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罪責感(3)
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日曜日だったので少しばかり遅い時間に起きて朝食を作っていたら、裕大さんにいきなり肩を叩かれた。気配も感じなかったから手にしたコップを落とすところだった。
「おはよう」
ご機嫌な笑顔で挨拶をされる。大きな彼は昔と同じように小さな僕を見下ろす。当時から少しばかり小柄だった僕は今でも小柄で、170センチもない。裕大さんは中学時代から180センチを超えていたから、当時も今も見上げることに変わりはない。
また泊まったんだ。そろそろ僕は実家に帰るか一人暮らしした方が良いんだろうな。
漠然としていた思いが決断に変わった。
裕大さんは僕を見つめ、ふっと息を吐いた。
「なあ、あの時のことは本当に悪いと思ってるんだ。痛い思いさせてすまなかった。だから無視したり怯えたりするのはやめてくれないか」
困ったような顔で謝罪する裕大さん。
無視したつもりはないし、怯えているというより驚きなんだけど。昔の征兄のように、いきなり腕掴んだり肩を叩いたりしてくるから。
あれ? もしかして裕大さんは僕が片耳を失っていることを知らない?
今も昔も征兄以外には興味がないんだなと呆れた。
「あの頃……中学三年って多感な年頃だろう。ずっと征也が好きで、性欲もどう発散していいのかわからなくてどうにも治まりきらない状態であの日おまえんちに行ったんだよ。なのにお前が無邪気に寄ってくるから腹が立ってつい手が出て……」
つらつらと当時の心情を語られる。そんなの、どうでもいいんだけど。
僕はもう罰を受けた。これ以上裕大さんに僕が関わる必要はないはずだ。
「お前が俺に怯えるから征也が不審に思ってて……」
「もういいです、裕大さん。要はあの時も今も、僕が邪魔ってことでしょう。来週にでも僕ここを出て行きますよ」
「そうじゃなくてっ」
「邪魔と感じた時に今度は右側を叩かれるのはごめんですから」
「お前が、健也の耳を奪ったのか?」
僕の言葉が征兄の掠れた声で遮られた。気付かないうちに征兄もキッチンに来ていたのだ。裕大さんの背後で蒼白になっている征兄は僕たちの会話から何があったのかを察したようだった。
征兄にだけは知られたくなかったことを、僕自身が口にしてしまった―――
「健也の耳を奪ったのは裕大だった……?」
「耳? 何のことだ?」
裕大さんだけが何もわからず、答えを求めて僕と征兄を交互に視線を巡らしている。
僕の黒歴史。親友の、恋人である裕大さんが僕にしたことを征兄にだけは知られたくなかったのに。余計なことを話した僕はもう何も言えない。
俯いて、唇を噛んだ。
「おい、説明を……」
「健也の左耳は八年前から聞こえないんだ」
「え?」
「感音性難聴か突発性難聴か、いずれにせよストレスが根底にあるらしい。健也は左耳に他人が触れると顔を強張らせるから、おそらく誰かに叩かれたんだろうと病院で言われたそうだ」
裕大さんの表情が固まった。
ずっと隠し通したかったのに……隠せていなかった? 先生も両親も征兄も、僕に起こった出来事を察してくれていたんだ。ただ、誰一人僕を叩いた相手が裕大さんだとは思ってもいなかった―――
「病院で健也は原因について質問されても『覚えてない』『知らない』しか答えなかったと聞いている。そうか、お前だったから、だから、健也は何も言わなかったのか。お前がっ」
「せ、征也っ」
語尾荒く詰め寄る征兄と気圧される裕大さん。その裕大さんの顔には苦渋がにじみ出ていた。『つい』した行為の結果が八年越しに実を結んだ恋人の、弟の聴覚を奪っていたことを知ったのだから当然かもしれない。
「出て行け。ここにはもう来るな。俺は二度と、お前に会いたくないし、健也に会わせたくないっ!」
「征也!」
「出て行け」
冷淡で鋭い声で征兄は言い、玄関を指差した。
裕大さんは征兄としばらく視線を交えていたけれど、今は交渉できないと判断したのか裕大さんはのそりと動き、アパートから出て行った。
