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一晩のうちに移動して来たのだろうか。翌朝には、敵の軍勢は一気に倍に増えていた。
どこか近くで待機していたのか。待機するにも兵糧を消費するだろうに、そこまで考えていないのか。
もしかすると南羊の兵は、飢え渇き初めているかも知れない。そこまで想像して、王は不敵に笑った。
「ご苦労なこったな」
勿論、敵がそうして移動して来るだろうとは予想済みだった。だから見張りを立てて置いたし、そのように報告も受けている。
何も驚きはない。
いや、敢えて言うならば……自分の思い通りに動いてくれる、敵の愚かさの方が驚きだろうか。
焦りは判断をくもらせる。飢餓もまた、判断をくもらせる。目の前に差し出された甘い水が、毒かどうか見極めることもできないようだ。
朝食のテーブルでくつくつと笑っていると、正面に座っていた王妃が呆れたように、また言った。
「酔ってるね?」
その王妃はというと、昨夜はきっぱりと王を拒絶し、十分に体を休めたらしい。
見かけ上は落ち着いている。緊張もしていないのか、手を握っても温かく、汗すらかいてはいなかった。
軍服を着て、剣を腰に下げている様子は、かつて遠眼鏡越しに見た姿、そのままのようだ。
だが今彼が額にはめているのは、北明王子の金環ではなく、重くて豪華な王妃の冠。
女装して男に肌を許す、白く美しい王妃なのだと……その王妃が指揮するのだ、と、敵に知らしめるだけの冠だ。
「こんな茶番、しなくても勝てる」
ルーンが不服そうに言って、じろりと王の顔を見た。
勝てる、と気負いもなく言い切ってしまうところがスゴイと思うが、本人に自覚は無いだろう。
連れ立って砦の中庭に向かいながら、王は堂々と隣を歩く、王妃ルーンの顔を見た。
「お前が味方で嬉しいよ」
そう言うと、「オレも」と応えが返ってくる。
えっ、と思った瞬間、トンと背中に抱き付かれた。
「オレも、こんな性格の悪い王様、味方で良かった」
それは誉め言葉と受け取ってもいいのだろうか?
「なんだ、それ?」
それともかつて敵同士だった頃、自分の戦略はそれなりに、脅威に思って貰えていたのだろうか?
だとしたら光栄だ。ははっと笑うと、王妃もふふっと笑みをこぼす。
これから戦場に向かうとは思えない、穏やかな会話。
けれど、長い通路を通り抜け、頭を下げる侍従や召使いたちの花道を通り、軍の前に立った時――ルーンの顔つきは、もうガラリと変わっていた。
ぞくりと戦慄が走る。
かつてこの顔を戦場で見た。その時は敵の将だった。
物憂げな眉。引き結んだ薄い唇。笑みも浮かべず、無駄な高揚も興奮もなく、ただ黙って背筋を伸ばし、兵たちの前に彼が立つ。
敵として見た時の恐ろしさは、かつて戦った自分たちこそよく知っているだろう。白鬼将軍ホクト=ルーン。
その姿を目の当たりにして、場がしんと静まった。
王は1歩前に出て、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。
「敵はこっちを侮ってくれている。分かってるな、チャンスだぞ?」
そうしてぐるりと全体を見回し、王は声を張り上げる。
「一気に行け! ためらうな! 叩き潰せ!」
「おう!」
兵士達が声を上げた。城砦にうわんとそれが反響する。その余韻の冷める前に、白鬼将軍が声を上げた。
「オレに続け!」
そうして壇上から駆け下りる。
うおー、と全員が叫んだ。
我先に戦車に乗り、馬を走らせ、将軍の後ろに一斉に続く。
国境を分ける河は、干ばつのせいですっかり干上がり、彼らの進軍を邪魔しない。
先頭を切って敵陣に乗り込んでいく最愛の妃を、王は遠眼鏡越しに見守った。
銀の光刃がひらめく。軽やかに動くたび、美しい銀の髪も跳ねる。物憂げな顔がよく見えないのは、こちらに背中を向けているからだ。
心配はしていない。
彼は強い。
