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いつもの
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「岬さん!お店の方に来るの久しぶりじゃないですか?」
いつものようにバイト。午後10時を過ぎたくらいに岬がやって来た。先週末の約束は岬の仕事で駄目になったから顔を見るのはほんの少し久々な気がした。
「そうだね、久しぶりかも。ちょっと近くまで来たから君の顔見に来ちゃった」
「ってことは、まだお仕事中?」
岬のお気に入りのボトルを開けかけて手を止めれば、岬は残念そうに笑って、あたり、と首を竦めてみせた。
「もうちょっと取引先の方に付き合わなきゃならない。君のバイトが終わる頃に迎えに来ていいかな?」
それは夜のお誘い?と岬にしか聞こえない声で尋ねればまた、困ったように岬が眉を下げた。
「…と、言いたいところだけど今日は君を家まで送るだけ。ちょっとでも君と居たい」
「ふふ、またまた。分かりました。待ってますね」
にこりと微笑むと岬はカウンターに手を付き僕の方へと身を乗り出した。そのまま軽いリップ音を立てて僕の頬に口付ければふわりといつもの香水の香りが鼻を擽る。
「じゃあ、後でね」
そう言い残し去っていく背中を少し目で追い、先程のボトルを片付けようとしたところでまた僕の正面の席に誰かが腰掛けた。
「ずいぶん、親密な仲なんだね?」
「田崎さん… 」
岬と入れ替わるようにやって来たのは田崎だった。実を言うと晴の大学の先生と知ってから正直関わるのは気が引ける。だからって何かあるわけではないんだけど。しかしここでバイトしている事が晴にばれるのは避けたい。
「僕も君に会いたくて来ちゃった」
絵に描いたようなニコニコの笑顔で言う彼は本当に40代だろうか。相変わらずの様子に思わず苦笑する。
「それはどうも。何飲みます?」
「いつもの」
適当に一言二言世間話をしながら今日も夜が更けていく。気が引けるのだけれど、田崎の懐にすぐに入り込む、というか独特のペースについ気を許してしまっている自分が居た。
「君は美人だよね、可愛いし。僕もあと10若かったらなー」
「いやいや、田崎さんは今のままでも充分格好良いですよ」
話はいつの間にか僕の容姿の話になった。頬杖をついて少し唇を尖らせてみせる様子はまるで子供だ。
「お父さん似?お母さん似?美形の親はやっぱり美形?」
そんなの聞いてどうするんだ。というかあんたこそ相当美形だろう、と思いつつあまりの脈絡のなさに僕はまた苦笑する。
「わかんないです、僕ずっと祖父母に育ててられたんで」
「そうなんだ?よくある共働き夫婦みたいな?」
田崎が置いたグラスの中の氷がカランと音を立てた。そろそろ2杯目だろうと思い、また田崎の「いつもの」を作り始めながら答えた。
「いえ、母親が早くに亡くなって、それから祖父母に引き取られたんです。父とはそれっきりで」
「…ふーん。そっかあ、大変だったんだね」
いえいえ、と笑って見せると田崎は黙ってしまった。僕が出した2杯目の「いつもの」を少しずつ飲みながら僕をじっと見る。その探るような視線に耐え切れず首を傾げれば、また田崎は笑みを浮かべながら言った。
「…いや、似た境遇の子の話をつい最近聞いてね」
田崎は、普段の表情が柔らかいだけにふと真面目な表情をされると少しドキリとする。何を考えているのかよく分からない瞳で見据えられると何か見透かされているようで、僕はグラスを磨く振りをして目を逸らした。
「ところでさっきの彼は?どういう仲なの?」
唐突な質問だった。岬の事だろう。
まさか話を聞かれていたのだろうか。いやあんな風に頬にキスなんかしたせいだ。
「別に…、それ聞いてどうするんですか?」
「あら、言えないような仲なの?」
怪しく瞳を光らせたかと思えばわざとらしく口に手を当て、えっちーと囃し立てた。この大人は見事に苛つくポイントを押さえてくる。
「別に、偶に会ってお食事したりしてて、」
歯切れの悪い僕を田崎は面白がるように笑う。僕を覗き込むようなその目を細めた。
「あーれー、好きな人いるのに他の男と会ってるんだー?」
「…別に、それは…っ」
「しかもさっきの彼、指輪してるように見えたけど?ノンケでしょ」
急に、責められているのだろうか。