静寂に包まれる室内。
「せ、い兄」
先に名を呼んだのは申し訳なさでいっぱいの僕だ。呟きに似た呼びかけに征兄は泣きそうな顔で僕に近寄り、抱きしめてくれた。
「健也、ごめん……」
「征兄……」
「知らなくて、ごめん。知ってたらあいつをここには入れなかったのにっ」
「ちが、……っ大丈夫だから。もうあのことは過去になってて、裕大さんがいても僕は何も感じなかったからっ!」
恐怖も、愛も、恋も。何も感じなかったから。
それなのに、征兄が傷ついてしまった。悲しませてしまった。それだけは避けたかったのに。
「ごめん、征兄」
謝ることしかできない僕で、ごめんなさい。
あれから裕大さんは征兄と話をしたくて連絡したりアパート前で待ち伏せしたりしているようだった。けれど取りつく島もないみたいで、焦れた裕大さんは何故か僕に矛先を向けた。大学の門を出たところで裕大さんに捕まってしまったのだ。抵抗を試みたものの空しい結果に終わり、力ずくで連れ出されてしまった。
駅前の喫茶店でテーブルを挟んで座っている裕大さんと僕。テーブルの上には既に冷え切ったコーヒーと氷の解け切ったオレンジジュース。互いに互いの飲み物を無言で見ている。傍から見れば異様な光景だろう。
意を決した表情で裕大さんが口火を開いた。
「健也。お前の耳は本当に聞こえないのか」
「左耳は聞こえません。それから征兄の取り次ぎはしませんよ」
先に釘を刺す。征兄が会いたいとは言っていないから仲介はできない。
「いや、今日はお前に話が」
僕に? 征兄以外に興味を持たない裕大さんが?
そう訝しんでいると。
「どうしたら償える?」
「は?」
「お前の耳を奪ったのは俺だ。どうしたら」
なるほど。僕への罪滅ぼしを終えないと征兄が近づくことを許さないから、か。やっぱりこの人は征兄にしか興味がないんだ。
「耳のことは征兄と一緒に乗り越えました。償いなんてどうでもいいです」
「いや、しかしっ!」
しつこい。八年も征兄を思い続けてたくらいだし、ってことにしても面倒。
出ちゃう溜息を隠すのも面倒。
「あなたが償いたいというのなら」
僕の『償い』の言葉に、裕大さんが音を立てて唾を飲み込んだ。
「征兄の言った通り二度と僕や征兄に、会いに来ないでください」
征兄の望むことをする。それが僕の恩返し。
征兄が裕大さんに会いたくないというのなら、会わせないようにする。会いたいと言えば会えるようにする。ただそれだけだ。
「お前への償いを終えないと俺は征也に……」
「それって僕の償いじゃないですよね。征兄に会うために、償ったつもりになりたいだけでしょう。そもそも、今回のことはあなたが『やった』ことに対する結果ですからね」
「健、也……?」
「因果応報」
「え?」
「僕が裕也さんの邪魔をしていた三年間の罪。僕の耳はその結果だと思ってます。征兄とあなたの破局もそうなんじゃないんですか。それじゃ急ぐので」
僕はそう言い切ると、ジュース代をテーブルに置いて喫茶店を出た。もともと今日は征兄が早く帰ってくる日だから早めに夕飯の準備をしたかったのだ。
歩きながら溜息を吐く。喫茶店で裕大さんにああ言ってはみたけれど、彼はそう簡単には征兄を諦めることは無いだろう。ま、僕を懐柔しようと面倒なことをしないでくれればそれでいいか。
アパートの外観が見え、閉ざされた部屋の窓を見て呟く。
「因果応報……」
僕があの時、裕大さんが犯した罪を口にしたことで征兄が壊れてしまった。
愛した恋人と別れると決めた征兄は、寂しさと悲しさを埋めるために僕の温もりを求めたのだ。男同士、兄弟なのに。
でも僕は征兄の望むことをする。そう決めていたから征兄に求められるまま毎晩抱かれている。きっと今日も抱かれるだろう。そして服の下に隠れている鬱血は場所が変わっていく。
あのアパートで、実兄に抱かれている弟(ぼく)。禁断の行為。
それなのに最近では僕から征兄を求めるほどになってしまった。
僕の贖罪はいつまで―――
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