刃のように敵陣に斬り込み、すべてを地に伏せさせる。
そして、ただハラハラと見守るだけが、王の仕事なのではなかった。
基本的な戦術は変わらない。
王であるタラスができるのは、情報を集めて戦況を見守り、どこを攻めるかどこを守るか、本陣に座って指示を出すこと。
それがひいては、最前線で動くルーンを助けることになるだろう。
「南羊の先陣を突破しました」
「二陣の分断に成功」
「こちらも二手に別れました」
次々ともたらされる報告に、呆けている暇は無い。
「敵の本陣が退却を始めました」
「よし、そのまま切り込め! 逃がすなと伝えろ!」
情報を瞬時に判断し、適切と思われる指示を出す。
できればこの一戦だけで終わらせたい。叩きのめし、敵の頭を押さえたい。
回避できれば、それに越したことはない戦いだったが、足元を見られるのは性に合わない。始まってしまったからには、なるべく早くに終わらせるだけだ。
勿論、深入りは危険な時もあるけれど、引き際の分からない王妃ではないだろう。
自分に剣を突き付け、ふん、と笑った顔が今でも忘れられない。打撃を与えてからの鮮やかな撤退は、震えがくるほど見事だった。
彼になら、安心して任せられる。
信じて待てる。
王は報告を受ける合間、遠眼鏡で妃を見た。
いつも真っ先に切り込んで行くから、見付けるのはそう難しくない。敵に向かい、容赦なく振り降ろされる剣。返り血を浴びながら、休むことなく、苛烈に攻撃を繰り返す。
白鬼がそこにいる。
けれどここからは、やはりその背中しか見えなくて――ああ、彼は敵ではないのだ、と、こんな状況で実感した。
夜明けと共に兵をぶつけ、日暮れと共に陣に下がる。何日かに渡るぶつかり合いを繰り返した後、やがて勝負はあっけなくついた。勿論勝利だ。
本陣に詰めていた敵王こそは逃がしたが、3人の将を生け捕りにできた。
聞けば、南羊の王は初日のルーンの進軍におののき、その夜にはひそかに撤退していたという。敵なのだから情けなくて結構なのだが、そんな相手に舐められていたのだと思うと、腹が立つ。
戦争とは交渉の手段の1つだ。捕虜の交換もまた、交渉の1つ。せいぜい高く買えばいい。
捕虜を伴い、王の待つ陣に戻って来た白鬼将軍は、無傷で息も切らしていなかった。
戦車からひらりと飛び降りて、にこりともせず捕虜たちを引き渡す彼は、冷酷非情な鬼にも見える。戦勝に酔うでもなく、血に興奮するでもない、戦場にのみ現れる鬼。
噂の白鬼を目の当たりにした捕虜たちは、老いも若きもひどく怯えていて、その様子もまた、王にとっては滑稽だった。まんまと逃げおおせたという南羊王も、きっと十分に怖がってくれただろう。
そして、理解しただろう。
――アレ=タラスの元にはホクト=ルーンがいて、それは王妃であり、白鬼でもあるのだ、と。
――この2人が共にいる限り、争いを仕掛けるのは得策ではないと。
今回の大勝のあらましが、南羊だけでなく、周辺諸国にも広がればいい。そして、その脅威でもって、平和が保たれればいい。それが今のところの王の願いであり、今回の戦争の真の目的でもあった。
「お帰り」
王が声をかけながら、両腕を広げて出迎えると、白鬼将軍は「うん」とうなずき王を見た。
血しぶきや泥で汚れた軍服のまま、腕に閉じ込めて抱き締めると、強張っていた彼の体から、ゆっくり力が抜けていく。
腕の中で、ルーンがふうーっと長い息を吐いた。
熱い湯に浸かった時のような反応だ。そう思うと何だか嬉しい。じんわりと体重がかけられて、甘えられていると自覚する。
「ただいま」
ルーンが、タラスの顔を見上げて言った。
そこにいたのは白鬼ではなく、もういつもの愛する王妃で――。
王は、残念なようなホッとしたような、複雑な気持ちに苦笑しながら、王妃にそっと口接けた。
(白鬼の復活・終)
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