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70.何度目かの我慢
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『慧君は俺にどうしてほしい?』
リカちゃんからのそれは、すごく単純な問いかけだった。
解くための難しい方程式もなく、テストの時のような意地悪な引っ掛けもない問題。心の中に浮かんだ願い事を口にすれば、それだけでいい問題。
世界でただ1人。俺だけが正解を知っている問題。
俺以外に触れているその手を離してほしい。俺以外の人なんて振り払って、こっちに来てほしい。それから家に帰って、2人きりで過ごしたい。
誰にも邪魔されず、誰のことも気にせず、誰に何を言われても無視して聞こえないふりをしていたい。
でも、ダメだろ?そんなのダメに決まってるだろ?
心に浮かんだ願いを口にする前に、頭の中の俺が止める。お前は何を言おうとしてるんだって、必死に蓋をする。すると俺の口はどう頑張っても開こうとしない。
未成年を1人で放り出すなんてできない。
それに偶然とはいえ、怪我をした蛇光さんを放置なんてできない。それから偶然とはいえ、立てなくなった蛇光さんを置き去りになんてできない。
だから、俺が出せる答えは1つしかなかった。初めから選択肢なんてなかった。
俺に与えられていたのは、自分で決めた事だって受け入れるための、本当に僅かな時間だけだ。
「俺は……この子を家まで送っていくから。だからリカちゃんは蛇光さんのことを頼む」
自分から敵にリカちゃんを差し出すなんて、バカみたいだ。でも他に方法が見つからない。
大人になった自分と、リカちゃんの恋人としての自分と、何も考えない素の自分。俺は、今の自分がどの立ち位置にいるのかわからない。
わからないから、縋るようにリカちゃんを見る。真っ直ぐに迎えてくれる黒い瞳は、俺の知っているいつものリカちゃんだった。
「…………俺がその子を送って行って、慧君が蛇光さんの手当てをするっていう選択肢もあるけど」
俺の迷いに気づいたのか、リカちゃんが別の道を提案してくれた。けれどそれはどう考えても違和感がある『間違った答え』に思えた。
「リカちゃんとこの子は、初めて会うから。だからリカちゃんに任せるのはちょっと違う……と思う」
「慧君がそう言うのなら俺はそれに従うけどね。俺は慧君のお願いに弱いから」
場違いにもリカちゃんがふわりと笑う。
だから俺は、本当は違うって否定しかけた言葉を無理に飲み込んだ。
言えない本音を喉の奥に押し込み、見せない本心を心に隠して。絶対に外へと出てこないように鍵をかけ、俺は頷いた。
そうして俺は『リカちゃんの恋人』としての自分ではなく『誰からも責められない自分』を選んだんだ。
「…………わかった。慧君も気をつけて帰ってきてね」
一瞬だけ目を伏せたリカちゃんは、すぐに笑顔を浮かべた。それがあまりにも自然な流れだったから、やっぱり俺の選んだ道が正しかったんだと思う。
「帰る時に連絡する。だからリカちゃんも……気をつけて」
何に気をつけるかは言わなかった。けれど俺の言葉にリカちゃんは頷き、視線を蛇光さんへと向ける。
「蛇光さん、部屋まで送っていきます。ああ、1人じゃ立てないんでしたっけ?」
「あっ、はい。まだ無理みたいで」
「そうですか。それなら少しの間だけ我慢してくださいね、すみません」
先に謝ったリカちゃんが蛇光さんを支えながら屈む。そして蛇光さんに自分の鞄を抱えておくように言うと、その身体を抱えて立ち上がった。
蛇光さんの細い身体が羽根のように浮かび、ふわりと揺れてリカちゃんの腕の中におさまった。
つまり、お姫様抱きってやつだ。
「うわ……やばい、お姫様抱っこなんて生で見るの初めて」
間近にいる女子高生の呟きが、ずっと遠くの方で聞こえる。そんな錯覚を覚えるぐらい、俺の意識は目の前の光景に集中してしまっていた。
歩けない蛇光さんをリカちゃんが抱えている。俺の嫌いな女が、俺の好きな男の腕の中で笑ってる。
どうして俺は、自分の好きな人が自分以外に触れているのを見ているんだろう。
どうしてこんな偶然が重なるんだろう。
そこまでしなくても良いだろって思うのに、言えない理由。それは歩けない蛇光さんを助けてくれって、俺がリカちゃんに頼んだからだ。
俺自身で選んだ結果が目の前にある今だからだ。
「また後で」
それがリカちゃんに言われたことなのか、それとも蛇光さんに言われたことなのか。俯くしかできなかった俺は知らない。
ここで顔を上げて頷けるほど、俺はできた人間じゃない。
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