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弱い
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「僕だけ幸せになんてなれないよ」
そう小さく呟いたはずの恭介の声がやけに重く響いて俺は胃がきゅうと締め付けられたような気がした。きっとその言葉はあの男___岬のことを指しているのだろう。考えただけで腹わたが煮え滾りそうだ。
恭介の記憶にはあの男が居る。付けられた傷は消えることはなくてきっと恭介はこれからも背負って生きていかなければならない。
泣いているのに情けなく笑うから余計悲しい。恭介のそういうところが俺は嫌だ。ひどく傷ついているくせに弱いくせに、すぐに笑ってみせるのだ。僕は平気、僕は大丈夫、そんな言葉で取り繕って実際は脆くて今にも壊れてしまいそうなのに。
俺を頼ることなんて一ミリも考えて居なくて、その長い睫毛を悲しげに揺らす。
「…馬鹿言うな、そんな訳ねえだろ、お前だって幸せになる権利くらい…!」
その虚勢ともつかない哀れな強がりや泣きながら笑う癖はきっと恭介がここまで生きて来るまでに身につけざるを得なかったものだとしても。
そんな風に笑わないで欲しい、俺にだけは心からの笑顔だけを_______いつかゲームのステージクリアに夢中になっていた時のような_____恭介の本当の声を聞かせて欲しい。
「…僕が、僕が岬さんを壊したんだ。岬さんの気持ち踏みにじるようなことばっかり…」
「違う、お前のせいじゃない。それはあいつが弱かったからだ。自分の好きな相手に好きな奴がいて、たとえそうだとして、その本人を傷付けるようなこと普通はしねえよ。大事に思ってるなら尚更な。誰だってそうだよ、我慢したり苦しんだり腹立てたりしながら必死でなんとか毎日生きてんだよ」
若干の苛つきを覚え一気にまくし立てた俺に恭介はでも!と食い下がった。どうして庇うような事を言うのだろう、どうして自分を悪く言うのだろう。
「でもじゃねえ!あいつもいい大人だろ?…それなのにこんな事して…最低だよ。」
俺が冷たく言い放つと恭介はまた俯いてしまった。僅かに震える肩をすぐに引き寄せて抱き締めたい衝動に駆られるがちゃんと話をすることの方が先決だろう。
「…僕は分かるよ、僕は弱いから、弱い岬さんの気持ちが分かる」
この世の中に弱くない人などいるのだろうか?人は醜い、醜いけれどその中で必死でもがいているんだ。時には相手を傷付け傷付けられて、自分を正当化したり言い訳したり、これでよかったんだと言い聞かせて平気な顔をして歩いている。何でもない風を装って平気で嘘もつけるし、それを厭わない人もいる。
でもだからこそその中の「本当」を一つでも多く拾って一つでも大事にしていきたい。だって世の中捨てたもんじゃないと思わないか。現に俺はこうして出会えた。大好きな幼馴染に________運命を感じるなんて柄にもない事を思ってしまう程の相手に________遠回りをいくつもして馬鹿みたいに時間ばかり浪費してしまった。でもこうしてここにいる、目の前にいる。
「…なあ、恭介それじゃ話が振り出しに戻っちまうよ。…俺には分からないって言いたいなら教えてくれお前の気持ちをちゃんと」
お前のこと面倒臭いと思うよ。扱いづらいもん。甘えたい癖に俺の事好きな癖にひしひし伝えてきてくれる癖にすぐ壁を作る。弱々しく俺を拒絶するのはきっと俺の今までがお前をたくさん裏切ってきたせいなのは重々承知だ。もっと可愛げあればなと思ったこともあるけれど、その不器用な所ですら愛しい。
「俺の事そんなに嫌か?もう嫌いか?」
恭介の顔を覗き込んで問うと恭介は苦しそうに顔を歪ませた。恭介の答えなんて手に取るように分かっていてその上でこんな質問をするなんて自分でも意地が悪いと思う。
恭介は表情を歪めたまま言葉を詰まらせた。
