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古賀→→←手嶋
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ロッカーの開閉音。バックルやファスナーの音。クリートが床にリズムを奏でれば、隠しきれない様々な闘志。
机から解放された者共が、我先にと着替えては練習に駆けていく。
ある者は着替えが半端なまま、またある者は頬を大きく膨らませたまま、まるで遊びの約束に向かう子供みたいに、しかし真剣な眼差しで各々のバイクへ向かう。
「ストレッチはしたのか?」
との問いかけには、様々な場所とタイミングを答えられ、外周に行ってきます!と言葉を返される。皆が其々に部活解禁のこの日この時間に合わせて、逸る気持ちをどうにか抑えながらいたのだろうと思うと我が事のように嬉しくそして可笑しい。よくもまぁ漏れることなくチャリ馬鹿が揃ったものだ。
やがて騒がしかった部室前もすっかり静かになってしまった。
他の部室やグラウンドと離れているおかげで図書館並みの静けさを有するこの自転車競技部部室は、部員が外周に向かったあとは学校内であることも忘れてしまうほどだ。
俺は広くなった部屋の床に新聞紙を敷き、配布されたばかりのコースマップを広げた。時折カラーの地図帳や地元ライダーのコース情報等照らし合わせながら、頭の中にその必要な情報を叩き込んでいく。三日に渡るレースを冷静な判断でクリアするにはやはり、体力やセンスに加えてコースの地形知識の有無だろう。チャリ馬鹿達が少しでも多く練習に励めるように、裏方には裏方なりの支え方がある。試験勉強とは違い、その作業は大変ではあるが楽しい。覚えても使わなかった沢山の単語が消えていく代わりに、IHのコースが徐々に頭を占拠し始める。
選手としての参加は出来ないが、メカニックとしてコースのチェックをしたい。…というのは表向きの話で、本当は少しでもレースに濃く参加していたい、俺の代わりに走ってくれるならという気持ちの、せめてもの救いかもしれない。
そしてそれをふまえた上で週末は群馬まで輪行して、単独試走の予定だ。
「…何やってんだ?」
開けっぱなしの扉から覗き見るようにして立っているのは、我がチームのキャプテン手嶋だ。
「お前こそ」
悪戯が見つかってしまったというような笑みを溢した手嶋は、俺の後ろを歩きロッカーに鞄を入れた。
コースマップを指先でなぞりながら物音ひとつしないのを不思議に思えば、内扉にある鏡越しにこちらを見ているヤツに気が付き、体を向け視線を合わせた。
「何だ?」
「公貴があんまり怖い顔してるから」
「キャプテン様が何言ってんだ」
「ハハ。まぁそうなんだけどさ~」
再びコースマップに向き合うが、視野に入る着替えを始めた白シャツの下に伸びる肌色がどうにも気になる。
レーパンに履き終えた様子にどこかで安堵しながらも、わずかばかり残念に思うのが虚しいところだ。
「部長会ってなんであんなにダルいんだろうな」
しゃがみこんだ手嶋がコースマップを覗き見ながらゆっくりとボタンを外していく。視野を狭めるために指でコース辿ると、手嶋がその指先を押さえた。
「この坂、この斜度、このつづら折り。既に俺の心折れそう」
押さえていた指にすがり付くようにふざける手嶋は、俺の気も知らないで甘えた声へ変えていた。
「何言ってるんだ、クライマーが」
手嶋の指を払いのけまたその先を指が辿ると、脱いだシャツを肩にかけたヤツがあぐらをかいた。
「巻島さんや小野田とは違うんだよ。坂を見て心が弾むとか…俺無いよ~」
「それを俺に言うか?IH出れない俺に」
「…まぁそうなんだけど。でも、公貴だからこそ言えるんじゃん、こーゆー事さ」
「俺の気にもなれ」
「ん。だな」
スッと立ち上がり肩のシャツを片付けにかかる。
なんのけなしに追っていたその背中が肌色を見せた。日焼けをしていない背中が下着を脱ぐ際に丸くなり、肩甲骨の出っ張りに一つ大きく胸が鳴った。
思わず顔を反らし、見なかったことにしようとコースマップに視線を戻した。
「手嶋。俺、試走してこようと思う」
パタンとロッカーを閉じた手嶋が、何か言いたげな顔をして近付いてくるのが分かる。言いたい事はなんとなくわかっている。
「IHコースをか?いつ?」
「今週末が丁度三連休だ。出来ない事じゃない」
コースマップを見つめる俺の横に手嶋は膝をつけた。
「俺も行くよ。一人じゃ無理があるだろ」
ふっと良からぬ想像をしてしまったが、直ぐに振り払った。
「お前がやらなければならないことは、山積してる。一人で構わん」
