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昨夜は布団を敷く前に芳さんに誘われ、またもや一緒のベッドに寝た。その際にごくごく自然にキスされ、そのせいで緊張してしまった俺の背中を撫でて、芳さんは苦笑した。
大丈夫、これ以上は何もしない。
そんな事を言わせてしまってる俺。恋人への道のりは、果てしなく遠い。
そんな反省と、本当はもうちょっと何かしてもらいたかったなとか、性懲りも無く考える残暑真っ盛り。日が高くなり始めた頃、芳さんは帰省ラッシュより一足先に帰って行ってしまった。
俺は駅まで彼を見送った後でそのまま留まり、近くのコンビニで時間を潰してまた改札口へ。
「文ー!」
名を呼ばれ、人混みを避けて端に寄せていた体を壁から離す。小柄な体は人の間をスルリと抜けて、易々と俺の前に立つ。すごいなって感心する。俺には真似出来ない。
「ごめんね、待たせたでしょ。」
「ううん、大丈夫。」
「芳は帰ったの?」
「うん。」
芳さんが今日帰る事も、今から二人で会うのを内緒にしてほしい事も事前に伝えていた。
「暑いわね。どこかでお茶しながら話そう。あ、あっちに喫茶店ある。行こう。」
頷こうとしたら、すでに腕を取られて歩かされてる。また今回も彼女のペース。人にぶつからないように気にしながら、きびきびした動きの母親に歩調を合わせる。何とか喫茶店にたどり着いた。
メニューを渡され、アイスティーを注文する。彼女はそれに加えて、デザートプレートを注文した。甘い物が好きらしい。
「で、何で芳に内緒なの。私に、何か聞きたい事でもあるんでしょ。何にしても、こうして会えるの嬉しいからいいけど。」
対面の席で、淡い色の唇が笑みを浮かべ、華奢な指が運ばれて来たアイスティーのストローを回す。カラカラと氷が涼し気に音を立てた。今日は煙草を吸う気配は見せない。もう、禁煙を始めてるのかも。
「うん…。芳さんと俺って、本当に血のつながりとか無いのかな。実の父親って人に似てるとかって、そんな気がするだけで、はっきりした証拠じゃないし。芳さんが父親である可能性が、全然無いわけじゃないんだろ。」
そもそも、俺は祖母と芳さんのやり取りで、芳さんを実の父親ではないと思い込んでいたけど、何の確証も無い事だ。もしも、もしもだけど、本当は芳さんが父親だって事はないだろうか。
「ああ…その事。彼の写真あるけど、見る?」
俺は、写真を見たいとか言ってなかったのに…、もしかして持ち歩いてるのかな。
「うん。」
彼女はハンドバッグを引き寄せてごそごそ中を探り、スケジュール帳を取り出した。で、そこから一枚の写真を抜くと俺に差し出す。覚悟を決め受け取る。見ても、似てないって思うのかもしれない。でも、やっぱり確かめたいんだ。芳さんの親友だった人への興味ってのもある。
その写真へ躊躇わずに視線を落とした。
「……、」
「どう?この前は、全然この話題に触れなかったから興味ないのかって思ってたんだけど。」
目と口をよく見た。自分では分からないけど、きっと同じ形なんだろう。高校の制服かな、ブレザー姿の彼は二重のぱっちりとした瞳を和らげ、赤みを帯びた唇が微かに笑みを浮かべてる。正直、芳さんよりは父親の可能性が高い気もする。
「…見ても、やっぱり実の父親だって実感出来ない。」
写真を返す。万が一、芳さんと血のつながりがあったら、俺はどうすればいいんだろ。何で彼は、あっさりと俺の気持ちを受け入れてくれたのか。
「芳は本当の事を言わなかったのね、文が聞かされた話は結婚する為に親を説得する材料として作ったものよ。でも、その話を真実だと信じたかったのは本当。…芳が父親なら良かったのに、でもそれは絶対に無いの。私たちの間にはそんな関係ってなかったから。中学の時は受験もあったし、かわいらしい清いお付き合いしてたのよ。高校になってからは互いにすれ違いも多くって、割とすぐに別れたしさ。」
「え、」
「芳が、亡くなった親友の代わりに父親になるって言った時、頷くべきじゃなかったんだって……今更だけど。互いの親に嘘付いて、子供を産んでやっと結婚してやっぱり上手くいかなくて…で、結局何もかも手放してしまった。」
震える語尾。とっさに、その頬を伝う涙にハンカチを差し出す。同情とか、憐れみとか、そんな同じ土台に立った上での感情は湧いてこない。俺には母親の気持ちは解らない。ただ、彼女の気持ちが落ち着くのを待つ。
「ごめん、ありがと。ハンカチは今度会う時に返す。だから、」
「うん。また会うよ。」
そう言ったら、まだ赤い目のまま微笑まれた。
「そ。良かった。」
「でも、一緒に住むのは難しい。」
「うん、分かってる。」
どうしてそんなに物分り良くしていられるのか、やっぱり俺には母親の気持ちが解らない。
「不思議そうな顔してる。単純に考えても、私に勝ち目なんてないじゃない。それなのに心配してる芳って馬鹿よね。」
ふふっと軽やかな声の思い出し笑い、芳さんとどんなやり取りしたんだろう。
デザートプレートにのった、小ちゃなティラミスと添えられたバニラアイスを食べてる彼女。もうすっかり涙は引っ込んだらしい。俺も溶け始めた氷の上澄みをそのままにして、アイスティーを少し飲む。女性とは、謎に満ちている。
当然のように二人分の会計を済ませた母親は、ここでいいからと俺の見送りを断り、
「次に会う時は、芳にも教えてあげて。」
喫茶店の出口でそう言い残すと暑い空気を分けて駅へ向かう。涼し気なシャツとジーンズに包まれた足は、軽やかに人混みを避け進む。その背中は小さいのにどこか強く、さっぱりした気性を表している。前回感じた頼りなさは、もうどこかに隠されてしまっていた。
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