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ずぶ濡れの幽霊にしおりをはさみました!
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ずぶ濡れの幽霊
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「で、ここなんだけど、」
「あー、でもそれはさ、ここをこう……」
「!いいんじゃない!?」
楽譜をはさんで、ここはこうだ、そこはああだ、なんて言い合いはじめてもうかなり経つ。
喜々として楽譜に汚い文字を書き込んでいく古い友人の姿を横目に、凝り固まった肩を解していく。
盗み見た横顔は、すっかり窶れているように見えた。
元々趣味の作曲のためなら自分のきちんとした生活すら疎かにするやつだ、誰かに求められるようになればそれこそ必要最低限の事すらどうでもよくなるのだろう。
日に焼けない白い肌は拍車をかけて白くなっており、メンバー内ではデブと呼ばれているのが嘘のようにほっそりしている。
無理はしないでほしい、とは思うのだけどどうしても俺にはこいつの作る曲を聞くのが楽しみすぎて、その一言を言えずにいた。
専門学校時代から一緒にいるわけでかなり長い付き合いになるわけなのに、俺は自分の事しか考えられないらしい。
いつもとは全く違う真剣な横顔を見て、こっそりため息をついた。
ふと、ふわりと温かな香りが鼻を擽った。
「はい、珈琲。そろそろ休憩したら?」
「あ、あろまー!センキュな!」
「……別に俺の淹れるついでだし。」
テンプレのようなツンデレ台詞を吐いて、ことりと湯気の立つ珈琲を目の前に差し出してくれたあろまの頭をくしゃりとかき乱した。
つんっとそっぽを向くあろまのふわふわの黒い髪からほんのりと朱に染まった小さな耳が見えている。
それがどうしようもなく愛おしくて、けれどその思いを噛み砕いた。
それというのも、あろまは半年ほど前から横のこいつと付き合い始めている。
勿論言うまでもなく、公言できる関係ではないため俺とえおえおしか知らないけど。
付き合い始めました、なんて幸せそうに照れくさそうに言われたんじゃ、反対なんてできないし、するつもりもなかった。
本人が幸せならそれで良い。
元々俺に偏見なんてない。
けれど、照れ隠しのようにそっぽを向いたあろまの横顔があまりにも幸せそうで、少し、胸が締め付けられた。
それは、内緒の話だ。
そうだ、本人が幸せなら、俺は笑って送り出せる。
「そこ置いて、帰ってよ。」
「...へ?」
驚きで声を漏らしたのはこいつの恋人ではなく、俺自身だった。
長い付き合いでも一瞬誰かわからなかった冷たい冷たい冷えきった声は紛れもなく隣の男から発せられている。
珈琲を持つあろまの手がびくりと震え、溢れんばかりにその大きな目を見開き唇を噛み締めた。
その姿はいつもの勝ち気な姿なんて想像できないくらい儚くて痛々しい。
怯えた小動物のような姿に、思わず腕を回しそうになった。
なぁFB。
そんな声、怒ったときだって出さないじゃないか。
「ちょ、おまえ、」
何も言わないあろまの代わりに言おうとした言葉は、小さな手に遮られて中途半端に消えた。
「いーの、邪魔して悪かったな。」
ふわりと俺に笑顔を見せてあろまは出ていった。
悲しいほどきれいな笑みは手を伸ばしてもすり抜けていくようなそんな感覚を残す。
消えてしまうんじゃないか、なんて。
パタリと音を立てて閉められたドアがその姿を俺の視界から消し去った。
「で、ここなんだけど、」
「FB。」
「ん?」
きょとんとこちらを見るFBはいたっていつも通りだ、
冷たくあろまを追い出した面影は残ってない。
小首をかしげて、言い淀んだ俺を不思議そうに見たFBは何もなかったように再び楽譜に向かおうとした。
思わずペンを握ったその白い手を掴んで、無理やりこちらを向かせる。
脳裏をかすめるのは、冷え切った声と、あまりにも綺麗な笑顔。
「なぁ、なんであんな言い方するの。」
「え、何が?」
「あろま、せっかく心配してくれてんだろ。」
「...あぁ。」
すっとFBの表情が消えた。
次いで出てきたのは、小ばかにしたような乾いた笑い。
「いいじゃん別に。付き合ってんのは俺だし、関係ないでしょ。」
「そりゃあ、関係ないけどっ、」
「じゃあいいじゃん。そんなことより、こっち集中してよ。」
こいつはこんな感じだっただろうか。
付き合う、なんて照れてなかなか言い出せなかったくせに。
あんなに傍から見て恥ずかしいぐらいあろまに惚れていたのに。
そんなことって、ないだろう。
「...お前、いつからあんな感じなの。」
「んなことなんできっくんに詮索されなきゃいけないの。」
「いいから。」
不愉快そうに表情を歪ませて、舌打ちでも言いそうな勢いで、FBはため息を吐いた。
「...付き合って、すぐくらいかな。」
「はぁ!?」
「満足した?」
付き合ってすぐって、いちゃいちゃ三昧なんじゃねぇの。
そんな感覚は俺だけで、俺がおかしいの。
そんなわけないよな。
じゃあ、あろまは半年くらい、こいつに邪険に扱われてたりすんの。
撮るときはそんなことおくびにも出してなかったけど。
「なんで?」
「なんでって何が。」
「なんでせっかく付き合ったのに、そんなつめてぇんだよ。」
ちっと抑えきれなかった舌打ちがとうとうFBの口から漏れ出した。
ペンを音を立てて置いて、後ろに手を付く。
ぎろりとこちらを睨んだ姿には、いつものヘタレなFBなどどこにも見当たらなかった。
「付き合ったからでしょ。」
「...あ?」
「付き合ったから、冷たくしても大丈夫なんでしょ。」
「え、ちょっと待て、はぁ?」
意味が分からない。
それは俺だけ?
