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空へ
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今日の岬は変だった。
正確に言うとどこまでが昨日でどこからが今日なのかよく分からないけれど。
あの後岬にいつもの如く犯された。何度も何度も僕の所為だと、お前は周りを不幸にするのだと罵る岬は全くの別人だったけれど、今更もう驚きもしない。
それなのにいつもは岬にされるがままの風呂のはずが今回は何故か1人で入浴を許された。もちろん拘束もされていなければ監視もされていない。
「アトリエ」とは言っても綺麗な浴室は僕のマンションより格段に大きなバスタブで僕は怠い体を目一杯伸ばした。
温かい。心地よい湯温が僕を包み込んで監禁されている事なんて忘れてしまいそうだ。そう言えば晴とお風呂に入ったな。あの時は狭かったけどこれだけ広さがあれば2人でも余裕で入れるだろう。
なんてまた晴の事を考えて、目頭がじんとして、馬鹿だと思って、情けなくてまた鼻の奥がつんとした。入浴剤が入っている乳白色の湯にぶくぶくと顔まで浸かり、いよいよこの状況を受け入れ始めている自分に苦笑する。
優しい岬を変えてしまったのは僕なのだ、と。
状況を飲み込むとじわじわといろんな事が考えられるようになった。僕を心配する家族は居ないけれど、マスターには迷惑掛けているだろうな。無断欠勤何日目だよ、これ。大学も単位が危ないし、どうしたものか。
晴のデニムシャツも返していない。
田崎か誰かに頼んで返して貰おうと思っていたのに、最悪晴の家のポストに突っ込むとか…。
今まで好き勝手してきた事の罰があたったんだと思う。仕方ない。
脱衣所に出るとバスローブが置かれていた。ずっと全裸にさせていた割にこれは与えられるのか…と内心不思議に感じながらも身に纏い、鍵の掛かっていない扉を開けて外に出た。
廊下の突き当たりの部屋のドアが開いていて、そっと歩いていく。ちらりと覗けば岬がソファーに腰掛けていて、目が合った。
先程までの狂った雰囲気が無いにしても蘇る恐怖に足が竦む。向こうのテーブルには食事が並べられていてこの場に似つかわしくない良い匂いが漂っていた。まるで最後の晩餐というか、逆に怖い。自由に風呂に入り、あんな豪勢な夕食を食べさせられ良い思いをしたら、もうこの後は殺されてしまうんじゃないかと。
「こっちへおいで」
岬の声にびくりとしながら、僕は言われた通りそろそろと歩いていく。ふと、家を出る前話題になっていた女性監禁殺人事件を思い出した。
俺もあの女性と同じ運命を辿ったりして。
側まで歩いていくと腕を引かれ岬の膝の上に乗せられた。冷めた思考とは裏腹に何をされるのかと強張る体を、岬はそっと抱きすくめたのだ。それは出会った頃の岬みたいで、僕はまた悲しくなる。
「ごめんね、恭介くん…ごめんね、」
体を離したかと思えば僕の両手を握り、そっと手首を撫でた。手錠で何度も擦れたそこは赤く腫れところどころ皮がめくれている。と言っても僕にとってはそんな外側の傷どうでもよかった。
「でもねもう、後には引き返せないんだ。分かるよね?」
僕を見詰める岬の目を真っ直ぐ見下ろした。そうだもう引き返せないのだ。愚かだった、僕も、この人も。
「僕を選ぶよね?」
懇願するような岬の目と、泣いて辞めてと懇願した少し前の僕が重なった。僕は何も言わないし何もしない。ただ、こくりと頷いた。
いよいよ、僕は僕を諦める。
岬の瞳に映る僕は何の表情も浮かべていない。
「ありがとう」
その後、岬と向かい合ってテーブルに着き夕食をとった。食べ終わると岬は自分の寝室で待っているよう僕に告げにっこりと笑う。僕は何も言わなかった。
「二階の奥の部屋だよ。僕も後から行くから待っていて」
言われた通り向かった二階の突き当たりは岬の寝室だった。大きな出窓があって吸い寄せられるように歩いていく。何も置かれていないそこに乗り上げて、外を見つめた。