少しずつ少しずつ自分の体温が上がってくるのを感じた。それなのに冷や汗にも似た冷たい感覚が僕の背中を走る。
「本命が振り向いてくれないーって言いながらその彼に相手が居る事を悲しんでるくせに、君も他の男と寝るんだ?」
田崎の言葉に何も言い返せなくなる。
確かに正論だけど、僕が誰と寝てようが晴は傷付きもしなければ知りもしないのだ。
「でももっと言えば君は下心おおありで友達のふりしてるんだし、振り向いてくれない彼よりタチ悪いのかもよ」
岬の言葉にカッと頬が熱くなる。下心なんて、そんな言い方しなくていいじゃないか。僕はただ、晴のことを ___________
「あれだけ泣いてたのに結構やる事やってるんじゃない。一途なふりしてさ、君だって結構傲慢じゃないか」
言い訳を並べる前に次から次へと図星を突かれていく。田崎の言葉は辛辣だった。
「…傲慢?」
僕が?僕は何も望んだりしてない。だって僕は知ってるから、こうやって _________
「想いを伝えないのは他でもない君の弱さだよ。気持ちを伝えても無い相手に振り向いて貰えないから、傷付いた時用のいつも優しくしてくれる別の男を作ってる。」
「そんなの…!僕はそんなつもりじゃ…っ」
「しかもその優しい彼には家族があるときた。彼は良くても、少なくとも君はその家族の普通の幸せを奪ってるのにね」
血の気が引いていく感覚が、はっきりと分かった。反論する言葉が思い付かない。ふと想像してみた、岬の妻と娘が自宅で岬の帰りを待っているのを。
ひゅっと喉が鳴る。かさついた唇を舐めた。
「君は自分だけを可哀想と思いすぎてる。気分は悲劇のヒロインってとこかな?」
岬は終始笑みを浮かべたままそこまで言うとグラスの残りを飲み干し、そろそろお暇しようかな、と席を立った。
このまま、言われたままで終わるのが悔しかった。田崎に僕の何が分かるというのか。僕がどんな想いでこの気持ちに耐えてきたか。この数年間劣等感も孤独感も遣る瀬無さも虚しさも飲み込んで来たんだ。
僕が間違ってないとは言わない、だけど必死でもがいてきたのをそんな簡単に言い捨てるなんてあんまりだ。僕なりに苦しんだんだ、許されたい、助けて欲しい。独りになる事を選べるほど強くない。温もりが欲しい。そう願ってはいけないのか?
「僕、そんな綺麗じゃないです」
その背中に向かってそう告げると田崎はゆっくりと振り向いた。相変わらず笑みを浮かべたままで、その余裕に腹が立つ。
「そんな純粋に生きてきてません。もとからそんな綺麗な片思いじゃありません。…片思いしてる間誰とも寝ちゃいけないんですか?人肌求めるのは駄目ですか?」
田崎は表情を崩さない。僕も絶対に語気を強めたりしない。泣いたりもしない。あくまで冷静に、無表情に。僕の中で渦巻くいろんな感情を押し殺した。
「今更、体だけの関係に傷付いたりしないですよ。そんなウヴじゃありませんから。女の子じゃないんだし」
笑みを浮かべて見せた。すると田崎も一層怪しげに瞳を光らせ、その口角を吊り上げた。
「…じゃあ、恋心とは別にセックスは誰とでもできると」
「勿論」
「じゃあ僕ともできるね。誰でもいいんでしょ?」
試すような視線を向けられて、馬鹿にされているような気分になった。どうせ怖気付くくせに、そんなふうに言われている気がして癪に触る。
だから、出来るだけ態とらしく、あざとく誘うような視線を投げて言った。
「…忘れられなくなっちゃいますよ、僕のこと」
ほんの少し驚いたような顔をした田崎がまた怪しげな微笑みを浮かべる。謎の駆け引きだった。
「…いいね、君今すっごくいい顔してるよ。今度本当にうちのクリニックにおいで。試してみようよ、忘れられなくなるか。」
そうして僕は後日本当に田崎のクリニックを訪れる事になった。目的はもちろんセックスをすること。相当馬鹿な自分が嫌になるが正直もうどうでも良い。道徳とか自分の気持ちとか、人間的なことなんて。
バイトが終わると岬がいつもの優しい顔をして立っていて、この人も飽きないなあ、と思う。いつもうじうじして、根暗な僕。汚い僕。こんな僕のどこが良くて不倫になんて身を投じているのだろう。でももっと分からないのは、もっと理解し難いのは他でもない僕自身だ。
一体僕はどうしたいんだろう。
今は晴に、会いたくない。
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