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「その話をする前に、一つお願いがあるんだ。」
「何だ?」
「ちょっと椅子の横に立ってみて、」
父親は訝しげな様子ながらも椅子から腰を浮かし、百合を飾った瓶と食べかけのタルトの乗った小さな食卓から少し離れて立つ。俺も椅子から離れた。
前に立ち手を伸ばす。抱きしめれば、大きな体は筋肉の在り処を俺の体に刻んだ。感じる服越しの体温。
「…文?」
躊躇う声。でも振り払う素振りはない。俺の背中へ手のひらが軽く沿う。小さな頃に足へ抱きついた事も、抱き上げてもらった事もあった。こうして、この肩へ額を押し当てる程に背が高くなった今、この胸に感じる思いを言葉にするのなら。
抱きしめればきっと分かる。
「母親が亡くなってるんだって、嘘をつくのは止めていいよ。」
「…何でそれを、」
きっかけは仏壇の遺影だ。祖父のものはあったのに、母親のものはなかった。それに祖母は、あの人が引き取るべきだと父親へ言った事があった。そのやりとりを、理解出来ない年頃だと思われていたんだろう。
「本当の父親の事も言うつもり?あなたがそうじゃない事はとっくに知っている。」
そう言ったら、肩を押され体を離された。肩を持つ手をそのままに、真剣な表情で見てくる。この人は父親という役割を請け負ってくれていただけ。
はぁ…と溜め息が吐かれる。きっと察していた以上に俺がわかっている事に、緊張感や躊躇いや諦めがこぼれたんだろう。
「それも含め、全てを話し合うつもりだ。」
「俺は父親似だろ、おばあちゃんも知ってる人が父親なんだね。」
あんたは本当に父親似だねぇ、と良く言っていた。そんな事を言うのは祖母だけだった。誰も、父親の兄ですら言わなかったのに。俺の小さな頃のアルバムはない。でも、今の俺を見ても父親似だとは誰も言わないだろう。
祖母の本意は分からない。転勤の多い父親に代わり俺を育て、食事を与え、家を与えてくれた。俺への悪意ばかりではないと思ってる。きっと、俺の姿を通して母親や本当の父親の面影を見つけては、つのる苦しさをたまに吐き出してたんだろう。祖母の事を嫌いだとは思ってない。他人の子供を自分の子供だと認知した息子の不憫さ、それを考えると当然なんだ。
座ろう。そう促され再び席へ着いた。
「俺の古い友人だった奴だ、」
そこから始まる打ち明け話は、俺の予想通りに進む。今更受けるショックなんてない。
父親は中学の時に付き合い始めた彼女、俺の母親と高校1年で破局した。それと前後して付き合い始めたのが友人である俺の本当の父親だった。恋愛相談役の男に恋をする、そこまではよくある話。妊娠に気付いた時、どちらの子なのか分からない状態だったという。でも、結果として産むという選択をした彼女に救いの手を差し伸べたのは、この目の前にいる父親だった。で、いざ出産して育ててみれば…赤ちゃんの顔立ちは刻々と変化していき、籍を入れ面立ちがはっきりした頃には明らかになり過ぎていた。そこから二人の仲は歪み離婚へ至ったが、転勤族の妻である母親は小遣い程度のアルバイトしか収入源がなく、生活の安定を図るにはまだ時間を要した。それで、父親が引き取ったという経緯だった。
「…それで?」
俺には今、この話の行き着く先が見えている。本当は知りなくないんだ。だけど、この人の事を思えば聞かざるを得ない。
「彼女は、文を引き取りたいと言っている。」
「…そう。」
紅茶はとっくに湯気をなくして冷めてる。食べかけの二種類のタルトは、もう魅力的には映らない。こんなに好きなカスタードクリームだって、この気持ちを回復してはくれないんだな。
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