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二十
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「こないかと思ったぞ。」
「ばかな。」
久しぶりに逢った男は西洋人のくせにボンヤリした顔をしている。そうはいっても東洋人に比べれば眼窩は奥にひっこみ鼻と頬骨は高い。我々に比べれば充分に凹凸のある顔だ。
ただパーツが平凡なのだ、大きくもなく、小さくもなく、美しくもなく、醜くもない。ライトブラウンの髪は金髪より目立たないし印象が薄い。
しかしこの容姿はこの男の武器だ。人の記憶に残りにくいことは彼を動きやすくしている。
今日のようにスーツではなくラフなシャツとパンツ、スニーカー、片手にペーパーバッグを持っていると尚更お気楽にオフを過ごす外国人にしか見えない。
「何を読んでいるのだ?」
「ドン・ウィンズロウ。」
「随分とお気楽だな。」
「何を言っているんだ、これはメキシコの麻薬カルテルの話だぞ、けっこうハードだ。」
「てっきりジョン・ル・カレでも読んでいるのかと。」
男はしかめっ面をして不本意であることを伝えてくる。
「じゃあお前の好きな映画は『男たちの挽歌』か?」
「そういうことか、愚問だったな。」
男は店員にビールを二つ頼んだ。いつものことだから何も言わずに座る。
アメリカというものはどうにもいただけない。世界のボスだと思い込み、世界の治安を司る英雄でありたいと願う。だから極東であろうとアフリカでも中東でも何処でも悪を叩くために動く。
男は2011年アメリカが日本のヤクザを「世界的国際犯罪組織」と認定してからずっと担当しているが、あまりそのことは知られていない。特に日本において。
「海外で待ち合わせとはな。」
「いいだろ、ヨコハマはいい場所だ。」
誰かが付け狙い読唇術で読み取ったとしても、私達の会話から何かを見出すことはない。
ドン・ウィンズロウが隠喩していると捉え彼の著作を読んでも、香港はでてこない。
そこにでてくるのはサンディエゴとメキシコのルートであり、極東のイエローなど影も形もない。そこにアメリカの隙がみえるのだ。
極東とメキシコが無縁か?否。
そう、世界は繋がっている。
「そこに入っているのは?」
わざとらしく視線を男の左ポケットに落とす。視線の先が自分にあると知り手が伸びた。
さぐる指先に冷たい金属が触れたはずだ。
少しだけ揺れる瞳が動揺を示す。
「いつの間にとか・・バカバカしいことを聞くのはなしだ。」
「・・・だろうな。」
「そのうち連絡が入る。回収しろ。」
「やれやれ。」
「合鍵だよ。情報という名の部屋の鍵だ。」
「お前とビールを飲んで旨かったためしはないな。」
「お互い様だ。」
これ以上もう互いに用はない。しかし頼んだビールにほとんど口をつけずに去るのは普通にみえない
から、この一杯だけは必ず飲むようにしている。
「その本は買って間もないのだな。」
どうでもいい私の問いに、通りを歩く女の足を目で追いながら男は返す。
「ああ、まだしょっぱなだな。長い話になりそうだよ。」
「読み終わる頃には、ブヨブヨに膨れて醜い姿になる。」
「そういうことだ。ペーパバッグは読めば読むほど、汚くなってしまうな。」
「この国の文庫本はそうならないぞ。日本語は読めないから無用だが。」
「何事もこの国は無駄に思うほどすべてが几帳面だよ。驚くね。」
「同感だ。」
どうでもいい話をこのくらいすると互いのグラスが空になる。それぞれ自分の分として紙幣を一枚ずつグラスを重しにして席を立つ。
この国にチップはいらないのだが、多くの人間が座る店内のキャッシャーに移動する必要はない。
「どのくらいで届く?」
「さあな。ホテルにチェックインすればメッセージが届いているかもしれない。」
男は嫌そうな顔をする。
自分がまだチェックインすらしていないホテルをすでに私が押さえていることを知って、楽しい気分になれないのは充分に理解できる。
でもこういう細かいことが大事だ。つねに一歩先を行っていると「思わせる」ことが。
CIAの抱える膨大な情報に勝てるはずもないが、心理戦においては同じフィールドに立つだけのノウハウは持っているのだから。
使いどころを間違わなければ、小さい種が大輪の花を咲かせることだってある。
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