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18歳以上ですか?
きっと、これが運命なのだろうにしおりをはさみました!
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きっと、これが運命なのだろう
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「忍様。大旦那様がお呼びです。かなりお怒りのご様子で」
そう告げて仰々しく頭を下げる目の前の男。その男の口の端が上がっていることは見なくてもわかっていた。僕の部下であるはずのこの男は、僕の『失態』を常々喜んでいる。そもそも、その失態自体がこの男のせいによるもので、結果僕は未熟者としておじい様から叱られることになるのだ。
日乃院(ひのいん)当主の孫である僕、日乃院 忍(しのぶ)のスケジュールや健康管理をすべく、僕付きの秘書となった重松(しげまつ) 努(つとむ)。しかし彼は日々女遊びと酒に明け暮れ、秘書だというのに僕の傍にはほんの数時間しかいない。
本性がそれというのもあるのだが、妾の子の僕を重松は主人と認めていないのだ。僕は母が亡くなったので日乃院家に引き取られたのだが、日乃院の直系の血を引いてはいるけれど家族の誰にも似ていない。故に僕のことを『日乃院の血族』と認めない者も少なくなく、重松もまた僕を日乃院の者とみてはいなかった。
努というその名とは程遠い仕事ぶりを身に沁みて知った僕がスケジュールを自己管理するようになって久しいが、一昨日唐突に決まった今日の昼食の予定を隠されていては、時間通りに到着することがさすがにできなかった。それでも事前に遅れる旨を連絡し、三十分遅刻という形で駆けこんだのだ。けれど「時間に遅れた」という事実はおじい様にしてみれば、ただの失態である。
出る溜息が重くなる。
秘書(しげまつ)の不出来はおじい様の知る所ではある。しかし、
「不出来な者を育てられぬお前が悪い」
そう言って僕を叱り、重松に注意することも秘書を変えることもなかった。それに《重松》の名も僕の秘書から外す邪魔をしていた。国内における要人の秘書となる人材を多く輩出している重松家。その名を告げれば、誰もがその手腕を疑わないのだ。重松も外面だけはうまく立ち回っていることもあって、彼の仕事のいい加減さを知る者はなく、口外しても信じる者はいないに等しいのが現状だ。
「わかった。書斎でお待ちなのだな」
僕の言葉は質問ではなく確認だった。失態を犯した場合、おじい様は大概書斎で僕を待つ。重松は小さく頷いて……冷笑していた。早くお前など日乃院から勘当されてしまえ、と瞳が語っている。
勘当されて僕付きが外されれば、重松は必然的に父様か兄様付きの秘書へと移される。妾の子で大した能力も地位もない僕よりも、日乃院の次期当主となる父様や、いずれそれを受け継ぐ兄様に仕えたいと思うのは秘書を生業にする者として当然ではある。しかし、普段の重松を見ている限り、父様や兄様に釣り合うかといえば首を傾げたくなるのではあるが。
「行ってくる。お前は秘書室で待機していろ」
「わかりました」
頭を下げ、さっさと行けと言わんばかりに視線を扉に向ける重松。
遅刻はおじい様が特に嫌う失態であり、今日は僕を簡単に叱責から解放しないだろう。その間この男は秘書室で待機しつつ、女を連れ込むつもりだ。先日使用人として入った女が重松の《匂い》に反応していたから、恐らく彼女がこの近くに控えていて二人でひっそりと秘書室にしけこむに違いない。案の定、部屋を出れば柱の陰にその女の姿があった。
色づく頬をした彼女を横目に書斎へと足を進める。そして近付けば近付くほど、憂鬱になる。この先に待っているのはおじい様からの叱責と罰なのだ。
それも罰を与えるのは、おじい様だけではなくきっと……
