が揃ってるんだ」
上の空で返事をする。頭の中は、線という意味を考えることに必死だった。
「お前、言うかよ。そういう嫌味を。まあ、文武両道の倉内にはその言葉は当てはまらないか…」
「嫉妬だよ。何の気なしにそんなことばっかり言うから、羨ましくなっただけ」
(僕はきっと、そんな風に後藤くんのことを口にできない。口に出したら、この想いが透けてしまいそうだから)
無人の教室には教卓が描かれていて、廊下側のドアが開いている。
「線って、どういう意味なんだろうな?どう見たって教室だろうに」
「さあ…。線、か。僕は未だに、教師としての自覚が足りてない気がするよ。生徒と上手く線が引けなくて、かといって友達みたいな先生にもなれやしない。中途半端で、でも…不思議だな。大変だけど、辞めようと思ったことは一度もないんだ。まあ、そんなに長い期間じゃないけど。ずっと、なりたかったからかな」
「………なあ、俺思うんだけど。もしかしたら、同じことを考えてるんじゃないか?ま、外野の感想だけど」
「え?」
主語が抜けている。何の話かと首を傾げる秋月に、歯切れ悪く柴木は頭を掻くのだった。
「いや、わかんないならそれはそれで…。まあ、いいか」
「何?気になるってば、シバちゃん」
「あーっ、考えてたら腹減ってきた!飯行くぞ、ハシゴするぞつきあえ秋月!!」
「シバちゃ―――」
芝木はもう、秋月の疑問には答えてはくれなかった。
***
カレー、うどん、フランクフルト。クレープ、おはぎ。次々と制覇していく、隣りの柴木はご機嫌だ。
「さて、と。次は何を食うべきか…」
「シバちゃん。その辺にしておいたら?そのお腹、尋常じゃないよ」
「いや、まだいけるぞ秋月。お前だって、カレーしか食ってないよな。何、遠慮してるんだ?いっぱい食って肉つけろ、肉」
「僕は、カレーで充分満足したから」
一息ついていると近くの教室のドアが開き、頭に三角巾をつけた、健康そのものの幽霊が人懐っこい笑顔で手招きした。
「あ、先生。お化け屋敷寄ってってよ!うちのクラス、結構頑張って作ったから自信あるんだよね」
「渚か。1-Eだっけ?そういやE組は、毎日遅くまで残って張り切ってたよなあ」
「そうそう。やっぱ、作るからには出し物グランプリ狙ってるからさ~。投票よろしく!」
グランプリの賞品は、確か購買のパンチケットだ。昼休み、争奪戦が激しい我が校において、毎年人気の賞品なのだと長谷川から最近聞いたばかり。
「いや、秋月はお化け屋敷とか行きたくないよなっ…?」
「僕は全然平気だけど。生きてる人間の方が怖いし」
「そ、そんな淡々とした返事が返ってくるとは…」
「怖いなら、手でも繋いであげようか?」
無言で首を横に振られるのがおかしくて、秋月は笑った。柴木の意外な一面がかわいい。
「…で?二人は来てくれるの、どうするの?」
絶句する柴木と楽しそうな秋月を交互に眺め、生徒は焦れたようにそう問いかけてくる。答えなんて、柴木のこの反応を見れば最初から決まっている。
「行くよ、渚くん。面白そうだし」
「はーい。ありがとうございます!八百円になります。二名様ご案内ー!」
半ば強引に入り口へと連行されて、柴木は身体を震わせた。真っ暗で何も見えない。寒い。平然と微笑む秋月の表情が憎たらしい。
「ちょっ…クーラー効き過ぎじゃないか?ここ」
「寒いなら、くっついてあげようか?シバちゃん」
「ニヤニヤしながら言うな」
「ふふふっ」
反応が面白すぎる。柴木がいてくれて、同期で、本当に良かった。感謝は言葉にしなくても、何となく伝わっているような気もする。ふさぎこんでいる自分を心配して、色々と誘ってくれたのだろう。
「まあ、秋月がそんなに楽しそうなの久しぶりだし…って、ギャーッ!!」
「あはは、し、シバちゃ…っ。マネキンだよ、マネキンっ…あははは!おかしっ…。そんなにしがみつかれたら、苦しいよ。大丈夫だって」
笑いすぎて、涙が出てくる。
「マネキンかっ、やられた…ん?お前最近、痩せたんじゃないか?秋月。もっと食った方がいいぞ。こう、抱き心地が悪いし」
不意に引き寄せられるどころか、そろりと尻を撫でられて秋月は身体を竦めた。
「ひゃっ…!や、やめてよ」
「秋月、いい匂いするなぁ。変な気持ちになってきそう」
「っ…。シバちゃん!僕は手をつないでもいいとは言ったけど、ケツ撫でていいなんて、一言も言ってないよ」
「なんか、手に吸いついてくるみたいな感触が…」
「ン…もぉ……!
