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それから、1位を目指すという俺と、30位以内に入るという豊峰の目標を達成するべく、真鍋が毎日家庭教師をして尽力してくれた。
やる気は出たものの、それと身体は別物らしく、やっぱり家庭教師中に居眠りをしては、手を腫らす日々を豊峰は送っていた。
そうして、期末テストの2日前。
「では本日は、確認テストといいますか、これまでの成果がいかほどか、小テストをいたします」
ペラ、パラ、と渡されたのは、真鍋手製の意地悪テストで。
「げ…」
「うわー、ありがとうございます」
これが解ければ本当、本番が怖くない。
「ありがたい?」
「うん。最後に弱点や覚え間違いがチェックできるし」
「でもテストって」
名前がつくだけで嫌だ、と顔を歪めている豊峰に笑ったところで、真鍋の冷ややかな声が割り込んだ。
「では1教科30分の計算で。そちら3枚を、90分間でやり終えて下さい。はい、始め」
苦情も文句も受け付けず、さっさと開始の合図をした真鍋に慌ててしまう。
それは豊峰も同じだったようで、「はぁっ?」とか、「ちょっ、タンマ」とか喚きながら、ガチャガチャとペンケースを探っている。
「私はこちらで仕事をさせていただきますので、時間より早く終わった場合は声をかけて下さい」
では、と、真鍋はリビングのテーブルから、ダイニングテーブルに移動し、書類やパソコンを広げ始めている。
『よし』
俺は気合いを入れて問題を解き始め、隣では豊峰が、ガリガリと問題を解きながら、時折唸っていた。
*
「はい、そこまで」
「っ…うん、よし、見直しまで終わった」
「くそっ、後2問」
真鍋の声で、カラーンとシャープペンを手放した俺は、そこそこ手応えのあったテストを満足と共に重ねていった。
「では私はすぐに採点いたしますので、その間、お2人はくつろいでいて下さって構いませんよ」
俺と豊峰からそれぞれテストを受け取って、真鍋は再びダイニングテーブルに向かい、採点を始める。
「ふぅ。どう?藍くん、できた?」
両足を伸ばし、うーんと伸びをしながら、隣の豊峰に顔を向ける。
「あー、どう、かな。まぁなんか、解けたような気もするけど…」
「そっか。あ、何か飲む?」
「んー?炭酸、なんかある?」
「炭酸?あるよ」
選ぶ?と、俺は豊峰を誘ってキッチンに向かった。
「へぇ、意外と生活感あるじゃん」
「えっ?あ、キッチン?俺が使っているからねー」
鍋が出しっ放しになっていたり、包丁やまな板が乾かしてあったり。
「はっ?翼、料理すんの?」
「するよ。夕食は大体自炊だし、火宮さんが帰れる日は、俺が作って一緒に食べるよー」
どれにする?と、冷蔵庫のジュースホルダーを見せながら、俺は豊峰を振り返った。
「は?あの会長サンに、手料理?」
「うん」
「会長サンが食うの?」
「食べるよ?普通にカレーとかハンバーグとか」
「はぁぁぁっ?会長サンがんな庶民料理…」
目を丸くして驚いている豊峰は、何がそんなに不思議なのか。
「えー、俺、あの人はオール外食で、洒落たフレンチだとかイタリアンだとか、和食でも懐石とかそういうのしか食べねぇと思ってた」
「あはは。確かにそういうイメージあるよね。俺も初めの頃は、俺なんかの庶民手料理でいいのか?ってドキドキしてたよ」
クスクスと笑いながら教えてあげたら、豊峰が唸りながら、柑橘系の炭酸飲料を選び取った。
「俺これもらうわ。でも作ってやって、会長サンも食うんだろ?」
「うん」
「愛だねぇ。おまえ、マジで妻じゃん」
手料理って!と笑う豊峰が、プシュッと景気良く炭酸飲料のペットボトルのキャップを開ける。
「妻って…」
「極妻。ぷぷっ、マジで姐さんかー」
翼がなぁ?と目を細める豊峰が、炭酸を一気飲みしている。
「くぅーっ、クるぅ」
「喉痛めそう」
見ているこっちが顔を歪めてしまう。
「うめぇ。なーぁ、でもさ、おまえんち親は?」