嫌々ながらも目的地に着いてしまった。重々しい濃茶の扉の前で数回深呼吸をし、意を決してノックする。
「忍です」
「―――入れ」
深く重みのある声が入室を許可し、僕は扉を必要な分だけ開いて、静かに閉じた。そしておじい様と向き合う。おじい様は革製のデスクチェアにゆったりと座って、威圧感ある視線で僕を待ち構えていた。
「おじい様。本日の件ですが」
「会食に遅刻したそうだな」
「……はい」
「私らが任せた契約で大事な会食であったのにも関わらず、どういうことだ」
「すみません」
叱責の間は言い訳不要だ。
僕はただ立ち、おじい様の口から出される言葉を全身で浴び、謝ることだけが許されている。
「幸い、紀一が取り繕い事なきを得たが、お前は日乃院の一員としての自覚があるのか」
「すみません」
紀一兄様は僕と五歳しか違わないのに年齢以上の、父様に引けを取らない機転と商才を持っている。今日とて穏当な対応ができて交渉能力の高い兄様がいなければ、あの場は収まりがつかなかっただろう。商談相手の御令嬢を僕の婚約者としてどうか、という顔合わせも兼ねていたのに、肝心の僕が遅刻してしまったのだから。
その後も未熟さ、無能さ、日乃院一族の自覚のなさ等を冷たい言葉と視線とで咎められる。時間と共にすみません、という言葉も小さくなり俯き加減になってしまう。
「忍」
強く、響く声で名を呼ばれて、しまったと慌てて顔を上げておじい様を見れば。
「《匂い》の照合(マッチング)が合わなかったことも幸いであったが、失態に対して罰は必要だろう」
なぁ、とおじい様の顔が歪んだ。そこに浮かぶは―――情欲。
そしてそれは叱責の時間は終わり、おじい様による《罰》の時間が始まる合図だった。
《罰》の間は、謝罪ではなくおじい様の言われた通りにすること、それだけが許されていた。そして、《罰》とは『性欲を満足させること』である。
近親で同性なのに、と思うがこの世界は《匂い》が伴侶を決める。誰もが第二次性徴を迎えると匂いが発生し、照合した相手を引き付けるのだ。
片方だけが匂いに惹かれても性行為は為されない。しかし互いに照合した匂いは理性を上回る。例えそれが同性であろうと、血族であろうと理性は《匂い》に勝つことはできないのだ。
そして僕は、おじい様の匂いと照合していた。
「忍、始めろ」
おじい様の身体から放たれる《匂い》。導かれるように僕はおじい様の前でひざまずく。
するとおじい様はズボンを寛げ、僕の顔の前にペニスを出した。
「さあ」
荒い息と共に更に放出される《匂い》。その匂いに反応して、僕の体も熱くなっていく。
「忍は志乃そっくりだ」
志乃は僕を生んですぐに亡くなった母様の名前だ。けれど僕は母様を知らない。母様の姿や声を残す物は写真一枚ないのだ。
「若い身体は、いいなぁ」
おじい様がにやり、と口の端をつり上げた。
おじい様からの《匂い》を嗅げば、僕の意思とは関係なく勝手に体が熱くなる、これがこの世界の摂理。
僕を誘惑する、おじい様の屹立したモノ……
「う……っんっ」
目の前のペニスの匂いに釣られて口に含む。六十代とはとても思えぬ、硬さ。
「お父さん。独り占めはずるいな」
「父、様……」
突然割ってきた侵入者の名を呼べば、父様は既に色付いていて匂いを放っていた。僕の嗅ぐ父様の匂いはおじい様と同じで。
「まだ始めたばかりだぞ」
「そのようで。忍はお父さんのモノを舐めるだけで満足できないだろう」
ジャケットやシャツを脱ぎながら僕たちに近づく父様の匂いも濃厚になり、体の熱は高まっていくばかり。
「う、……んっ」
おじい様のペニスを頬張る僕のズボンと下着を下ろし、父様が尻を撫でる。
「ここにも、刺激が欲しいだろう?」
つ、と触れたのは後孔。父様の指が触れただけなのに、そこは父様によって導かれる快感を思い出し疼きヒクつきだす。