「…分かった、じゃあもうお前の嫌がる事はしない。もう触ったりしないしもうここにも来ない。…お前の事は諦めるし忘れる」
握っていた恭介の手を離した時、恭介の瞳が呆然と見開かれて俺を見上げるように見ているのが分かった。みるみる涙が溜まっていく瞳から目を逸らし恭介に背を向けた。
「…!まっ、て、」
恭介のか細い声に聞こえないふりをして立ち上がろうとした時、ギシとベッドのスプリングが軋んだ音を立てた。その刹那恭介の手が俺のTシャツの裾を掴み、くいと引っ張られる。勢いのまま恭介が俺の背中に抱きついて来て俺の中に広がるのは確かな満足感と…安堵だ。引き止めて貰えなかったらどうしようもなかったから。
今にも嗚咽を上げて泣き出してしまいそうな恭介の息遣いを背中に感じる。
「…待って…、行かないで」
涙声は耳に毒だ。恭介の震える指先が俺のTシャツを掴んでその額を背中に押し付けて泣いている。
「なんで、お前はもう俺の事嫌なんだろ」
「…っ、そうじゃなくて」
「俺の事あんなに拒絶した」
「それは…っ!」
俺はこいつにとって一体どんな存在だっただろう。出会ってから今までいくつもの時間を共にしてきた。もしかしたら傷付けたことの方が多かったかもしれない。というかそうか。信じる事が怖くなる程に俺がきっと裏切ってしまったのだろう。
これからも傷付けるかもしれない。一緒にいることで辛い思いをさせるかもしれない。
でも悪いな恭介、俺にはお前を手放すなんて選択肢がないんだ。
「俺がこれだけ好きだって言ってもお前は無理なんだろ。お前が何考えてんのか教えてすらくれない。じゃあもう諦めるしかねえよな」
俺の低い声に恭介はうう、うなるような声を出してまた更にぎゅうと俺に廻した腕の力を強くした。
「…違う、違う、何て言ったらいいかわかんなくて、怖くて、晴が僕を好きなんて、実感湧かないし自信、ないし」
辿々しい言葉が俺の背中で紡がれる。本当は今すぐに触れたいのだけれど、その震える体を抱き締めてはいけないと言い聞かせた。
「僕と居るより他の人と居る方が晴の為なのに、分かってるのに今こうしてここに居てくれる事も、僕の頭を撫でてくれるのも、嬉しいって思っちゃうから、僕から離れた方が晴の為なのにって、分かってるのに…!」
苦しそうな声が、呼吸が、鼓動が、背中越しに伝わってくる。その苦しさが伝染して俺は眉を寄せた。
「…晴の普通の幸せまで奪っちゃいけないって分かってるのに僕は、…っ、我儘で、こんなの傲慢だ、これ以上誰も傷付けたくないのに」
「…誰も傷付けないで生きてけるやつなんていねえよ、」
「だけど僕は…!誰かを傷付けるくらいなら自分が傷付いた方がよっぽどましだよ、晴だけは、晴だけは傷付けたくない、傷付けるのに比べたら僕は1人でいた方がよっぽどいいって」
そこまで言って恭介は苦しげな嗚咽交じりに一度大きく息を吐いた。過呼吸になってしまいそうなほど乱れた呼吸を何とか落ち着けながらまた恭介の切なげな声で言葉が紡がれる。
「…僕はどうしたらいいの、僕は…」
「…深く考えずに飛び込めよ、俺に縋れよ、全部言ってお前が今まで我慢してきたこと」
振り向いて涙で頬を濡らした恭介を覗き込んだ。痩せて前より軽くなった体を抱き上げて膝の上に乗せてからその涙を拭ってやる。泣いたせいか汗で額に張り付いた髪を撫でると恭介はより一層切なげな顔をした。また涙堰を切ったように溢れ出す前に勢いよく俺の胸に飛び込む、そんな君に俺はもうどうしようもない。
「…晴、晴。晴、行かないで、誰のとこにも行かないで、離さないで…ずっと側にいて」
新聞配達のバイクの音がして、ああもうそんな時間かとふとよぎる。震える小さな体をぎゅっと抱きすくめた。離すわけない、離してやれない。
「…恭介、好きだよ」
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