馬鹿なことばっか言ってると、置いてくからね」
柴木の手が、慌てて離れた。
(もうやだ…この身体……)
冗談で尻を揉まれて、しっかりと反応を示す自分に嫌気が刺す。注意力は散漫になっていたかもしれない。急な曲がり角に気がつかなかった。
「おい秋月、前…!気をつけ、」
「え?…いたた……」
声をかけられた時にはもう、遅かった。頭が壁にぶつかりゴン、と鈍い音を立てる。生徒に気をつけるように注意しておいて、自分がこうでは立場がない。頭が痛い。
「大丈夫か?!」
「たんこぶできたくらいかな…。大丈夫だよ」
…残念ながら、この手の失態には慣れている。
「念のため、保健室行った方がいいな。俺も一緒に、」
「大丈夫、一人で平気だから。大したことないし…。シバちゃんは、まだ、待ってるサッカー部員がいるでしょ」
「秋月!何かあったら、いつでも俺は、飲みに付き合うぞ。毎日、空いてるしな」
(シバちゃん…)
「ありがと、シバちゃん。おかげで元気出たよ」
同僚の優しさに、秋月は微笑んで礼を言う。そのまま、保健室へと向かった。
「失礼します」
「秋月先生…」
「あ…。後藤くん」
保健室には、後藤がいた。見渡してみるが、他には誰もいない。二人きりのようだった。常連なのは勿論わかっているけれど、こんな日まで後藤がここにいるとは思いもよらなくて、思いきり動揺してしまった。
(どうしよう。……気まずい)
硬直したように入口で立ち尽くした秋月に、後藤が陰のある笑顔を見せる。
「表に張り紙してあるの、見えなかった?阿部先生なら、出張保健室で、石鹸売ってる。ここには誰も来ないよ」
いつもと同じ調子で話しかけられて、ホッとする。
「ぼんやりしてて…。気づかなかった」
「入れば?阿部先生はいないけど、オレも傷の手当てくらいならできる。どうしてここに?オレに会いに来たの?」
「僕は、後藤くんがここにいるって知らなかったから…」
「知ってたら、こんなとこ来なかったって?」
後藤が渇いた笑顔を浮かべる。自分がそんな顔をさせている、と思うと胸が痛くなった。素直になるのが、怖い。それで何度も、後藤を傷つけてしまっている。
「そういう…意味じゃない。頭をぶつけてしまって、冷やそうと思って、ここに来たんだ。出張保健室のこと、忘れてた。僕も聞いていたのに」
「氷ね。座って待ってて、すぐ作る」
「後藤くんも、何かあったんじゃ…」
「眠くなったから、少し寝てただけ。アンタが心配するようなこと、何もないから」
素っ気ない返事が真実なのかどうか、確かめるすべはない。大したことがないのなら、良いのだけれど。
「そう…」
ナイロン袋に入れた氷をタオルで包み、後藤が近づいてくる。
「打ったの、どの辺?」
「後頭部。ありがとう…」
すぐ近くに後藤がいる、それだけでドキドキして平静でいられない。氷袋を受け取って、そそくさと立ち上がろうとした腕を掴まれた。目が合う。射抜くような視線に、秋月はそっと目を伏せた。
「離して…」
顔が赤くなるのを止められない。恥ずかしい。
「離すと逃げるだろ?
せっかくこうやって、二人きりになれたのに」
「お願い、離して」
声が震えた。秋月は後藤を前にすると、好きという気持ちでいっぱいになって、他のことが何も考えられなくなる。触れられたところが熱を持ち、身体が後藤を欲しがってしまう。
「何でそんな、泣きそうな顔するんだよ。
そんなに、オレに触れられるのが嫌?」
見当違いもいいところだ。その真逆。好きすぎて、どうしたらいいかわからない。おかしくなる。自分の態度が不自然なのだと自覚があっても、普通を忘れてしまうのだ。
「違う!僕は…嫌なんかじゃ……」
「キスしていい?先生」
真っ直ぐ自分を見つめてくる後藤から、秋月はもう、逃げることができなかった。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
24 / 50