「忍は素直だな。そんなに俺の指が好きか」
「ふぅ……っぅあっ」
指を一本挿入し、中の感触を楽しむ父様。
「忍。疎かにするな」
「……あ、はぁ……っあむっ」
おじい様のモノが口の中で存在を主張したので、その熱さを口で、舌で慰める。
ちゅぽ、くちゅ、にちゅ、という水音と荒い息が室内を響かせ、室内には雄の匂いが充満する。孔に挿入された指の数が増えても痛みはない。むしろそこからより強い刺激をと身体が震えている。
「忍は俺の指を放さないなぁ。……残念だ。ここにペニスを入れて存分に愉しみたいのに」
「仕方あるまい。入れようものなら、匂いが変わってしまうのだから」
おじい様と父様が僕の上で言葉を交わす。
何年も二人の色欲を満たしてきたけれど、会話の通り僕はアナルにペニスを入れられたことはない。挿入しようと孔にペニスの先端が触れた瞬間に、僕の匂いが変わってしまうのだ。となれば、僕も相手も興奮が収まってしまい、行為も中断されてしまう。幾度も試されたけれど、挿入が成功したことは一度もなかった。
仕方がないとおじい様と父様は僕に口淫を覚えさせ、僕の全身を舐めて弄ることで満足するようになったのだ。そして二人が道具を使って楽しむ癖が二人にないことだけは有難かった。曰く
「玩具ごときに忍の穴を奪われるのは許せない」
らしいので、自身のペニスを挿入できない故に玩具にそれを許すわけにはいかないというプライドだろう。
「忍のおっぱいは赤く色付いていて旨そうだ」
「ここから乳が出ればいいのになぁ」
「やっ……ん……いた……ぃっ!」
二人が分け合って僕の乳首を弄り、舐め、吸い上げる。匂いだけではなく二人からの刺激で僕の下腹部の疼きが限界に近づいてくる。それは僕の匂いも強くなっているということで。
「しの……っ!」
「いいぞ、しの。もっと舌を使え」
昂り、射精する間際におじい様も父様も母様の名を呼ぶ。その呼び方からすると母様の匂いにおじい様も反応していたのかもしれないと思う。二人が情事の最中にこうして何度も名を呼ぶのだから僕は母様に似ているに違いない。そして、僕が性交渉の相手として選ばれたのは、匂いが同じである亡き母の代わりという意味でしかない、のだ。
父様と交わっていた母様は、僕と同じように同じ時、同じ場所で父様とおじい様の相手をしたのだろうか。母様は僕のことを呪い、僕の世話をしなくて済んだことを喜んでいるのだろうか。
直接聞くことはできないけれど、僕に渡った母様の形見からすれば、死んで良かったと思っているに違いない。この世は苦しみ悩むことが多すぎる。
おじい様が口腔内に、僕は父様の手の中に精を放った。僕の口の端からは白い液体が溢れ、零れ落ちる。
「忍。次は俺のを……精液は零さずに飲むんだぞ」
父様の言葉に頷きで答える。匂いは僕を強く束縛している。目前にある強直した父様のペニスを、口を大きく開いて迎え入れた。
「忍、ちょうどいい所に。一緒に食事へ行こう」
「……兄様」
おじい様たちから解放され、体中を取り巻いた白濁を払うべく書斎に併設されたシャワーを使ってから書斎を出た僕に声をかける紀一兄様。
兄様は日乃院という高貴な血筋とすぐに分かるその美貌で誰をも魅了する。兄様は腹違いで一つとして似る所のない僕にも優しい。兄様の母君は、僕が引き取られてすぐに事故で亡くなったのだけれど、写真でみる母君は天女のように美しく微笑みが素敵な女性だった。母君が生きていれば今の僕の境遇もなく、おじい様と父様と母君と兄様と、五人家族で仲良く暮らせたかもと思う。現実は僕が尊敬し『家族』と認識しているのは兄様だけ、なのだけれど。
そしておじい様や父様による《罰》という辱めを受けてもなお、恥じながらも僕が生きているのは兄様がいるからだ。おじい様と父様が、情事の最中に我に返って死んでしまいたいと願ってしまう一瞬を見逃さずに僕の耳元で囁くのだ。
