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受けたことを忘れそうになった頃渡された合格通知。三級の簿記検定だ。これにはびっくりしたけど、一ノ宮と二條も合格したと言っていた。クラスの半分ほどは合格したようで、案外授業を真面目に受ければ何とかなるもんなんだと実感。簿記担当の先生に言わせれば、三級はなんとかなるが二級とのレベルの開きは大きいらしい。
それからカットモデルを済ませ…前髪はまた短くなった。夏休みに入り、時々バイトへ行き、課題を終わらせる事に集中した日々を過ごしてもう八月。
「よし、行くか。」
いよいよ今日は、母親である女性と会う日曜日。芳さんも同席しようかと言ってくれてたけどそれは断り、一人で行く事に決めていた。
芳さんに買ってもらっていた服を、店員さんが決めたコーデ通りに着て、新品のスニーカーに足を通す。俺にはセンスなんてないし、あえて自分で違う組み合わせを考えるなんてしない。その点からいくと制服は素晴らしい。何にも考えずに着替える事が出来るし、大抵の人に似合うデザインだ。
約束の時間に間に合うように、一本早いバスに乗りイヤホンを耳に入れてスマホで音楽を聴く。これは一ノ宮お勧めのアプリ。目的地まで、あんまり色々考えたくない。ぼんやりと流れる街並みを見た。
会う場所は最寄り駅の改札口前、母親は電車に乗って来るという話だった。昼前の強烈な日差しはアスファルトからの反射熱と相まって、日陰の構内にも熱気を与える。冷えたバスから降りた体から、じわじわ汗が出てくる。
到着時間まで間があるから近くのコンビニに入り時間を潰してジュースを買う。彼女の携帯番号は芳さん経由で教えてもらっている。向こうもそうだろう。まだ直接連絡し合った事はない。スマホで時間を確認しながら、改札口前へ立った。そういや、俺は彼女の顔を知らない。そろそろ電車が着く時間だ。どうしようか…電話した方がいいのか…、
「文。」
名を呼ばれ、迷いながら手に持っていたスマホから顔を上げる。その女性は迷いのない足取りで近寄った。
「ごめんね、待たせちゃって。ねえ、お腹空かない?昼食はまだよね、食べながら話しましょ。」
返事をする前に俺の腕を引く。肩から下げた白いバッグ。ノースリーブのワンピースを着た小柄で細い体、肩で切り揃えられた毛先は緩く巻いてある。
「あの、」
「ああ、そうだ。何を食べたい?行きたいお店に案内してくれる?」
俺は彼女を少し見下ろしながら戸惑う。引かれるままに運んでいた足を止めた。
「あの、待って下さい。人違いだとは思わないんですか、」
今度は少し強めに声を出す。その問いに、彼女はまじまじと俺を見た。俺もまじまじと見返す。でも、その顔に見覚えはなく、母親だと確信する術はない。彼女がとても若い印象だから戸惑ってもいる。彼女の身に付けたピアスとネックレスは、小さなダイヤモンドみたいな輝きが三つ連なってる。指輪はしていない。
「ああ…ごめん。そうよね。私はあなたを見間違えたりはしないけど、あなたは違うもの。」
「それは、実の父親に似てるという意味で?」
「…そうね。でも、それだけじゃない。芳から写真をもらってたから、…もうずっと。信じられないでしょうけど、私はあなたの成長を知っているの。」
かおる、そう呼ぶ声の響きに特別な思いを感じとれないかをこっそり探る俺って…馬鹿すぎる。
「写真なんて、撮った覚えはないけど。」
「ふふっ、隠し撮りの写真よ。笑えるでしょ、私が知ってる文は横顔や寝顔や背後からのアングル。メールでパソコンに送って貰ったりしてて…芳の意地悪な所が出てる。まともな写真を寄越せって感じ。」
芳さんが意地悪だとか語る彼女は、きっと間違いなく母親なんだろう。
「念のため、母子手帳もあるけど…見る?」
「いいえ。」
「そう。じゃあ、何を食べたい?ここは暑いし、お腹空いたし、近くで美味しい店があるならそこがいいけど。」
「じゃあ、こっち。」
とんかつが好きか知らないけど、彼女の先に立ち歩き出す。彼女は、何も言わずに着いて来る。
母親との再会に夢を見てもいない。涙を流しながら懺悔して、抱きしめて欲しいとも思わない。かといって、この段階で彼女に対する好意も悪意もない。俺はこの人と会って、一体どうしたいんだろう。芳さんの勧めだから、彼女が望んでるから、それだけの理由でここに居る。
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