アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
12
-
執務室で、書類仕事を黙々とこなしていた王の耳に、風に乗って、かすかな歌声が届いた。
これは……と思うより早く、立ち上がっていた。
誘われるように城の屋上に出ると、そこには思った通り、ルーンがいた。
休憩中なのだろうか? 練習剣を手に端近に座り、風に吹かれて気持ちよさそうに目を細めている。
彼が、今日もまた奇妙な「散歩」に出かけたことを、王は報告を受けて知っていた。
後について行く兵を、護衛兵ではなく足自慢の歩兵に代えるよう命じたのは、タラスだ。
タラスは何も伝えなかったが、少し走っただけで、ルーンの方も気付いたらしい。ついて来られる兵だと分かると、駆けるスピードも距離も、容赦なく増えたという。
王にその様子を報告しながら、兵たちは笑っていた。さすがは最強の敵将だった方ですね、と。あの方が今は………。
今は、我が国におられる。それはなんと、素晴らしい事でしょう、と。
王が近付くと、ルーンは歌うのをやめた。
けれど、王を振り向きもしなかった。琥珀色の目は、はるか遠くへ向けられている。
北明の方角ではなさそうだから、郷愁にかられて、という訳でもないのだろうか。そう思って、ホッとした。
故郷でなければ、一体何を見ているのか。
訊こうと思ったけれどやめた。どうせ、「別に」と言われるに決まっている。
代わりに、こう言った。
「その歌、聞き覚えがあるな」
そこでようやく、ルーンは王を振り向いた。
無感情な瞳が、ガラス球のように王を映す。
「……そう」
彼が言ったのは、それだけだった。
否定も肯定もなく、興味の片鱗もない。ゆっくりと視線が王から離れて行く。
それを繋ぎとめたくて、もっと自分を見て欲しくて、タラスは更に言った。
「なあ、オレ達、ガキの頃に一度会ったよな?」
ルーンは再び遠くを見つめながら、「忘れた」と答えた。
ハッとした。
それは、肯定していると同義ではないか?
やはり、あの月の庭の少年は、ホクト=ルーンなのだ。きっとそうに違いない。
忘れたというのも嘘だ。彼は覚えている。忘れているのは多分、自分の方なのだ。
何かきっと約束をしたに違いないのに、ぼんやりとそんな記憶があるというのに、肝心の約束の中身を、王はまだ思い出せなかった。
忘れたということは、きっと自分にとって、取るに足らない約束だったのだろう。心の奥の冷静な部分で、タラスは何となくそう思っている。
けれど……。
王は心の中に、あの月の夜を思い浮かべた。
彼にとって自分は、どんな風に見えていただろう?
少年の視点を想像する。
寂しい子供。泣いていた子供。そこに現れたタラスは――少年にとって、どんな存在だったのだろう?
じっと花嫁を見る。花嫁はじっと、遠くに目を向けたままだ。
城下に広がる街の向こう、肥沃な農地と豊かな果樹園、それに連なる山々。そして――そのまたはるか向こうに広がる、遠くて広い海の方に。
物憂げな白い顔。
何かに耐えようとするかのように、固く引き結んだ唇。
片手に剣を掴み、青年は真っ直ぐに背を伸ばして立っている。
それは、戦場で遠眼鏡越しに見たそのままの姿なのに、どうして今は、こんなにもはかなく見えるのだろう?
ルーンが今にも翼を得て、空を飛んで行ってしまいそうな気がして、王は衝動的に彼を抱き締めた。
「行くな」
固く抱き締め、その冷え切った体にぞっとしながら、もう一度言った。
「どこにも行くな」
ルーンは答えなかった。
ただ、タラスの腕の中で、くすりと笑う気配がした。
「だったら鎖に繋げばいい」
「ルーン―――」
胸が痛かった。
最初に彼をそう扱ったのは自分だから、反論もできない。
ただ、抵抗されないのをいいことに、タラスはますますきつく、ルーンの体を抱き締めた。
訓練で汗をかいた後、そのまま風に吹かれていたのだろう。簡素な服は少し濡れて、体ごと、氷のように冷えている。
自分に抱かれて、少しは温かいだろうか。
温かいといい、と願いながら、王はルーンに囁いた。
「冷え切ってるじゃないか。風邪ひくぞ」
するとルーンは、やんわりとその胸を押し、腕の中から逃れながら、「ふん」と笑った。
「どうでもいいだろ?」
ズキンと胸が痛んだ。
「よくない。心配してるんだろ!?」
腕を掴み、引き寄せると、琥珀色の瞳が責めるように王を見る。
「なぜ?」
ルーンが訊いた。
どうして心配するのか、と。
「好きだからだよ!」
叫ぶようにそう言って……王は、ハッとルーンを見た。
好きだから。
好きだから。
自分のものにしたい。離したくない。自分を見て欲しい。笑って欲しい。好きだから。
自分のことも、好きになって欲しい。
王は自覚した。
けれどルーンは、感情の消えた目で、ふっと笑った。
「知ってるよ」
そして、冷たい声で言った。
「いつもキミはそう言うじゃないか。ベッドの中で、何度も……」
ベッドの中で、何度も。
そうだ、何度もそう言った。嫌がる花嫁を押さえつけ、犯しながら、その耳に何度も。
深い意味はなかった。褒め言葉のようなものだった。
そもそもこの結婚に、あの初夜に、愛が無かったことを花嫁は知っている。
苛立ちのままに貫き、泣かせた。
それが悪かったのか? 「好きだ」と言わなければよかったか?
いや、それ以前に。
枷など、はめなければよかったか。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
12 / 47