「もし、お前が自ら命を絶つようなら、紀一が日乃院を受け継ぐことはない」
「大事な兄なのだろう。大好きな兄のために馬鹿な真似はしないよな」
兄様は幼い頃から日乃院を継ぐことを生きがいに、目標にしている。僕の唯一の肉親である兄様の未来を僕が奪うわけにはいかない。
だから、僕はおじい様や父様の言われた通りのことをする。《罰》を受け、二人の性を満足させながら時を待つ。兄様が日乃院を受け継ぎ、その立場を確立するその時を、僕がすべてから《解放》されるその日をひたすら待つ―――
「『楽園』に予約を入れてある。重松は?」
失態を犯した場合、僕がおじい様から叱責されることを兄様は『知って』いる。だから毎回書斎から俯いて部屋に戻る僕を、おじい様に怒られたことで落ち込んでいるのだと思い、その都度慰めようとしてくれるのだ。
兄様は僕が受けている罰のことを『知らない』。そんなこと、知られたくもない。
「秘書室で待機しています。今、呼びます」
そう言って足を部屋に向ける。秘書は主人と共に行動することが常だ。気は進まなくても重松と共に出かけなければならない。
「いや、鷹森(たかもり)に行かせる。先に車へ行こう」
「……鷹森さん、宜しくお願いします」
兄様の背後にいる鷹森 佑都(ゆうと)に軽く頭を下げる。兄様よりも背が高く体躯の良い鷹森はいかにも堅物といった秘書だ。鷹森家は重松家よりも秘書を輩出する家系としては格が下だが、兄様付きになり能力を発揮するや鷹森家はその名を上向きにさせた。重松家より格下とはいえ、僕付きの重松とは異なりこの男はとても有能だ。兄よりも二つ上の鷹森は二十五歳で《つがい》はまだいない。兄との仕事が忙しいことと、自身は主人が結婚してからだと公言しており、《匂い》の感知と放出を遮断する薬を使用しているためだ。
その鷹森は僕を苦い顔で睨み、重松がいる秘書室へと足を向けた。
遠ざかる背をじっと見つめる。あの男は兄様を主人と崇め、命を懸けて兄様を支え、守り抜くだろう。
けれど僕は彼に嫌悪されている。なぜなら鷹森は僕とおじい様、父様との関係を知っているのだ。一度、偶然にも彼は《罰》の最中に書斎の扉を開け、日乃院における僕の存在意義を知った。日乃院の男たちの性欲を慰める僕を淫乱の、常識なしの男とみていることは表情や態度から窺えた。
なぜ低俗な男が日乃院の血をひき、兄様の弟なのかと変えることのできない運命さえ呪っている。
けれど有能な秘書の鷹森は日乃院の醜聞を口にすることはなかった。それに兄様が僕のことを大事にしていることを理解しているために僕を無下にはできず、紀一兄様にはわからぬように汚らしい僕へ苛立ちを表していた。
誠心誠意、兄様を支える鷹森の姿勢はとても好ましく、自分にも彼のような秘書がいれば、と思う。同時に日乃院の慰み者に彼のような人材は不要だとも思うのだけれど。
「さ、行こうか」
兄様に誘われるまま玄関を抜けて車に乗り、背もたれに体重を乗せてほうと息を吐いた。
「『楽園』は落ち着きます」
この家よりも、という言葉は言わずに飲み込む。
レストラン、クラブ、バー、全てが高級で揃えられている『楽園』。スタッフは《匂い》に鈍いか反応しない人物で揃えているので、《匂い》に関わるトラブルは皆無に等しい。巷のお店を使うと《つがい》で訪店したにもかかわらず、店員と性的興奮状態に陥ってしまう客が少なくないのだ。世間では接客スタッフはそういう目的で従事する者も多いと聞く。
兄様は会食の際は大抵『楽園』を選ぶ。兄様には婚約者、火之倉(かのくら) 美夜古(みやこ)様がいるので、《匂い》でのトラブルを防ぎたいのだ。
「僕達のスタッフはいつものように赤羽(あかはね)に頼んだ」