夕方、だろうか。
真っ黒によどんだ雲からぽつぽつと降り始めた雨がアスファルトにせっせと水玉模様を作っていく。
久々に見る外の世界に僕は震えた。曇っていても雨が降っていても酷く眩しく感じる。この窓一枚を隔てた先には外の世界が広がっている。
解放されたい、だけど怖い。
この空の下はずっと繋がっているらしい。
父さんとも、祖父母とも、晴とも。もちろんマスターとも、先輩とも。全ての人たちと繋がっているけれど、母さんとは繋がっていないし、殺害された女性とも繋がっていないのだ。
コンコンとノックが鳴りすぐに岬が現れた。
パジャマにどうかな、と差し出されたそれは真っ白でシンプルなワンピースだった。
どうかな、じゃなくて着ろって言っている癖に。
出窓から降りれば黙ってそれを受け取った。するりとバスローブの紐を解きはらりと床に落とせば岬の目の前ですぐにワンピースに袖を通した。
膝が隠れる丈の長袖のワンピース。別にフリルが付いているとかそういう訳ではないけれどまあいい年をした男が着るものではないことは一目瞭然である。
僕の様子を見て満足げに笑った岬に促されるままベッドに上がった。岬は自らの着ているシャツのボタンを一つ、二つと外し始める。今度は女のように抱かれるのか。その予感はある意味僕にとっては絶望だった。
その生温い空気を一変させるように家じゅうに響いたのはインターホンのチャイムの音だった。
薄い笑みを浮かべていた岬の表情が一気に硬くなり、明らかに警戒している表情を見せた岬は僕にここに居るように言い残し部屋を後にした。
岬の足音が階段を下りていくのを確認し、僕は慌てて出窓へ乗り上げた。玄関の前に止まっているのは一台のタクシーで訪問者が誰なのかは分からない。ここに来客の来ることなんてあるのだろつか?と思いながら耳をそばだてた。
何か話している声が聞こえる。
そろりそろりと寝室のドアを開けると、岬の冷たい声が聞こえた。その時耳に飛び込んで来た、その声は____________
「あーもうごちゃごちゃうるせえ!恭介どこにいるんだって聞いてんだよ!」
張り上げられたその声は、紛れもなく晴の声だった。一度だって忘れる事なんてなかった、晴の声。今までの体の怠さが嘘のように僕は転がるように一目散に階段を下り、廊下を駆けた。
「はる…!はる…!!」
掠れた喉から上手く声が出せない。ただ僕は必死でその小さな玄関を目指した。
追い返そうとする岬の背中の向こうに、晴の顔が見えた。はっと一瞬目が合う。晴の大きな目が見開かれて僕を捉えたのが分かった。
「恭介!」
僕の名を呼んでくれた。その刹那恐ろしい形相で岬が振り返り恐怖を覚えさせられた体は足が竦んで突然動けなくなった。
「部屋にいろと言っただろ!」
怒鳴りつける岬の声にガタガタと体が震え出すけれど、岬に追い返されそうになりながらも何度も何度も晴が名前を呼んでくれるから、それだけでほんの少し立ち向かう勇気をくれる。
いつも晴は僕に与えてくれるのだ。
「恭介!恭介!!」
正面を切って向かっていくのは絶対に無理だろう。それならもう、向かう先はただ一つだ。
くるりと踵を返し僕は階段に向かって一目散に走り出した。何度も躓きそうになる。ワンピースの裾がひらひらとなびいて、僕は手を付きながら必死で階段を駆け上がった。
二階の突き当たり。岬の寝室。
広い部屋の一番奥に大きな出窓。
僕だったらすぐ、鞄とか本とか置いてしまうスペースには何もなくて、手をつくとひんやりとしていた。
躊躇うことなく乗り上げて、力一杯その大きな窓を開け放った。
冷たい雨が一斉に吹き込んで、下で晴が僕を呼ぶ声がする。ドタドタと階段を駆け上がる音、たぶん岬だ。
「_____________ 晴!」
僕の最後の賭け。
どんよりとした雨空に向け僕は飛び立つ。
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