キャプテンとしての重責を負いながらも経験の無い初めての大舞台だ。IH経験のある後輩とは違い、今迄の練習通りでは満足出来ない現実に対して圧倒的に時間も足りていない筈だ。そのくせ、思うようには成長もしていない。
そして何より、それらを他の奴等に気付かせないように、キャプテンてして最上級生として振る舞わなければならない。
「お前と違って大会当日、俺は走れないからな」
どこまでが建前でどこからか本音か自分でもよくわからないが、手嶋の顔をジッと見つめればその眼が揺れた。
「なら、他に誰か…」
「二年も一年も来年がある。同じ方向向いた練習はいくらあっても足りないさ」
「でも…」
「適任は俺以外居ない。それにレースでもなし、1000キロ合宿と比べたらどうということはない」
眼鏡と一緒に口角もあげて見せたが、まだ揺れているようだ。
「それとも何か。俺には無理だとでも?」
手嶋の膝に手を当てる。負荷をかけて床へと押す力を徐々に込めていく。
しばらくして両膝を着けた手嶋は、諦めたように正座した。
「…正直な所、助かる。技術もセンスもからきしな俺には、頭脳派しか残ってないからな。喉から手が出るくらいには、公貴の試走データが欲しいよ」
項垂れたその頭をポンポンと乱暴に叩くと、申し訳なさそうな顔をした手嶋が窺うように聞いてきた。
「…良いのか?甘えても」
「それが、俺の仕事だ」
レースに出れない俺がチームを……手嶋を支えてやれるとしたら、きっともうこれくらいでしかない。
勝とうが負けようが泣こうが喚こうが、IHが三年最後だ。
ふっと息を漏らした手嶋が、髪をかきあげ結い直している。
「ちょっと前、良いか?」
フワリと髪を揺らした手嶋が、コースマップを踏まないように俺の前に来て、その僅かな隙間に無理やり腰を下ろした。
なんだなんだ?と仰け反りながら少し下がれば、手嶋は俺の体に背中を倒し体重もかけてきた。
「うん?あ、座椅子じゃなかったか」
ふざけた調子で話すから、その小さな肩を有する体を体で押し返し、そして力一杯抱き締めた。
「…いい度胸だな」
「イテテテ」
一回り小さな手嶋の体は、すっぽりと覆われた。このまま閉じ込めて置けるものならば、あるいは…と考えてしまったところで、腕を緩めた。
手嶋はその場から離れることも、まだ残る腕を退けろとも言わずに体重を預けたままだ。
一体何が起きているのかよく分からないまま、俺も手嶋から離れなかった。
「…もう少し、このままな」
「ん、あぁ」
お互いの状況をうまく飲み込めないが、腕の中に愛しい人を囲ったままだ。
俺の首筋に手嶋の額が接触しているのにも関わらず、俺は生唾を飲んだ。何度飲み込んでも、唾は無くなりはしなかった。
「皆が、外周から戻ってくるまで、このまま…」
触れる髪はくすぐったいが、わずかに汗をかいた手嶋の匂いの方がじっとしていられない気にさせる。
「一にもこんな事したことはない。公貴にだけだ」
「…それなら。お前が気にしないで済むように、俺も甘えてやるか」
再び力を込めた腕に、手嶋の腕が乗った。その手が俺の手に絡むのは、いつだろうか。まだ俺だけのものにする訳にもいかない。そもそも今の状況が俺にとって好ましいのかということも半信半疑だ。
「試走。無理だったらどうする?」
腕の中にいる手嶋にだけ聞こえる音量で話せば、手嶋は笑った。
「頼むよ」
「…わかった。任せろ」
再度抱き締める力を増した。
俺の胸元には濡れた感触が走って、クラクラしそうだった。
遠くの方から、聞き覚えのある声が響いてきた。
甲高い声が高らかに笑っている。あれは鳴子か。順を追うように声や自転車な音が大きく近付いて、閉じ込めているヤツの頭が、猫のように擦り付けられた。
「キャプテンしてくるわ。いっちょペダルも回してくるか」
何も出来ない代わりに手嶋の頭に口をつけた。ウェーブのかかった髪に邪魔されて、深くは出来ない。でも今はそれでも十分だと思えた。
「人一倍回してこい。いつでも充電はしてやる」
両手を広げ、手嶋は立ち上がり進んだ。
足取りは軽かった。
部室に顔を見せたときよりも、それは明らかだ。
覗きこんでいたその外に向かい、手嶋は腕を組んだ。
「ボトル交換した者から、もう一本、行くぞ!」
腹から声を出す手嶋に、ウォーミングアップから帰って来たばかりのメンバーが返事をする。
そして、しばらくしてまた静かになった。
確かに俺の腕の中にいたはずのアイツは、ほんの少ししかこの止まり木に留まってくれない。
でもまた止まってくれる。今日からはそう強く信じて、手嶋の少しでも近くで俺はこの腕を大きく広げていよう。
いつ止まりにきても良いように。
手嶋 純太は、この俺のものだ。
end
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