それならば安心だ。彼は《匂い》を感知できないし、《匂い》も放出しない先天性の疾患を持っている。孤児院で育った赤羽さんは自身の収入のほとんどを孤児院に寄付していた。楽園での収入は安くないはずなのに食事や衣服は最少の物しか取り揃えておらず、身の細さや儚さは僕でさえ心配してしまうほど。控え目で常に人より一歩下がっている彼だが、律儀で信頼できる人だと思っている。
「赤羽さんなら間違いなく静かな環境を整えてくれるので安心です。少しは体重が増えたのでしょうか」
「さあ、どうだろうな。木ノ蔵の奴が贔屓にしていると聞くが、赤羽の方は相手にしていないだろう」
「贔屓というか、赤羽さんを被検体にしたいだけでは」
赤羽さんの抱える疾患は、患者数は少ないけれどそれでも高貴な家系にも現れる疾患だ。木ノ蔵家は《匂い》に関する薬の開発を先進的に行い、十数年前にその分野では世界一に輝いて不動の地位を確立した。木ノ蔵の者は新薬の治験体として赤羽さんに近寄っているようにしか思えない。
「赤羽さんは良い人なのに」
「良い人だけでは生きていけないからな。《血筋》と《匂い》が支配するこの世界では」
確かにその通りだ。
この世界は各国選ばれた家系によって国が支えられ、《匂い》によって子孫繁栄している。
日本では七曜と呼ばれる家系、月之院(つきのいん)、日乃院(ひのいん)、火之倉(かのくら)、水之矢(みずのや)、|木ノ蔵(きのくら)、金乃矢(かねのや)、|土ノ矢(つちのや)の七家によって国が支えられている。他国も似たような感じだが、選ばれた家系は容姿や知性に恵まれ、《匂い》も同等な家系に反応することが多い。近親相姦も仕方ないという時代もあったが、《匂い》の研究が進み薬によって血族間の反応を抑えることが可能になった。
それなのにおじい様や父様は母(しの)の名を呼びながら狂ったように僕を求めてくる。近親相姦が続き、その血が濃すぎると《匂い》に関する薬が効かないらしい。日乃院はそういう関係を続けてきていたという証明だ。
僕は、といえばおじい様の命令で薬を飲んでいないので薬が効くか否かわからないが、効果があったとしても飲んだところで綺麗な身体になるわけでもない。
僕はただ、匂いからも血筋からも解放される時が来るのを静かに待つだけ。
『楽園』に着けば、期待していた通りの居心地のよさだった。赤羽による準備と接客の良さもあるが、おじい様も父様もいない、秘書を外しての兄様だけとの空間は言い様もないほど落ち着く。
「明後日より海外へおじい様と父さんと一緒に重松が行くが、一人で大丈夫か」
兄様に問われて何のことかと首を傾げる。
「海外……重松?」
「おいおい、おじい様に散々叱られて頭が回らないのか」
クスリと笑われる。重松のスケジュールなど把握していないから、行先もどのような経緯で重松がおじい様たちに付いて行くことになったのかもわからない。
「おじい様たちの海外視察と契約に重松が付き添うらしいじゃないか。仕事のサポートは大丈夫なのか? 必要なら鷹森を……」
「重松は不在の間の手筈を整えています」
大丈夫だと兄様を見据えて答えれば、わかったと微笑まれた。
重松不在の間、兄様の命令であれば鷹森は僕のサポートをしてくれるだろう。けれど彼にとって忌むべき存在の僕だ。同じ空間にいれば数分で僕は疲れ切ってしまうだろう。元より重松のサポートなどないに等しいのだ。重松が傍にいなくても大丈夫に決まっている。
「今回の契約はどうしてもおじい様と父さん両人でとの話だったらしい。かなり大きな商談なのだろう」
「兄様は商談の詳細を聞いてないのですか?」
「俺など、まだまだ頼りにならないということだな。重松がおじい様たちと一緒に行くということは、彼はさぞ重松の名にふさわしい才を持っているのだろう」
悔しそうな表情を兄様がする。いずれは日乃院の名を取る兄様が聞かされていない商談なのに、重松が同伴する、ということは重松の能力は兄様を上回るということ。しかし、僕は疑問に思うばかりだ。
あの重松が重松の名にふさわしい才を持っている? 兄様以上の?