「っ、え…?」
「反対とか、しなかったのか?っていうか、おまえの親はどんなん?」
そうだよね。ヤクザの嫁にと『息子』を渡す親…。
豊峰からはそう見えるだろうそれに、俺はにっこり笑って首を振った。
「いない」
「へっ?え、あー…」
ごめん、と気まずそうに視線を逸らす豊峰に、俺は重ねて首を振った。
「いいよ。俺はもう乗り越えてる」
「っ…」
「俺の両親は、俺を1人遺して死んだんだ。自殺。借金を苦に。だからもうこの世にはいない」
「っ、それ、乗り越えてるって…」
小さく震えた豊峰の声に、俺はどこまでも笑顔を向けて見せた。
「うん。火宮さんに出会って、俺は救われて…。俺は、2人が選んだ答えを、もうちゃんと受け入れてる」
1人置いていかれたこと。
たった16ぽっちの子供を、たった1人で残すと分かっていながら、生きてくれなかったこと。
「恨んでねぇの?」
「うん」
「憎くねぇの?おまえを辛い世界に1人残して、自分らだけ楽になろうとしたような親じゃねぇか…」
「うん。そうかもね。だけど」
パニックになって、絶望に落ちたときには、俺も一瞬そう思ったけれど。
「2人は、もしかして、俺のことを、殺せなかったんじゃないかな、って」
「は…?」
「どんなに過酷な道が待っていようとも、それでも。それでもどうしても、俺には生きて欲しかったんじゃないかなぁ」
俺が2人に対してそうだったように。
どんなに辛くても、死んだら終わりなんだ。
楽になるんじゃない、無になるんだ。
なにもかもが消えて、なんにもなくなる。
「2人はね、選べなかったんだよ。俺を消してしまう道」
「っ、そんなの…」
「うん。親のエゴだよね。だけど、それでも、存在(あ)ることを望んだのは…」
今なら分かるよ。確かに言える。
「愛だよ。父さんと母さんは、俺のことを、とてもとても愛していたんだ」
2人が選んだその答えは。
愛しているから連れて逝けない。
愛しているから生きて欲しい。
ただ、生きていて欲しい。
それがどれほど俺を苦しめる答えだとしても。
俺から、俺の生を、奪わない。奪えない。
2人が最期に示した、それは痛いほどに残酷な愛なんだ。
「っ、おまえは…おまえの親は…」
「藍くん?」
「はっ、おまえのそのしなやかさ。眩しいくらいの強さ」
「っ…」
「おまえが今、そんな風に両親のことを言えんのはやっぱり、2人がそんだけおまえを大切にしてきてくれたってことなんだよな」
どっかの親とは大違いだ、と豊峰は吐き捨てる。
「おまえは死んでも構わない…。あいつは簡単に言った」
「っ…」
『おまえは死んでも会長の大切なお方をこちらに帰すんだ』
『藍の無事や命など構いませんから、イロを助けて下さい』
あの日、あの時、豊峰の父親が言った言葉が蘇る。
「藍くんっ…」
「へっ。ひでぇよな。実の息子に向かって、死ねだって」
「っ、それは…」
「おまえの親は、最後の最期まで、おまえの生を望んでいたのに」
はっ、と鼻を鳴らして吐き捨てる豊峰は、それでもその声に、言葉ほどの投げやりな感じは含まれていなかった。
「藍くん…」
「っくしょー!悔しいよ。腹立たしいぜ」
「うん」
「だから、だからな、俺は、生きてやろうじゃねぇの」
「えっ?」
「生憎俺は、まだまだ絶賛反抗期中なんでね」
「藍くん…」
「死んでいいなんて言われたら、逆に死んでなんかやるかよ」
「っ…」
「あいつが我が物顔で左右する俺の人生、あいつのためになんかぜってぇ使ってやらねぇ」
ゴクゴクと一気に炭酸を喉に流し込んだ豊峰が、握ったペットボトルをベコッと潰した。
「翼、よく聞け」
「藍くん?」
「俺は俺のために、俺の人生を生きるんだ」
に、ぃっ、と豊峰が不敵に笑ったとき。
「お2人とも、採点が終わりました」
ダイニングの方から、淡々とした真鍋の声が割り入った。
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