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パタンと寝室のドアを開けて入った日下部は、ベッドの上に人影を見つけて目を細めた。
2人で寝ても十分な広さのあるベッドの中央あたりに、チョコンと正座をした山岡がいる。
ゆっくりと近づいた日下部は、その膝の前に、パドルが横たえられて置かれていることに気がついた。
「ふぅん…?」
俯いて膝の上で拳を握り締めている山岡をチラリと見ながら、日下部はベッドの脇で足を止めた。
「っ…」
影が差したことに気づいたのだろう。
山岡がビクリと震えて、恐る恐る顔を上げた。
「日下部先生…」
「なに」
「あ、あの…た、谷野先生は?」
オドオドと上目遣いで見上げてくる山岡に、日下部は壮絶な笑顔を向けた。
「さぁ?帰ったんじゃない?」
知らない、と吐き捨てる日下部に、山岡がギョッとなった。
「あのっ…谷野先生は、オレが無理矢理頼んで…。だから…」
「だったとして、その先の行動を決めたのはとらで、責任を取るのもとら。山岡には関係のないことだ」
「っ、でも…」
「まぁもう、俺にも関係ないけど。谷野虎男はもう、俺たちとは無関係な人」
いいね?と笑う日下部に、山岡の目がまん丸に見開かれた。
「え…まさか、そんな…」
「とらが選んだことだよ。ねぇ、とらの心配よりさ、自分のこと考えたほうがよくない?」
何余裕ぶってるの、と笑う日下部に、山岡はハッとした。
「っ…」
「まぁ、覚悟の上だとか言ってたね。で、その覚悟がこれ?」
スッとパドルを手に取った日下部が、パンッとそれを手のひらに打ち付けた。
「ここまで覚悟があるんだ?」
「っ…」
「その上であの人に会いに?一体それ、山岡にはなんのメリットがあるんだろうね」
馬鹿らしい、と冷たく笑う日下部に、山岡はストンと俯いた。
「まぁ、何がしたくて自らわざわざあの人の誘いに乗ったのかは想像がつくけど…」
「……」
「収穫はあった?なんて、聞くまでもないよな。結局拉致されて、手に傷作ってきて、もし俺らが行かなかったらあのままどうなったか」
思い知ったでしょ?と冷ややかに笑う日下部に、山岡はギュッと唇を噛んだ。
「っ…」
そんなことない、と言おうとした言葉は、喉につかえて出なかった。
「一体どんな話をされたの?どうせ俺と別れろと、あの手この手で説得にきたんでしょ。酷いことも言われた?どんな取引を持ちかけられた?」
ふん、と冷たく笑う日下部には、きっと何を言っても届かないんだろうな、と山岡はぼんやりと思った。
「山岡?」
「そう、ですけど…でも…」
確かに、日下部が言っていることはほとんど当たっている。
だけどそれが表面上のことで、本当は違うのだと伝えたいのに、山岡にはそれをどう言ったらいいのかがわからなかった。
わからなくて言葉に詰まる山岡の隙は、日下部にあっさりと奪い去られる。
「だから言ったんだ。あの人はただ山岡を傷つける。だから逃げろと、会ったりするなと言ったのにっ…。言うことを聞かないからっ」
傷つけられることになった、と顔を歪める日下部に、山岡は反射的に首を振っていた。
(っ、そうじゃない。傷つけられただけなんじゃない。本当は、本当はちゃんと、話もできて、病気のことも…)
言いたいことはたくさんあるのに、そのどれもが言葉にならずに、ただフルフルと首を振る山岡を、日下部は鋭く睨んだ。
「必死で守ろうとしているのに。俺はただ、山岡を守りたいのに。おまえだけが大事なのに」
「っ、日下部先生…」
「なんで…」
グッとパドルを握った日下部の手に力がこもったのが見えた。
隠しきれない苛立ちと怒りが、日下部の回りにまとわりついているのがわかった。
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