とは思っても、僕以外に重松の無能さを実感している人はいない。重松は僕の見ていないところでおじい様に己の能力を示しているのかもしれない。いずれ父様か兄様付きになるために。
「兄様、それは……」
「ま、気難しい二人が不在の間は、兄弟の仲を深めよう」
な、と僕の頭を撫でる兄様。感じる手のひらの温かさに、冷えていた心も温まる。
「はい。少しでも兄様の力になれるよう、頑張ります」
おじい様と父様と重松が海外へと向かった翌日。僕は騒がしい足音と兄様を呼ぶ声で目を覚ました。時間はまだ朝の四時すぎで窓の向こうは薄暗い。
自室の扉を開けて廊下を見れば、鷹森の姿があった。
「どうかしたのですか」
「大旦那様方の乗ったチャーター機の交信が途絶えたとの知らせがっ」
鷹森は僕を見ずに一気にそう告げて、兄様の元へと駆けていった。
そのチャーター機にはおじい様と父様と重松が搭乗していた、はず。
僕を母の代理にして嬲り、僕を卑下して好き勝手していた男たち。彼らが乗ったチャーター機の交信が……途絶えた?
呆然としながら室内に戻り、机の引き出しにしまっていた母の形見を取り出した。それは見るだけで一度も使ったことのないとわかる、刃こぼれどころか傷一つない綺麗なナイフ。
点けたスタンドの光で輝く刃に目を細める。
「お前を使う日、近いかもしれない」
僕が全てから解放される日だ。それが待ち遠しい。
そして。
呆気なく終焉へ繋がる言葉が告げられた。交信が途絶えたとの一報があった五時間後。応接室で兄様と僕が対応に追われていたその場で。
「墜落確認との連絡が……」
鷹森の苦渋に満ちた声が響いた。
おじい様が、父様が、重松が、消えた。この世界から、消えた。
そう思ったら、ほう、と息を吐いていた。
ずっとずっと待ち望んでいた日が、ようやく来た。僕を縛り付けるものはない。この苦しみの世界から、ようやく解放される。
「くっ」
俯くことで表情を隠す。
おじい様や父様が亡くなったというのに、悲しさなど全くない。安堵と喜び、そして出るのは笑いだ。こんなに心から嬉しいと思ったのは初めてだ。
ようやく僕は、死ねるんだ。
僕は電話を始めた兄様を置いてそっと自室へと向かった。そして引き寄せられるように机の中のナイフを取り出した。
「待たせた。ようやくお前を使えるな」
何度も何度も見てきたその刃。すぐにでも首に当てたくて、でも兄様のためにと我慢してきた。でももう、我慢する必要はない。兄様が日乃院当主となることを妨げる人物はもういないのだ。
そして、穢れた僕はここから消え去る。
「美夜古様とお幸せに。いままでありがとう。さよなら、兄様」
兄様の幸せを祈り、感謝を述べ、別れを呟き、僕は銀の先端を首に当てようと切っ先を自分に向けた。
「忍様」
ドアが叩かれて思わず手が止まる。
この声は鷹森だ。この部屋にはおじい様の命令で鍵はついていないからすぐにでも扉が開かれてしまう。仕方なくナイフを引き出しにしまった。同時に開かれた扉。
「なに、か?」
「紀一様がお呼びです」
兄様が?