FBはいらだちのピークらしい。
ついた手の指でこんこんと床をたたき出す。
「もう、俺のもんじゃん。だから、気ィ使わなくていいでしょ。」
「...。」
「それに最近ウザいんだもん。休め休めって、うるさいんだよね。」
開いた口がふさがらない。
恋愛経験がないのは知ってるけれど、拗らせるとこうなるのか。
どこから来るのかわからないその自信と、心配してくれている彼をウザいという心の狭さ。
初めてこいつを本気で殴りたいと思った。
「FB。」
「なんだよ。」
でも、殴っちゃだめだから。
暴力で解決するのは絶対だめだから。
「あろまは、俺がもらうわ。」
「...はぁ?」
お前が幸せにしてやらないなら、奪ってでも俺があいつを幸せにしてやろう
******
これは一体どういうことだ。
もう日付も変わるころだというのに来客を告げてインターホンが家中に鳴り響く。普段ならこんな時間帯無視一択だというのにざわざわとした胸のざわつきに、重かったはずの自分の腰はいとも簡単に持ち上がった。
スコープも覗かず、半ば無意識に開いた見なれた扉の向こうにはびしょ濡れの幽霊が立っていました。
「あろま...?」
「いきなりで悪いんだけど、ちょっと上げてくんない?」
正しくは親友の恋人、もとい俺の想い人。半年ほど前にシャイで奥手なアイツと素直じゃないあろまが、驚くほど幸せそうな笑顔で報告してきたのは今でも心の傷でしかない。もう一人の友人の「良かったな。」なんていう言葉を、遠くで聞いた気がするけれど俺は涙をこらえて笑顔を取り繕うことで精いっぱいで、まともに祝いの言葉などいえるわけもなかった。
ずっと隣にいたのは俺なのに、仲良かったのは俺なのに、どうしてFBなの、だなんて。醜い嫉妬心がどす黒く渦巻いていた。それでもようやく最近、二人の隣でも自然に笑えるようになってきた、だというのに。
もう真っ暗な冷たい雨の降る夜、傘も差さずに濡れ鼠のようになって俺の玄関に途方に暮れたように立ちすくむのは、間違いなく俺が諦めようとしているその人だった。
「...やっぱ迷惑だよな。ごめん帰る、」
押し黙って何も言わない俺の様子に彼は勘違いしたのか、いつもはふわふわの髪から水滴を滴らせてきびすを返そうとした。同時に零れ落ちる雨粒などではない雫を見てようやく俺は我に帰った。混乱も何もかもとりあえずはしまい込んで、いつもの強気をどっかに置いてきたような彼の頼りないほど細い腕をつかむ。指の回る細く白い手首は泣きそうなほど冷たく、小さく震えていた。
「いいよ、寒いから早く入って。タオル、取ってくるから。」
待たせたのは俺なのに早く入れ、なんておかしいけれど。引かれるがままの彼をそっと招き入れて、扉を閉めた。
******
「座って。」
ずぶ濡れで寒さに震える幽霊かと思うほどに血の気を失った頬のあろまに大きなバスタオルを渡して、リビングに招き入れた。風呂をためなおそう、あったかいココアでも入れてやろう、と席を立って。10分もしないうちに戻ってきて目にしたのは、大きなバスタオルに顔をうずめてソファに沈むあろまの姿だった。濡れてぴったりと張り付いたシャツとすっかり重くなってしまったジャケットが彼の華奢さを際立たせていて、そのまま放っておくと消えてしまうんじゃないかというほどに儚く見えた。膝を抱えてソファに座る彼の横にそっと座って、震える背をトントンと叩く。その背は手と同じで悲しいほど冷たかった。
「話、聞いてくれる?」
「うん、いーよ。」
俺の手に伝わる震えが少し収まってきたころ、消え入りそうな声が聞こえた。
風呂に入ってもらうのはまだ先になりそうだと、エアコンの温度を上げて湯気を上げるココアをてわたす。
ふぅと息を吹きかけ一口すすってからあろまがぽつりぽつりと言葉を紡ぎ出す。
「俺って、FBにとって邪魔でウザいんだって。」
「...はぁ?」
その言葉を理解するのに手間取った俺は、形容し難い素っ頓狂な声をあげるよりほかなかった。
アイツがあろまのことを邪魔だって?あんなに傍から見て恥ずかしいくらいあろまに惚れておいて?一体どういうことだ。
困惑する俺に、あろまは自嘲気味に笑った。
「俺、気づいてなかった。あいつがそんな風に思ってるって。」
だから自惚れてただけなんだよ、きっと。
そういって笑う彼の大きな目からポロポロと雫がこぼれてはソファに吸い込まれて消えていく。
やめてくれ、泣かないで。
俺はあろまの笑顔が好きなのに。
そんな悲しい顔で泣かないでくれ。
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