電話の様子から早々に墜落現場に駆け付けるために仕事の調整で忙しく、僕のことなど気にかける余裕はないものだと思っていた。
「すぐ、行きます」
もうすぐだからと引き出しの中のナイフに向かって言葉を残し、鷹森の背について行った。
ああ、待ち遠しい。次に部屋に戻った時こそ僕は自由になる。
「兄様」
応接室で待ち構えていた兄様の顔色は、僕が部屋を出る前よりも悪かった。おじい様と父様二人が負っていた日乃院の責が一気にその肩に乗ることになったのだ。それも当然と思う。けれど、兄様の手腕は知っているし、鷹森の有能さも知っている。僕などいなくても、時間と共に安定した事業となることは間違いないだろう。
「忍」
兄様が弱々しいながらも、僕に笑んだ。
「大丈夫か」
大丈夫に見えないのは僕ではなく兄様の方だ。同席している鷹森の目も、そう言っている。
「僕よりも兄様の方がお疲れのようです。美夜古様のお胸をお借りした方がよろしいのでは。お呼びしましょうか」
美夜古様は見目劣る僕のことがお嫌いだけれど、少なくても僕のことは表向き義弟としてきちんと対応してくれている。連絡すれば必ずや兄様のために駆けつけてくれる。僕なんかよりもつがいである美夜古様のお言葉の方が兄様の癒しとなるはず。
「美夜古か。美夜古は妻となる女性ではあるが、家族は忍、お前しかいない。日乃院の、血の繋がる家族はお前しかいない」
「兄様」
「お前は、どこにもいかないよな。俺を一人にしないでくれ」
「にい、さま……」
必死な形相の兄様に両腕を掴まれ、気圧される。
「お前がいなくなったら、私は生きていけないっ」
僕がいなくなったら、兄様は……生きていない?
それは駄目だ。そんなの、僕が望む未来ではない。兄様は日乃院の当主となり、日乃院の当主として美夜古様と幸せな家庭を築き、次なる当主を―――
僕はまだ死ねない。兄様が僕無しでも生きていけると口にする日まで。でもそれはきっと遠くない。美夜古様と結婚して、子供に恵まれれば僕などいなくても大丈夫なはずだ。
あのナイフを使うのはもう少し先にしよう。
「僕は兄様の傍に、います」
貴方が僕を必要としている限りは兄様の傍に。
これが僕の運命なのだから。
「貴方も彼を縛るのですね」
「忍を憐れむか、鷹森」
紀一は綺麗な形の赤い唇の両端を上げた。
「まあ、お前はそうだろうな。薬で押さえてはいるが、本来あれの《つがい》はお前だからな」
くくっ、と紀一は喉を鳴らせた。
「誰よりも先にお前が忍の《つがい》と気がついてよかったよ。日乃院は血の縛りが強すぎる。じいさんも父さんも『志乃』に縛られていた位だからな。志乃がじいさんの腹違いの妹ということはじいさんと父さん、俺たち以外は誰も知らなかったようだが」
血の交わりが濃く、故に後発された近親相姦を妨げる薬が効かなかった日乃院の主たち。
「父さんがじいさんと志乃の子で、忍が父さんと志乃の子と知ったらアイツは発狂するかな」
「紀一様っ!」
「そう睨むな、鷹森。言わないさ。言えば忍は志乃同様あらゆる手段を使って自ら命を絶つだろうからな」
忍は知らないが、志乃は出産が原因で死んだわけではない。『妾』が出産したと知り嫉妬した紀一の母が志乃を病院から追い出したのだ。日乃院の敷地内から志乃が一歩でも出ることは監視の目があり不可能であったが、出産で病院にいたことと監視が緩んでいたこと、紀一の母の権力によって志乃は日乃院の元から離れ、志乃はこの時を待っていたと言わんばかりに即座に自らの命を絶った。
そして志乃を逃がした人物を知り怒り狂った当主達は、『正妻』であった紀一の母をなんの未練も執着もなく『事故』として存在を消した。
その後は忍という存在が日乃院当主達の怒りを治め、けれど狂気を静かに継続させていたのだった。
「これから、どうなさるおつもりですか」
「お前は薬を飲むのをやめて忍とつがいとなり、俺は美夜古と結婚する。それだけだろう」
「……私と忍さまの交わりは」
「取り敢えずは許すさ。俺は忍にとって常に聖人君子でいなければならないから、親父達のように忍は抱けない。『日乃院当主として』あいつが生きていく理由にならなければならないからな。だが」
「紀、一さ……」
「俺は日乃院当主として子を成さねばならない。が、忍がいなければ美夜古を抱けない。だから、お前には協力してもらうぞ」
木ノ倉の薬を使って美夜古と照合(マッチング)させたとはいえ、紀一にとってより強い《匂い》を感じるのは忍だ。忍と美夜古、二人並べば欲情するのは忍に対してとなる。どの薬を飲んでもそれは変わらなかった。
「交わるときは同じ時、同じ場所で、だ。なに、情事の際に使う薬は準備しておく。木ノ倉と仲良くしていてよかったよ」
『楽園』で紀一と木ノ倉の跡取りがたまたま顔を合わせ、気が合ったことは本当に偶然であったのだけれど、その縁がなければ紀一は忍を手に入れるのに更なる時間を要しただろう。
「父さんたちは饗宴のことを俺が知らないとでも思ったのか、俺が忍を求めていないとでも思ったのか。俺を『普通』だと思っていたのだろうな」
同じ日乃院の血が流れているのに、と紀一は実の父を、祖父を嘲笑う。
「無能で邪魔な重松の者も消えた。鷹森、お前も忍を早く手に入れたいだろう? 饗宴の場で忍の匂いに気づいたときに、抑えが効かなかったからなぁ」
「紀一、様」
「木ノ倉の秘薬が有ったから良かったものの、なければ饗宴の邪魔をしたとお前は抹消されていただろう」
紀一のいうことはもっともだった。鷹森はあのとき、偶然にも忌まわしい饗宴の扉を開いた時に、立場もわきまえずその場で忍を手にいれんと身体が動きそうになっていた。それを止めたのは己の帰室が遅いと様子を見に来た主の紀一であった。つがいを目の前にして興奮していた鷹森に『薬』を飲ませたのも。
しかし、あの目撃は本当に偶然だったのか、と今では思う。あの日は紀一に振り回され匂いを抑える薬を飲み損ねていて、訪室も紀一の命によるものだったのだ。そして今回の事故、まさか……
「紀一様。墜落事故の件ですが」
「鷹森。忍のため、俺のためにこの先も日乃院に仕えてくれるよな」
質問を最後までさせない、また答える意思はないと表情でわかる。けれど紀一の言葉からあの事故には紀一が関与していると鷹森は悟った。
恐ろしい主人だと思う。だが。
《つがい》を見つけてしまった自分はもう何年も忍を、忍の全てを手にいれたいと欲している。そして、その忍の生きる理由は紀一だ。
紀一が憎くとも、邪魔でも恐ろしくても、排除など決してできぬ存在。それが目の前の主。
「もちろんです。この命有る限り、日乃院のために全力を尽くします」
頭を下げた鷹森を見て日乃院の新当主、日乃院紀一は満足そうに笑った。綺麗なのに、どこかうすら寒さを覚える笑顔で。
そして紀一は。恍惚とした表情で、魅惑の声で宣言した。
「愛しい俺の忍……忍の運命は俺が作る。それが俺の運命だ」
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